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 ソロモンはギムレイのそんな様子に構わず、淡々と話を続ける。

「その時、あの生き残っていたポリスがナイフで犯人の首に斬り付けたのよ。偶然だと思うわ。たぶん、〈ディアボロ〉でもない人間相手にラスは油断したんでしょうね。それに、決断の速さがポリスの行動を援護した……」

 犯人は即死だったわ、とソロモンは感情の無い声で告げた。

「犠牲者を出してしまった……」

 ギムレイはぽつりと呟き、嘆くように額に手を当てた。

「気に病むのはよしなさい。私達にはどうすることも出来なかったわ」

 ソロモンはギムレイの肩に手を置き、背中を撫でながら宥めの言葉をかけた。そう落ち込んで欲しくない。

「とにかく、私達が助かったのはあなたのおかげよ、ギムレイ。あなたがあの一瞬、ラスを足止めしてくれなかったら、私とシスター・セレンは殺されていただろうし、事件もまだ解決していなかったはずよ」

「ソロモン、本当に?」

 ギムレイは縋るように顔を上げた。

「本当よ……」

 頷いて、肩を叩いてやる。納得した様子ではなかったが、ともかくギムレイは頷き返した。

 それから、ハッ、と慌てたように部屋を見回す。

「シスター・セレンは?」

 まさか怪我を、と青褪めるので、ソロモンはわざとらしく笑わなければならなかった。

「彼女は無傷よ。念の為に検査入院中。明日には退院できるそうよ」

 後で一緒に教会へ挨拶に行きましょう、と言うと、ギムレイは力無く頷いた。

 落ち込むのも、今は無理も無い。だけど、きっとギムレイは元気を取り戻す。

 彼の手は汚れていないのだから……

 決して、汚れてなどいないのだから……


   †††


 病院を出ると、プラタナスの木陰でシスター・セレンが待っていた。彼女も聴取を終え、シャワーを浴びて着替えを済ませていた。白いベロアのコートと銀髪が、虹色の夜景の光を反射して不思議な雰囲気を醸し出している。

「どうだった?」

 心配そうな表情で尋ねてくる。案外この女も善人なのだ、とソロモンは内心で密かに思う。頭の中を読めばいいものをわざわざ尋ねるマナーの良さは似合わない。

「ギムレイの記憶、うまく消してくれてありがとう。犠牲者が出たことを気に病んではいたけど、酷い混乱も無いし、たぶん、問題無いと思うわ」

「そう」

 シスター・セレンは素っ気無く答えた。

「やっぱり、あんたはスゴイわ」

 そんなことないわよ、と興味無さげに彼女は言う。疲れたのか、少し不機嫌そうだ。

「自分の力の特性を理解すれば応用は簡単なのよ」

「そういうものなの?」

 ソロモンが大袈裟に驚いてみせると、そうよ、とまた素っ気無い声が答えた。それでも多少興が乗ったのか説明を始める。

「能力は大きく分けると三つに分類されるの。エネルギーに干渉する〈波系〉と、物質の構造に干渉する〈量子構造系〉、空間に干渉する〈重力系〉よ。フィーネ・ハイゼンベルクは解り易く物質の構造に干渉している、つまり〈量子構造系〉。あなたやラス、ダミアン・スミス等はエネルギーを与える〈波系〉──私と同類。まあ、〈能力〉の形が定着した今からでは、思考に干渉する方向に〈ディアボロ〉を導くのは難しいでしょうけど……」

 そこで、パタリと声が止まった。

「ギムレイの〈能力〉は?」

 惹かれるようにソロモンは尋ねる。しかし、なぜか訊いてはいけないことを質したような奇妙な胸騒ぎがした。

「彼は、〈重力系〉よ。エネルギーを加えるでもなく、物質の構造を変化させるでもなく、空間そのものを増幅あるいは減縮させている。意識して鍛えれば最強の攻撃者に成り得るわ。あらゆる防御を無視して空間を切り裂くことも可能。彼が〈能力〉を風として使っているうちは可愛いものよ」

「それは……恐いわね……」

「でしょう。だから、これ以上鍛えない方がいいわよ」

 シスター・セレンは魔女のような瞳でソロモンを捕え、薄く口角を上げた。

 さて、と言って、ファウストを待たせているモーテルへ向かう。報酬を支払ってやらなければいけない。

 映像はすでにチェックして、ジャンヌ・ダルク・メディアに持ち込ませてある。ファウストの撮影テクニックは異常で、問題のあるモノは何も映っていなかった。唯一欠点と言えたのは、ソロモンが〈そこにいてはいけない誰か〉に向かって懇願するように見える姿が映ってしまっていた事だが、それも、どうせモザイクがかかるから、と気にはしなかった。あの違和に気付くようなクルーはいないだろう。いても、握りつぶせばいい。

 幸い、そんな不幸な事態は起こらなかった。


   †††


 事件のショッキングな映像はしばらくの間ニュースを賑わせた。ジャンヌ・ダルク・メディアの報道部が行った編集の妙で、〈ディアボロ〉を発動させて暴れる凶悪な脱獄犯が、か弱い女性を殺害しようとする──まさにその瞬間、勇気ある警官が立ちはだかり、やむを得ず犯人を殺害し、女性を救った、という映像になっていた。もちろん顔にモザイクはかけられていたが、シスター・セレンの華奢な外見が役に立ったわけだ。

 コメンテーターはこぞって『取り押さえることの困難な凶悪犯は殺害してもやむを得ない。善良な市民の犠牲には代えられない』と煽り、誰とも知れぬ英雄(ポリス)は偶像として持て囃された。市民感情は雪崩を打ってメディアが称賛するその思想に迎合していった。

 そして……

 ──逮捕時における特別措置法。通称カルネアデス法は、その直近の議会に法案が提出され、賛成多数で即日可決された。立案から一か月というハイスピードで施行された稀有な法になったのだ。カルネアデス、とは言うまでもなくカルネアデスの板の寓話に則った命名である。

 重要な条文を抜粋して記す。


●第四条。被疑者の逮捕が著しく困難であり、尚且つ市民の犠牲が予想される場合、被疑者を処刑によって制圧する事を容認する。

●第八条。市長および現場を統括する警察の責任者は、第四条に該当する場合において、即座に被疑者の処刑命令を発する権限を有し、また命令を発する事を義務とする。

●第九条。この義務に違反した場合、一年以上三年以下の懲役が科されるものとする。


 これが、ディアナポリスの為政者、ソロモン・アスカリドが望んだ言葉。ダミアン・スミスの支柱破壊テロの教訓から、なんとしても成立させたいと願った言葉。かつて愛した男を生贄に捧げてまで欲した言葉。餓(かつ)えるほどに求めた言葉だった。


   †††


 初めに言葉あり。言葉は神と共にあり。言葉は神であった。岩に戒律が刻まれた時代から、人は言葉に従って生きてきた。言葉こそが人の支配者である。人の神である。

 ふうん、とシスター・セレンは笑う。

「こんな言葉が無いと、善良な市民も守れないなんて滑稽な世界ね」

 彼女が〈言葉〉と言ったのは、成文化された〈法〉のことである。

 皮肉を聞いてソロモンは微苦笑を浮かべる。相変わらず憎たらしい女、と独り言に見せかけて罵ってみるが、シスター・セレンは歯牙にもかけない。濃いグレイの修道女服の上に白いウールのショールを羽織って迷惑そうに鼻を鳴らした。

「その法律、利用の仕方によっては難しいわよ? アホが陰謀に使うんじゃないの? 邪魔な奴を暗殺するのに、こんな都合の良い隠れ蓑はないわよ?」

「わかってる。そうさせないように努力するわ」

 ソロモンの額がわずかに曇った。

 その点についてはノーラとも充分に話し合った。こんな過激な法は、まともな国にあってはならない。そもそも責任ある者の正義の心にこそ委ねるべき事案なのである。いずれ、カルネアデス法は廃止するつもりだ。ほんの数年の施行にとどめたい。それでも、市民の意識改革が成るまでは、この劇薬に縋るしかないのだ。事なかれ主義の怯懦を出来る限り払拭し、ある程度は果断な危機管理の感覚が世の中に浸透するまでは……

 さじ加減は恐ろしく難しい──

 季節は巡り、教会の中庭には赤や黄色に色付いた落葉が絨毯のように降り積もっていた。水色に透き通った空の下、十一月の冴えた風が吹き抜けていく。ソロモンの高価なファーコートの裾がふわりと広がり花のような影を作った。

「それにしても、また来たの?」

 シスター・セレンはわざとらしく眉根を寄せた。

「あんたねぇ……」

 ふう、とソロモンもわざとらしい溜息をひとつ。

 共に手を汚した結果、やっと成立したカルネアデス法の報告に来てみればこの言われ様だ。ソロモンでなくともムッとする。

「私の勝手でしょう。好きな時に会いに来るわ」

 ほんの少し低い位置から、シスター・セレンは威圧感たっぷりにソロモンを睨めつける。

「来なくていいわよ。あなたが来ると厄介事に巻き込まれそう」

 実際に厄介事に巻き込んだ前科の有る身としては、そう言われても返す言葉が無い。それでも、もう少しは歓迎してくれでも罰は当たるまいに。

「クソババア。せっかく良いワイン持って来たのに飲まないつもり?」

 手にした赤い包みを振ると、シスター・セレンはピクリと片眉を上げた。どうやら興味を引けたようだ。

「ビールは無いの? トラピストが飲みたいわ」

 まったく、この手土産にケチをつけるなんて、信じられない。大袈裟なラッピングを見て値段の察しが付かないのかしら。

 深紅の羅紗の包みに金糸のレエス編みリボン。〈オラクル地区〉の高級百貨店ローゼンベルクの外商が、特別な顧客にだけ販売しているスペシャルな装丁だ。花魁が見れば歓声を上げるだろうに。セレブの証明と言っても過言ではない〈コレ〉を知らない女性がいるとは……

 ソロモンは呆れたが、敢えて言及するような下品な真似はその場は慎んだ。

「ビールは無し。私はもう飲みたくないの。できれば一生……」

 一瞬、シスター・セレンは微妙な表情を浮かべた。青島ビールの香りをサラミに似ていると言った、ソロモンの記憶の中の少年を思い出しているのだ。

 彼の遺体は結局、生家が国外に所有する一族だけの墓地にひっそりと葬られた。場所は公にされていない。心無い人に荒らされる事を恐れてだ。マドリガル家は名門であったが、最早一族の誰かがその名で表舞台に立つことは無いだろう。ラス・マドリガルはディアナポリス市民にとって悪鬼の如く語り継がれる存在になった。

「ふうん。まあ、ワインでもいいわ」

 不愛想にシスター・セレンは言った。

「ちょっと!」

 ソロモンは堪え切れず、遂に高価な包みを指差して大仰に不満を訴えた。

「これグラン・クリュのシャンベルタンよ。しかも当たり年の葡萄を特別に選別して作られたシリアルナンバー入りの超レア物なのよ。世界に五十本しか無いのよ。いったい幾らすると思ってんのよ?」

 祝杯用に、ワインの王と呼ばれる赤の中でも更に特別な逸品を用意したというのに、それを、ワインでもいいか、とは何事か。

「酒は値段じゃないのよ。ま、飲むけど。ソロモン、それ飲んだら帰ってよ。そして二度と来ないで」

 まったく。ああ言えばこう言う。お気に入りのワインをこう切り捨てられては、ナポレオンも嘆くに違いない。

「ああ、うるさい、うるさい。嫌でも来るわよ。何と言われてもしつこく会いに来るからね」

 年下の友人を、困ったように、しかしふてぶてしく見詰めてシスター・セレンは吐き捨てた。

「いい性格してるわね」

「あんたほどじゃないわ」

 ソロモンも負けじと強く言い返したが、言葉とは裏腹に、柔らかい眼差しで彼女を見詰めた。その口元は笑っている。シスター・セレンはもう一度、嫌そうに溜息を吐いた。

「それにしても、この私に懐くバカが三人もいるとはね。私の本性を知らないギムレイはともかく。あんたも、ノーラも、どうかしてるわ」

「本当に口さがない……」

 罵ってはみるが、もう嫌味は込められない。なんとなく毒気を抜かれてしまった。

 まあ、いいか、とソロモンは思う。どんな態度をされても、まあ、構いはしない。してくれた恩は忘れない。それに、自分は案外このひねくれた女が好きだ。

 一瞬の思考を読んだのか、ふっ、と鼻で笑って、シスター・セレンは流麗な所作で右手を胸に当て腰を折った。

 騎士の礼である。

「虚構世界ディアナポリスの王に心より敬意を」




       END

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イノセント・ダーク ~INNOCENT DARK~ THEO(セオ) @anonym_s

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