アス・モーンの証言

城島まひる

アス・モーンの証言 ─ 前編 ─

「人間はその異常さを認識していながら無意識にそれを避け、議論の的にならない様にしている」


喫茶店の4人掛けのソファに座るなり友人はそう口にした。

僕はまず先に注文をしようと手で促し、友人のクラークにメニュー表を渡した。クラークはメニューをざっと斜め読みすると店員を呼んだ。


それに反応したのは無気力な乾燥した声で、しばらくすると不愛想なアイルランド系の男性店員がメモ用紙を片手に席にやってきた。


「ご注文は?」


「私はホットコーヒーを。それとシナモンスティックを付けてくれ」


「えーと...じゃあ僕もホットコーヒーで。あとこの季節限定のショートケーキもお願いします」


店員はこくこくと注文を聴きながら頷くと、頭を下げて厨房へ戻っていった。ちゃんと注文が伝わっているか不安であるが、そんなことはどうでも良い。

僕たちが喫茶店に来たのはお茶をするためではなく、誰にも邪魔されず隠秘学的なことがらに対する議論を楽しむためだ。


注文を頼んでから10分経った頃、注文を取ったアイルランド系の店員が商品を運んできた。しかしコーヒーに入れるシナモンスティックが無く、クラークが怪訝な顔で店員を睨みつける。


すると店員は何語か分からないが(恐らく母国語だろう)、何か言い訳の様なものを言いシナモンパウダーが入った缶をテーブルに置いて厨房に戻っていった。

恐らくシナモンスティックがなかったから、店側なりに配慮した結果なのだろう。クラークはぶつぶつと文句を言いながらも、シナモンパウダーをホットコーヒーに入れた。


シナモン入りコーヒーを一口含むと、フッと彼の顔から不満の影が消えた。僕はクラークのモチベーションが元に戻ったと見るや、友人に街道を歩きながらしていた議論の再開を求めた。



 *



「いいかいアス。人間はその異常さを認識していながら無意識にそれを避け、議論の的にならない様にしているんだ」


「街道での議論でも言っていたが一体僕たちが何を避けているっていうんだい?今の時代、科学者たちが躍起になって実験や数式を使い、色んなものを分析しているじゃないか」


僕の返答にフンッと鼻息を荒くするクラーク。それから手を上げ、店員の意識を向けさせるとチョコレートケーキを追加注文した。

このときクラークも僕も長くなるであろう議論のために、糖分を補給しておこうと思ったに違いない。


「アス・モーン、君は教会の清教徒たちの言葉より、三文科学者どもの戯言を信じるのかい?」


クラークは手を広げ驚いたと態度で示しながら尋ねてきた。

いやこれは質問というより、科学を信じる僕に対する侮辱だろう。


「当たり前だろクラーク。聖書の曖昧な仄めかしより、統一性のある数式の方が余程信用できるね」


「ほう...ならアス、君に尋ねるが何故空は青いんだ?」


僕はそれは・・・と呟き口を閉じると、最近読んだ科学雑誌ニュートンの内容を思い出す。


「それはあれだ。光の中でも青い光が最も広がりやすい性質を持つからだ。だから…」


「だから空は青く見えると?」


クラークの問いに僕はこくりと頷く。


「ならアス、君は赤い霧を知っているかい?」


それは1873年の秋にニューイングランドで起きた有名な怪現象の一つだ。


記録的な豪雨が続いた後、次にニューイングランドを襲ったのは赤い霧だったと住民たちは主張する。科学者たちはその様な現象が起こる筈がないと口を揃えて言い、最終的には近くにある森に、幻覚作用のある花粉を持つ植物が群生していたため、

それが原因でニューイングランドの住民たちは集団幻覚を見たのだと結論づけられた。


僕がその事件の旨と科学者たちの結論を少しの漏れも無くクラークに告げると、彼は感心したかのようにわざとらしい拍手を僕に向けて送った。


「流石勤勉家アス・モーン!三文科学者たちの主張を少しの漏れなく覚えているとは」


友人クラークからの賞賛。その賞賛にはやはりと言うべきか、どこか皮肉交じりだった。


と、ちょうどそこへ不愛想なアイルランド系の男性店員がクラークのチョコレートケーキを持ってきた。僕たちは店員がテーブルを去るまで沈黙を守り、どこか気まずそうにしている店員が厨房に入るのを確認してから口を開いた。いかにも不満だと言わんばかりに。


「クラーク。言いたいことがあるならちゃんと言ってくれないか。君のその賞賛はどうも小馬鹿にされている様で苛ついてくる」


するとクラークはニヤリといやらしい笑みを浮かべ、チョコレートケーキを一口食べた。


「赤い霧が発生したのは1873年の10月。そして科学者たちが調査をしたのは1874年の3月」


「・・・何が言いたい?」


「単純な話さアス。赤い霧が発生した当時、幻覚作用があると発覚した例の植物は開花すらしていなかった。あの花が開花するのは3月の始めだ。つまり赤い霧は集団幻覚でもなければ、原因は植物の花粉でもないのさ」


僕は反論を述べようとクラークの主張の穴を見つけようとしたが、その努力は彼がカバンから取り出した一枚の写真によって中断せざるを得なくなった。


それは科学者たちによって幻覚作用のある花粉を放出すると発表された植物の写真で、どこか山の斜面に群生しているものを撮影したものだった。

花びらが開ききり完全に開花しているもの。つぼみの先が開き始めたもの。段々と咲き始めていることが見て取れる。そして写真の右下には1874/2/21の文字が書いてあった。


「実はね、赤い霧という怪現象が起きた時ちょうどニューイングランドにいたのさ。

俺はその原因がどうしても知りたくて赤い霧の中を走り回ったものだよ。

まあ一方自己満足的精神しか持ち合わせないニューイングランドの人間たちは、

三文科学では説明がつかない現象に恐怖して家に引きこもっていたがね!」


そこで話を区切ると、クラークは一気にコーヒーを飲み干した。

そして服の袖で口を拭うと、僕が持っている写真を指差して話を再開した。


「その写真はね、科学者たちが調査に来るちょうど1週間前に撮影したものさ。

彼らは案の定、その植物を見つけるなり幻覚がどうのこうのと言いそれが原因だと決めつけた」


彼らには街に入り、住民からの証言を求める気など最初からなかったのだろう。とクラークは付け加えた。


「赤い霧を調査しに来た科学者たちは最初から集団幻覚の類に違いないと結論づけていた。だから彼らが捜していたのは赤い霧の発生原因ではなく、幻覚の発生原因だったんだよ」


クラークはそう結論を述べるとまだ半分はあったチョコレートケーキを一口で頬張った。


勝利のごちそうだと言わんばかりに。



 *



「ところで赤い霧の発生原因は何だったんだい?」


二人で喫茶店を出た後、僕は気になってクラークに尋ねた。

あそこまで自身満々に語るということは、原因を彼なりに発見していたに違いないと結論付けていた。


「何故、空は青いのか?それと同じだよ。いや全く同じというわけではないが」


どういうこと?と首を傾げる僕にクラークは丁寧に説明してくれた。


「1873年の10月に発生した霧。あれを構成する塵のサイズが例年とは大きく違ったんだ。結果、光の反射量がことなり波長が長くなることで、霧の中で反射する光が赤くなったんだ。ちなみに空の青色の波長は短い」


なるほど、と僕は納得せざるを得なかった。隠秘学者を自称するクラークから科学的な説明が出てくることには違和感を感じ得ないが、それは彼自身がそういう人物であるからしょうがないのだろう。クラーク曰く


"隠秘学に通ずる者は相反する科学にも通じていなくてはならない"とのこと。


原因不明なものをオカルトに組みつけるのは馬鹿がやることで、真のオカルティスト(隠秘学者)とは科学の手が届かないところ。まさに根源に触れるための学問であり、それを守るように取り巻く物理現象は全て科学の領分だと。


磁石を研究するのであれば磁石という石は科学の領分だが、磁界という眼に見えない形而上学的な部分は隠秘学の領分だとクラークは言いたいのだろう。


僕は一人独白を終え、ふと思い出した。


「ところでクラーク、さっきの喫茶店の会計はいつ返してくれるんだい?」


「あー…そうだな、来週…いや1ヵ月後かな」


はぁー、とため息をつく。なんと僕と喫茶店に入ったクラークは一銭もお金を持っていなかったのだ。


結果、僕が2人分払う事になった。


「来週中に絶対返してよ」


「はいはい返しますよー」


僕はクラークに返金の盟約を誓わせると、友人とともに帰路に着いた。



 *



それから二日後、クラークが死んだ。

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