イツキくんとたっちゃんのハッピーアイスクリームパラダイス

和田島イサキ

Ice cream promises more pop.

 早くこいつの尻をどうにかしないと、俺の方がどうにかなってしまうような気がした。

 具体的にはつけるべきだ。火を。あるいは叩くだけでもいいけど、とにかくこいつには危機感が足りない。平日木曜のお昼前、約束の納期まで残り十二時間と少し。もう遊んでいる余裕はないはずで、なのにここへ来て今更、

「やだああああ無理いいいいアイス食べないと死んじゃうよおおおおお」

 だとか、正直「じゃあ死ねよおおお」以外の感想がない。

 散らかりきったリビングの中央、床にひっくり返ってヒクヒク震える幼なじみのイツキの、その綺麗な顔を間近に覗き込みながら俺は囁く。

「いいよおおおお。じゃあ死ねよおおおお。君は君のしたいようにしていいんだよおおおお」

「アーーーーッ! オァッ、お前ァ! バカにしやがァァンンアァァァーーーーッ!」

 オンギャアアアアア——と、その先はもう言葉にすらならない。すごい。なまちろい手足を滅茶苦茶に振り回しながら、なんかぎっこんばったん廊下の方へと転がり出て行く。伸ばし放題の黒髪がバッサバッサ乱れて、もう何の生き物かも判然としない。きっと『エクソシスト』と『リング』を足して二で割るとこんな感じだろうな——と、どっちも観たこともないのにそんな適当は言えない。ホラー映画は苦手だった。怖いし観る理由もない。ただでさえこんなホラーみたいな男が身近にいるのに。

 俺の幼なじみ、ほうじょうイツキは本当にどうしようもない男で、ほとんど毎日この調子だ。二十四歳の無職男性。亡き祖父がたまたま資産家だったのと、あとギリギリ顔は悪くないことだけが救いの男。他は完全な無能、とまではいかないというかそこそこ器用な方だが、でも腐り切った性根がすべてを台無しにしていた。今日もこうして自宅アパートに引きこもっては、何のためかも分からん怪しげな作業をしている。

 締め切りまで残り十二時間。その締め切りが一体なんの締め切りなのか、俺にはよくわからないしそも興味もない。インターネット、というかSNS的なものを介して、何か作ったり発表したりしていることまでは知っている。その先がもうさっぱりというか、そもコロコロ変わりすぎなのだ。作曲だったり3Dモデルの制作だったりあるいは映像に手をつけてみたりと、その時々の思いつきでいろんな界隈にちょっかいをかけては、毎回——それも自分の思っていたようにはチヤホヤされなかったというだけの理由で——「ウワアァァァァもういいみんなおれのことが嫌いなんだァァァァ!」ってなって自分の痕跡を抹消して逃亡、そしてそのストレスから部屋中を滅茶苦茶にするのだ。

 ——なんでこんなのと一緒に暮らしてるんだろう俺。

 男ふたり、ワンルームに多少毛が生えた程度の安アパートで、半ばなし崩しの同居生活。結局それも俺の性格ゆえというか、なんだかんだでお節介焼きなのだと思う。こんな平日の日中、わざわざアイス一個を買うためだけに、車を出して遠出してやるくらいには。

 別にアイスくらいならうちにもあった。冷凍庫の中、常にいくつか常備してある俺のお気に入りは、でも「ギャアアアアアアこんなのおじいちゃんの食うやつじゃぁぁぁぁん!」と、その場で床に叩きつけられて滅茶苦茶にされた。大変だった。こうなったイツキを大人しくするには、とにかく粘り強く付き合うしかない。根気よく、じっくりと、酸欠で落ちる﹅﹅﹅寸前まで、ギリギリ締め上げる白くて細い首。誰がおじいちゃんだ。殺すぞ。

「お店のやつがいい。いつものとこのあの、なんかパチパチするやつじゃないとダメ。降りてこない。創作の神が。まあたっちゃんにはわかんないと思うけどぉ」

 近所のコンビニやスーパーでは買えない、アイス専門のチェーン店のやつ。最寄りは郊外のショッピングモールで、となるとさすがに徒歩では厳しい。ドライブ。正直、ちょっとした冒険だった。俺はイツキと違って免許こそあるが、でも運転はあまり得意でもない。特にうちの狭い駐車場が問題だ。なんか変なところに妙な壁みたいなのがあって、その角に毎回ゴリゴリゴリーッてぶつける。車自体はイツキのだからいいけど、その度に助手席でギャンギャン悲鳴を上げられるのも面倒だから、いつも先に車を出してから乗せるようにしている。

「よし。今日は人をきませんように。出発」

 最後の「出発」の部分、助手席のイツキが被せるように「出発ゥ!」と喚いて、でもその顔の明るく楽しげなこと。びっくりする。何度見ても見飽きない。基本的にいつも泣いて悲鳴をあげてわがまま言いまくるこいつが、こんな子供みたいな笑顔を見せるのは運転のときくらいだ。特に運転中、狭い路地をフラフラ歩く老婆なんかを見つけると、途端にうきうきそわそわし出すのがわかる。静かになるのだ。それまでひとりでギャアギャア愚痴や泣き言を並べ立てては俺に「うるッせぇぞ!」と殴られていたのが、でも唐突に。俺と老婆、その顔を交互にうかがって、つまりは期待しているのだと思う。

 半年前のあの一件。なんてことはない、ただ自転車のおっさんを轢いた——正確には轢いたかのように見えるタイミングで、おっさんが派手にすっ転んだ——だけのことなのだが、でもそのときのイツキは本当に大変だった。泣いて叫んで混乱するところまではいつもの通り、だが俺の方までもが同様にパニックを起こして、

「逃げよう、逃げていいよな、なあイツキ、なあ!」

 と震えているのを見るや、急に大人しく——でもうっすら頬を染めながら、ただ「うん、うん」と嬉しそうに相槌を打ち出したのだ。

 あの顔、あの目、あの露骨にとろんとした表情とウキウキした様子を、こいつは路上に〝ちょうどよく轢けそうな人間〟を見るたび繰り返す。というか、普通に「轢け……」と漏らしているのが聞こえたりもする。

 気持ちは、わかる。別に俺だってこいつに意地悪したいわけじゃないから、たまになら轢いてやってもいいかなって思う。もちろん、終わる。人生が。もし仮に、本当に、そこら辺の老婆を思い切り、ただこいつの笑顔が見たいがために轢き殺した日には。

 大冒険だ。田舎の人間にとっては日常の一部、よくあるでっかいショッピングモールまでのちょとした道のりが、でもイツキの手にかかると無限の旅路のように思える。コスパが悪い。それも毎回なのだからなおさらのこと。

 最近ネットで見て知ったのだけれど、こういうのを今時いまどきは「生きづらさ」と呼ぶのだとか。人と同じことを人と同じように行う、ただそれだけの〝当たり前〟が、でもこんなにも難しい——すなわち世俗に言うところの「単なるクズ」と、そんなことはしかし言われんでも知ってる。

 俺とイツキはたぶん何をどうやっても駄目で、でもそれを認めるのはしゃくだし情けないから嫌だ。終わりだ。虚勢ひとつ張れなくなったら、そんなもんは本当にただ死んでいないだけの命だ。大体、みじめに膝をついて助けを乞うたところで、本当に手を差し伸べるものが一体どれほどいるのか? 世間は決してただ冷たいばかりではないにせよ、でも床の上で手足と髪を振り回して跳ねる二十四歳無職男性には優しくない。本当に、びっくりするくらい冷たくなるから、つまりはそう看破されないように生きるのが死なないためのコツだ。

 なんでもいい。生きるには張るための意地がる。もとよりすがれるほどの自己像もないなら、あとは自前で作るしかない。そうしてきた。イツキがネットでチヤホヤされるのを夢見て、あれこれ手をつけてはかんしゃく起こしてやめるのもそれだ。肥大化した自意識と過剰な自己愛のマーブル模様に、嘘と虚飾をちりばめて作ったプライドの、そのあまりにも醜怪なけばけばしさ。だがこんなクソの塊でも何も無いよりはマシだ。そう思う。生きてる。俺と違って、こいつはまだ。

 そう。生きていればこそ、汗も出る。滝のような脂汗に、どこまでも浅く早い呼吸。平日昼のショッピングモール、辿り着いたその目的地は、しかしイツキにとっては結構な難敵だった。

「たっちゃん、ダメだ。多い、人間が多い。無理。死ぬ……」

 掠れる声。確かにイツキの言う通り、平日にしてはそこそこの客入りだ。目的のアイス屋はフードコートにあって、近づくたびに増える親子連れの、その幸せそうな様子にわけもなく苛立ちが募る。いや、理由わけならなくもない。真っ当に子育てをしているあいつらに比べて、俺の隣にいるこいつは何だ? 隙あらば異常な言動を繰り返す、モラルと自律神経の狂った幼なじみ。ガクガクと震え、今にもゲロ吐いてワンワン泣き出しそうなそれを、俺は優しく抱き止める代わりに、

「オイ。いい加減にしろよお前。殺すぞ」

 ともものあたりを力一杯つねる。冗談じゃない。こんなところでいつもみたいに、あのオンギャアアアアをやられてたまるものか。

 とにかく、さっさと目的を果たして帰ろう。アイスだ。それだけは間違いなく食ってもらう。泣こうが喚こうが大騒ぎしてのたうち回ろうが絶対に食わせる、だってそのためにわざわざ来たのだから——。

 そう思い、イツキの手汗でびしょびしょの手を強引に引く。だが返ってきたのは嗚咽おえつではなく、ましてやいつものオンギャアアアアでもなかった。

 か細い声。まるで懺悔でもするかのようなその情けない問いは、きっとこいつがいままでずっと、胸のうちに抱えてきた不安そのもの——。


 ——〝たっちゃん、なんでおれなんかと一緒にいんの?〟


「おれ、こんななのに。体弱いし、できることないし、性格くらいしかいいとこないのに。やっぱ、金のため? おれといたら生活費かかんないから?」

 ——そんなことはない。

 良くない。性格は。というかむしろそこが一番クソで、でも他の理由については否定できない。

 金。無職の男ふたり、俺にもこいつにも収入はなく、イツキの祖父の遺産だけが俺たちの命綱だ。本来「イツキの命綱」でしかないはずのところを、勝手に「俺たちの」と無理やり混ざって、でもそれをどうしてかこいつは何も言わない。いや、まったく何も言わないわけでもないというか、たまに喧嘩になったときだけ即「じゃあ金返せよォ! いままでの生活費と家賃光熱費全部ゥ!」と滅茶苦茶に泣きながら、でも露骨に「絶対無理だろお前には」と確信した目でそう喚き散らしてくるのだけれど、でもそれ以外は一切ない。

 人間ができている、とは、でも思わない。だってイツキだ。幼い頃からずっと一緒に育ってきた男だ。急に降って湧いた祖父の遺産をズルズル溶かして、このままじゃまずいということは理解しつつも、でも考えたくない一心で目を背けたままでいる人間のクズ。そんな幼なじみを、ただ「真っ当に生きる」という平凡な願いひとつ叶えることのできない小さく可哀想な命を、無理やり表面だけ取り繕って「人間ができている」などと——。

 言えるものならそう言ってやりたい。そりゃ俺だって、友のことをわざわざ悪し様に言いたくはないから。

 でも、そいつにとって致命的な何か、一生背負って生きることになるであろう枷を、その本質からかけ離れた聞こえのいい言葉でふんわりとぼかす——。

 そういうお為ごかし、臭い物に蓋をするかのようなごまかしは、きっと侮辱以外の何者でもないと思うのだ。

「なんで、って。そりゃあ、俺はお節介焼きだから」

 あと、尻だ。尻がいい。お前は線が細いくせに尻だけはふっくらもちもちしていて、傷ひとつない新雪のようなやわはだの、その眩しさが俺を狂わせるんだ——なんて、そんな俺の心からの賛辞に、でも「またぁー」と楽しそうに笑うイツキ。鉄板だ。こいつは尻の話をするとなぜだか嬉しそうに笑って、どうもそういうおもしろジョークだと信じて疑っていないようなのだけれど、でも思う。

 ——気づけ。いい加減、己の尻の持つ妖しい魔力に。同居して一年、いまだ伏せられたままの俺の本音と、もはや風前のともしびの自制心に。確かに金は大事だが、でもそれだけで誰かと暮らしていけるような、そんな器用な性格はしていないとわかれ。

 金が目当てなだけじゃない。

 体目当て。俺としては最初からそのつもりで、だが最近よく思う。

 ——こいつは実際のところ、それを薄々勘づいていながら、それでもなお見ないふりをしているんじゃないか? と。

 俺を煽り、焚き付け、ひたすら苛立たせるべく追い詰め続けて、そしてその瞬間を待っている。俺の逆上を。自分が滅茶苦茶に凌辱されることを。何もできず、真っ当に生きることすら叶わない不甲斐ない自分に、身近な誰かが罰を下してくれる瞬間を。

 気持ちは、わかる。つまり、安心したいのだ。身近な幼なじみから振われる最低の暴力、結局誰からも愛されていなかったという証拠をもらって、ただ「ほらね、もう誰も信じない」とうそぶく、そのきっかけを与えて欲しいだけの子供。昔から線が細く、色白で、ひたすら周りに甘えまくって生きてきた男の、その泥沼のような瞳がいま俺の目を捉える。どうにもならない。この一見深いようでその実スッカスカに浅い、そのくせどこまでも濁り切った、バカそのものの目に見つめられると。

 仕方ない。クズふたり、どうせなるようにしかならん人生だ。やっとのことで購入まで漕ぎ着けたアイス、イツキが旨そうにぺろぺろ舐めて即べちょりと床に落っことしたそれの、そのけばけばしい色味が腹立たしい。薄緑と白のマーブル模様に、赤と緑のクラッシュキャンディを散らした、ついさっきまではそれでも美味しそうに見えていたはずのそのカラフルな見た目が、でも今はどうしようもなく気持ち悪い。殴りたい。何でもいいから今すぐに。どうせ拗ねてへそを曲げてギャアギャア泣き喚くのだろうと、そう思って見やったイツキの顔の、その予想外の晴れやかさ。久しく見ないスッキリした表情で、俺の目を見ながらイツキは言う。

「ハイこれでもう絶対に間に合わない。大体こんなとこまでアイス食いに来てる時点で無理。はいバカ。おわり。全部おわり」

 どうやらずっと心に引っかかっていたらしい、今日中に終わらせるべき何らかの作業。SNSの向こうの誰かとの約束。愚にもつかない自己顕示欲の発露は、でも俺からすれば心底どうでもいい話だ。

 ため息が出る。自分の、思った以上の単純さに。何も解決はしておらず。それどころかすべてが最悪なのに、でもイツキのその憑き物が落ちたかのような顔に——このあまりにも惨めで無様な開き直りぶりに感じる、ザマアミロの気持ちとあと「ああよかった最下層の中の最下層がいてくれて」という安心感に、なんかもう全部どうでも良くなったから。

 ——正直、というか実のところというか、もったいないと思わないこともない。

 実際、才能はあるのに。俺と違って、何でもこなせる器用さがあるのに。でもそれがどうやってもものにならないことは、きっと誰より俺が知っている。ただ、もし仮に——いつか何かの間違いが起こって、それが何か大きな成果を残したとしたら。

 そのとき、こいつの成功を笑って祝う自信はないどころかまずどうにかなってしまう気がするから、それまでにはどうにかしようと思う。


 その、尻を。

 白くてもちもちの処女雪を、一晩中ひたすら欲望のままに貪る、そのための勇気を。




〈イツキくんとたっちゃんのハッピーアイスクリームパラダイス 了〉

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