競り

椿恭二

競り

 手錠が外される音がする。手首の痛みが緩和される。

 少し間を置いて光が差す。電燈が灯ったのだ。

 突然のそれに一瞬目が眩む。

 徐々に適応していく眼球運動。

 円型のコロッセオのようなホールに、煌々とした光が放たれる中、私は一人、全裸になって立たされていた。最初はあった羞恥心だが、それもこの異様な空間に内包され、いつの間にか消え去って行った。

 眼下には排水溝が底なしの闇をぽかりと口を開け広がっている。初期のコロッセオではローマ水道より引いた水で、模擬海戦が可能だったらしい。この広さでは流石にそれは無理だろうが、大きなモデルを浮かべて念密なシミュレーションが可能かもしれない。それよりも私が感に耐えなかったのは、そのデザインだ。

 そのコロッセオはなんと壮麗なローマ様式ではなく、二十世紀初頭に席巻したアール・デコを模していたからだ。


 ブロードウェイで踊りたかった。

 大人数の観客の前で、自分の全てを露わにして、私を見て欲しかった。

 だが、その夢は二度と叶わない。


 私の人生ではニューヨークの摩天楼を望むことはなかった。きっとそこにいたのならば飽きずに万華鏡を回転させ続け、無限の幾何学の海に溺れる子供のようになったに違いない。

 その夢は今ここで叶った。生産消費社会を思わせる機械的な施しが、天井から座席に至るまで丹念に施されている。ここで、私は商品になる。


 その周囲の座席には男が数人、私を見下ろす様相で腰掛けているらしい。

 後部の鑑賞席の暗影に一人、身を隠すようにして、祭司のような袈裟を着た男が一人中座している。

 袈裟の男が言う。


 ——「No.5」

 身長、159cm。

 体重、49kg。

 健康問題異常なし。

 検疫問題異常なし。


「病気持ちはねぇ」ぽつりと誰かが言うが、逆光で声の主の顔が分からない。

 再び大声で、が鳴る声が響く。

「そうだそうだ、病気持ちはいらねえ、うちの評判が下がっちまう。下がるどころか門終いだ。あれはなぁ、親父と俺の二代で気づいた店だ。こんなアマ一人で台無しにできねぇ、うちは一流を揃えてなんぼだ」

「毎度のことながら、煩いな、フルージュ。検閲は問題なしだ」

 野次が飛び交う中、あんな濁声なのに名前がフルージュ……。「花の天使」なんてファンタジックなものだと知ると、私はいよいよ吹き出しそうになった。


「静粛に」袈裟の男が制する。

 どうやら彼は、この『競り』の中で、権威を持った進行役らしい。然し、その声からは年齢は愚か、性別すら判断が不可能な生産消費の声色がある。


 司会進行までアール・デコ……。

 そして、ここが私のブロードウェイ……。


 私は笑いを堪えたつもりだったが、それが微笑として表出し、観客をざわめかせた。

「ここで笑うとわ……俺好みだな」先ほどの濁声、フルージュ。

 次々と男たちの野卑な発言が飛び交う。

「なかなか、肝が座っておる」

「これなら、少々、過激なプレイでも問題ないな。その手がお好きなお客の」

「ほほ、いつからお宅はそちらにまで手を? 専門はウチですよ」

「ハハハ、なんだかんだ、最後まで笑顔の子が一番好かれますからね」


 ——静粛に。

 では、検分に移ります。どうぞ皆さん大広間へお集まりください。


「それでは早速、拝見させて頂きましょうか」そのような声が各所から、がやがやと上がり、男たちがぞろぞろと階段を降りてくる。

「時間は十五分です、それでは開始」袈裟の男が言う。


「近くで見ても美人だねぇ、うちは顔重視だから」

 最初に、狐のような男に話しかけられた。しかしそこにいやらしさはなく、純粋に仕事師の顔を見た。


 ある者は、私の肌の弾力性を確かめるかのように、腕を抓る。

「よく手に馴染む餅のようだ、これはまさに一級品のいい肌だ」

 ある者は、私に大声で叫ばせ、その声色を確かめた。

「良いねぇ、良い鳴き声だ。ウチで鳴いてもらおうかねぇ」

 ある者は、私の乳房を揉み、その性的に硬直する具合を手に覚えさせる。

「よく張るのぅ、お嬢さん。まるで処女のようじゃ」

 ある者は、私の瞳孔や指先の動きを観察する。

「お嬢ちゃん、精神疾患はないね? 薬とか飲んでないね?」


 最も卑猥だったのは先ほどのフルージュで、彼は私の淫部ばかりを検分していた。

「淫毛は整えているようだな、さぁ、股を開け」

 この男はこの場をいいことに、私のような数多の女の体を慰み者にしてきたに違いない。

 私は「花の天使」の悪い歌い声を頑として無視し、検分が終わるのを待つ。


 奇妙なのは、先ほどから一言も発せず、今も暗がりで皆の検分が一通り終了するのを待つ男だ。


 ——検分終了一分前。

 袈裟の男が言う。


 すると再びぞろぞろと皆が席へと戻って行く。私はついに股を開かなかった。彼に向けて、鼻で笑うような笑みを飛ばした。それを見たフルージュは、私に向けて苦虫を噛み潰したような顔を見せて席に戻っていった。

 暗がりから痩身の今にも倒れそうな文筆家のようなコートの男が出てきて、私に声を掛けた。哀感を含んだ視線で私を見ていた。


「ごめんね、触るよ」

 私はその紳士的な優しさに、何故か緊張が解れた。


「上松屋、早くしろ、競りだ、競りだ」


 はいはい、と上松屋と呼ばれた男は、小声で生返事をする。

 小さなルーペを取り出して、私の頬、腕、胸、腹、腿を素早く検分する。次に聴診器を胸と腸に当てると、最後に腹を触診した。

 そして「ありがとう」と、物悲しく微笑みながら一言残して席に戻って行った。


 それでは競りに移りますが、念のために、大まかなルールの確認です。

 「No.5」、貴方は決して魚河岸で凍りついた鮪ではありません。

 個人情報は会が入念に管理します。外部にここまで、これからの氏名、住所、年齢、職業等が流出することはありません。

 貴方も口外は禁止です。これも会の守秘性を守るためですし、貴方御自身の安全の担保でもあります。ご了承下さい。

 まず、店舗を選ぶ決定権があります。

 各々の検分の結果によって出した対価の数字。

 御自身が自らに付けた商品価値としての意思表明。

 この二つの合意がなされた店こそが、貴方を購入する権利を持ちます。

 いくら高額を支払っても、「No.5」には拒否権があります。


 フルージュが小声で悪態を吐く。どうせこのルールへの反発だろう。

 それでは皆さん、誓いのために右手を胸に。


「我々は人権を尊重し、この仕事に就く女性を、最後まで人間として扱うことを誓います」


 ——それでは『競り』を開始いたします。


 八。狐顔の男が言った。


 では儂は七。


 七。私の餅肌を褒めた男だ。


「おやおや、皆さん、随分高額で拮抗しますね」

 つい司会の音が口を挟む。


 九。フルージュが例の濁声で叫ぶ。

 その表情は勝ち誇ったようで、不愉快だった。


 ああ、「No.5」、言い忘れました。規則では金額が拮抗し、貴方が事前に目を通している店舗の中に希望がない場合、通常の競りと同様に、最高値を提示している店舗に貴方の身柄は落札されます。貴方ご自身の希望店舗の意見は尊重されますが、それがない場合はこちらも『競り』として金額、商品価値を優先するということです。その点をご了承下さい。

 

 それでは最後に上松屋さん、ご提示を。


 四。

 無感想な声で上松屋は一言だけそう言った。


「これだけの上玉に四、失礼だぞ、上松屋」フルージェが怒鳴る。

「少しくらい景気がいいからって、四ってのはねぇや」

「先代から変わった途端コレだ」

「若旦那、ちょっと調子が過ぎるんでは?」

 他からも野次が飛ぶ。


 お渡しした会の商品説明での査定価格は「八・七五」です。これは会に対する侮辱です。脱会したいのであれば別ですが、明確な説明を求めます。

 お願いします、植松屋さん。


「はい。私の見解を述べさせて頂きます」

 植松が立ち上がって答弁を始めた。

「私は先程彼女の身体を、精密なルーペで観察させて頂きました。その結果、肌には老化現象が始まっています。また、温度から低体温症を抱えていることも分かりました。聴診器と触診では腸内活動不全から便秘症の可能性もあります。会が行う健康診断の精査項目以外の部分で問題があった為の、私感的な判断の上での数字です。また、大変な美人ですが、残念ながらうちの店で扱うにはもう歳です」


 そう、この男の言う通りだ。

 私ももう三十路だ。いくら見た目が若いように見えても、専門家にして見れば一目瞭然なのだろう。

 このコロッセオが、私のラストステージなのだ。


「——私、四のお店に行きます」


「何考えてんだ、このアマ。人がせっかくよくしてやってるのに、植松なんかに流れやがって、俺は九、あいつはお前を四と査定した男だぞ、恥を知れ! 植松、お前もだ!」

それでも植松屋と呼ばれる男は飄々としている。

「私、四でいいんです。だって私たちが普段行くお店って大体四でしょ。だって私もいい男の人がいても、なかなか八とか九のお店には行けない、だからいいんです……」


 皆が沈黙した。

 それを破るかのようにして、袈裟の男が言った。

 それでは、彼女は植松屋が落札。

 次! 「No.6」を呼んで下さい。


 私はフルージュの憎々しげな視線を感じながら、コロッセオの階段を上り出口へと向かった。素晴らしい機械的な建築を見るのも最期か、と思うとふっと蝋燭に灯った夢の残り火が吹き消されたような気持ちになった。


 出口を出ると無機質な正方形の廊下が延々と続いていた。

「行こう、この先が店だ」

「上松屋さんというお店ですか……?」

「そうだよ、三代続く老舗植松屋だ。僕はその三代目当主、植松だ」と微笑んだ。

 自信満々に自らの店舗の名前を述べた時ですら、彼は虚しさを抱えた表情をしている。

 かつん、かつん、というコンクリートを反響する足音抱くが響く。


「ごめんね、さっきはあんなに酷いことを言って」

「いいんです、事実ですから」

「老いは関係ない。精神が美しくあればいいんだ」


 そう言うと、まるで何かを名残惜しそうに、しばらく黙った。

 その沈黙に耐えきれなかった私は、彼に問いかけた。

「あのコロッセオ、水を張ることもあるの? 中世コロッセオでは海戦の訓練に、そのような事が行われていた形跡があるの」

「詳しいね」

「大学の建築史で習いました」

「それであんなにまじまじと眺めていたんだ」

「見ていたんですか……」顔が紅潮した。

「それも商売のうちさ」

 植松は私の火照った顔を見て、口元を自嘲的に綻ばせ続ける。

「予想通り水は張るよ、たまにね。水で亡くなった御方の好事家がいてね、君は知らなくてもいいけれど、そう言う専門店もあるんだ。僕は好かないけれどね」

「あのフルージュみたいな変態も」

「フルージュ……」彼はそう言った後、小さく笑った。「彼の所に行かなくて正解だよ。見ていれば分かると思うけれど、彼はお店に出す前に少しだけ自分で味見するの。醜悪な男だ。しかし店は一流、だから誰も会を破門にできないんだ」


 嫌な話になってしまった……という後悔。やはり下劣さは言動に出るものなのだ。そして私は、この痩身の男を選んで正解だったと痛感した。

 それに対して植松は気を遣ったのか、会話の流れを払拭し、私を安心させるかのように尋ねてきた。


「バレエはどこで勉強したの?」

「えっ?」

「横隔膜、腹横筋、多裂筋、骨盤底筋群が発達してる。つまり体幹がいいんだ。大腿二頭筋、内転筋もよく鍛えられてる。君はあそこに三十分近く立っていたが、一切体にブレがなかった。確信したのは足の形で、トーシューズに馴染んでいたことかな」

「スゴイですね」

「職業病だよ、こうやって良いものを安く買うから同業者には煙たがれる。女性の権利を尊重して合意させるから余計にね」

「特にフルージュに?」

 植松は苦笑いで頭を掻いた。

「あそこはあの代で終わるよ。商品の質は良いけれど、サービスが分かってないからね。お客の満足度も日に日に落ちてるしね……」

 私のこれから始まるショーの舞台に、落ち目の店を選ばなかったのは正解だった。


「どうして辞めちゃったの? バレエ」植松が通路の前を見たまま、ぼんやりと尋ねた。

「母の介護です。認知症で、介護施設とか」

「あの筋肉はプロのものだよ、稼ぐ方法はいくらでもあるでしょ?」

「借金があるんです……父の遺した」

「いくらあるの、借金」

「一千万……」

「そうか……老いた母親が生き延びて、その娘が体を売る。本末転倒だ」

「ええ、植松さんの提示額で十分借金は返せます。それに母を恨んではいませんよ、最後に舞台に立てたし」

「だから君は笑ったのか。あそこが舞台に見えたんだね」

「ええ、つい、うっかり。もしニューヨークにコロッセオがあったら、あんな場所かなって」

「面白いね。あそこで女性は皆踊る。ダンスができなくても、素肌を顕にして踊るんだ。それは下劣でも卑屈でもない。むしろ尊いことだよ」

「尊い?」

「そうだ。社会では無意識に蔑まれる仕事でも、それで誰かを楽しませるのならば、それは尊いことなのではないかな。僕は君たちが最後まで踊れるようにサポートするのが仕事だ」

「でも、だったらどうして四だったの?」

「『競り』にはテクニックがある。拮抗している時に、自分もそれに乗ると勝ち目はない。トリッキーな手さ。いい買い物をした、とは言わないよ。それは差別的だ、こんな仕事で説得力もないだろうけれどね」

 植松は、最後の方は自虐的だった。


「本当に四で良かったの?」

「計算したら足りたんです。後はこの世界で最後の最後まで踊る」

 彼は、すっとコートの内側から封筒を取り出した。それは厚みのあるものだった。微笑みながら私に握らせた。

「これをやると、会は永久追放だ」

 私は自分の恥を消すために強く拳を握り締めたが、想いが零れ落ちてしまった。

「ごめんなさい、植松さん」

「気にしないで、お母さんを救って上げて。自分の夢を諦めて親孝行するなんて、きっとそれだけでお母さんは喜んでいるよ」

「——手を握ってくれませんか」

「どうして?」

「……怖いんです」

「いいよ」その表情は、今にも壊れそうな硝子細工のように脆かった。だが手の温もりは、焚火にかざした後のようだった。

「植松さんはどうして私を……?」

「どうしても君を救いたかった。他の店に渡したら、君が辛い思いをすると思ってね。それに……君の崇高さに惚れたのさ」

 彼は他にも何か言いたげだったが、正面だけを、今までにない憐憫を浮かべながら歩いていた。ただ、手だけははっきりと私に安心感を伝えるように温かく、そして力強く握ってくれていた。


 眼前に階段と観音扉、『植松屋』という看板が見えた。

 私たちは立ち止まった。

「こんなところで出会わなければね、別の手もあった」こちらをはっきり見て言った。その目は真剣だった。

 私は顔が紅潮し身体が、心が熱した。

「ここから君の新しい仕事が始まる。体を使うものだ。そんなに無理しなくていいからね。痛いときは痛い、辛い時は辛い。そう叫んでいいから」植松は穏やかに、優しく言った。

「はい、ありがとう」私は涙を堪える。

「こちらこそ、最後に君の名前を教えてくれないか?」

「それは禁止ではないのですか? それに会の規則に反して、私も色々話してしまったし」

「覚えておきたんだ、君が商品になってしまう前に、一人の女性として」

「分かりました」

 私は名前を告げた。

 それを聞くと、彼は物憂げに私をしっかりと見つめた。

「では、そこの扉をくぐって」通路の奥の観音扉を指差した。

 そう言うと、もう振り返らずに横にある階段を上っていった。


 私が深呼吸して扉を開けると、そこは厨房だった。

 料理人の包丁が巨大なまな板に叩き付けられる。

 鉄板のじゅうじゅうと焼ける音がする。

 植松の声がスピーカーから叫ぶ。


 お前ら、しっかり叫ばせろ!

 本名で呼べ!

 そっちの方が客は興奮するからな!

 行くぞ。


 生きの良いダンサー、一丁。




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競り 椿恭二 @Tsubaki64

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