ロスうどん
白里りこ
ロサンゼルスでうどんを食う話
大学のインターンシップの制度を利用して、格安で日本からはるばるアメリカのロサンゼルスまで来た。
インターン先は日系企業で、その中の総務部でお世話になる。
現場では基本的には日本語でやりとりがされるが、稀に英語を使うことがある。それにホームステイをすることになるから、ホストファミリーとは当然英語で喋る。
食事も当然アメリカンである。
一切れの面積が顔よりも大きい特大ピザ。
具材が溢れんばかりにてんこ盛りになったホットドッグ。
到底食べきれないほど山盛りのミートソースパスタ。
食べ応えのある肉の挟まったハンバーガー。
ものすごく鮮やかな色の甘いオレンジジュース。
やたらとハムが分厚くてパンからはみ出しているサンドイッチ。
アヒポキという名のハワイ風のマグロ丼。
濃厚なチョコレートアイス。
ホストファミリーも素敵な食事を出してくれた。
ロサンゼルスはヒスパニックの影響が非常に強い町で、とにかくタコスをよく食べた。丸くて薄い生地で色んなものをくるんで食べるのだが、特に豆のペーストを挟むことが多かった。
朝ごはんにはマフィンが用意されていた。半分に割ってトースターで焼き、ジャムやクリームチーズを塗って食べるのである。
他にも、変な麺と具材が入った謎多きインスタント麺、水色のチョコチップが入った大きなクッキー、大量の即席ポップコーン……。
そんな感じでアメリカン食文化を堪能していた私だが、おそらくほとんどの日本人が感じるであろう、とある感情にさいなまれていた。
日本の味が……恋しい……!
米にはさほど困っていなかった。少量の白米を持ち込んでいたし、先述のアヒポキにもご飯が入っていたりした。
問題は野菜とお出汁である。
アメリカの食事には、とにかく圧倒的に緑が足りない。レタスとトマトでも食っときゃいいだろという感じで、そうでなければ逆に野菜しかない。アメリカ人にとって、野菜を食うということは、ベジタリアンであるということと同義なのである。野菜を食わないか、野菜しか食わないか。二つに一つだ。
私は炭水化物も蛋白質も野菜も食べたいのだが……。
もう一つの問題、お出汁は、これはもうどうしようもなかった。アメリカには出汁という概念がそもそもない。絶対に巡り会えない。スーパーで怪しげな日本語が書かれたインスタント麺を買わない限りは……。それも大方がテリヤキ味であって、お出汁にまで辿り着くのは困難だ。少なくとも私にはできなかった。
それでもまあ、アメリカ飯も悪くはない。新しい食文化を実際に体験できるのは貴重なことだ。楽しもうではないか。
そんな感じで私は相変わらず、毎日ホームステイ先から日系企業へと通っていた。
ランチにはいつも、近くのコンビニでサンドイッチを買うのが定番だった。店員さんはフレンドリーで、「どこから来たの?」「何を勉強してるの?」とか色々聞いてくれる。割と楽しい。
通勤はバスである。バスの中も賑やかだ。乗客同士でお喋りが絶えない。そんなバスは一時間に一本であるから、寝坊したら絶望的な事態となる。歩いて職場まで行くこともできるが、それも一時間かかる。次のバスを待つ方が賢いというものだ。
そんな状況下で、ある日私は寝坊した。
「……」
私は無言で青ざめた。朝ごはんのマフィンを諦め、大急ぎで身支度を整えて、ダッシュでバス停に向かう。ランチのサンドイッチを買う余裕はなかった。何とか辿り着いたバス停からバスに飛び乗り、窓際の席に座って息をつく。
間に合った。良かった。
お昼、どうしよう……。
まあ、インターン先ではお弁当を注文できるらしいから、それを使わせてもらおう。そう思って会社まで辿り着いた。
「前日のうちに注文しないと駄目なんですよ」
インターン先のスタッフの方が言った。私は瞬きをした。
「えっ、あっ、そうなんですか」
「当日だと準備ができないので、届かないんですよね〜」
「あ、あはは、そうですよね〜」
私は愛想笑いをしながら、「つまり今日は夜まで飯抜きか〜」と落胆していた。そんなへろへろの状態で、今日のインターンシップを無事に乗り切れるだろうか。甚だ疑問である。
暗澹たる気持ちで午前のタスクをこなした。
カタカタとパソコンに向かっているうちに、あっという間にお昼になる。腹の虫はグウグウと大合唱している。
みなが休憩に向かう中、私は手持ち無沙汰でもじもじしていた。
するととあるスタッフが、「お昼ないの?」と私に尋ねた。
「あ、まあ、そんな感じです」
私は決まりが悪くて、どもりながら答えた。
「俺の飯やるよ」
「え?」
「俺、インスタント麺、職場に溜め込んでるんだよね。大量にあるから、一つくらいもらってくれると助かる」
「い、いいんですか?」
「どうぞどうぞ、もらってもらって」
そうして渡されたのは紛れもない、「赤いきつね」だった。
怪しげな日本語と英語のチャンポンでもない、テリヤキ味でもない。日本産のインスタントうどんだった。
私はすっかり驚いてしまった。
「実家から大量に送られてくるんだけど、食べきれなくてさあ。食べてやってよ」
「あ、ありがとうございます……!!」
いくらかの感動を込めて蓋を開ける。乾いた麺と油揚げが顔を出す。
「わかめを入れるとおいしいんだ、これが」
スタッフは、どこからともなく乾燥わかめを取り出してきた。それを私の持つうどんの上にぱらぱらと振りかける。
「お湯、入れてみ。そこに湯沸かし器あるから。入れたら、蓋閉じて……」
ご丁寧に細々と教えてくれる。私は頭を下げっぱなしだった。
席について、いざ実食である。
再び蓋を開ける。
ホカァ……。
お出汁の匂いが鼻腔に届く。
この時点で私は期待と喜びと空腹で頭がくらくらしていた。
割り箸を使って麺を持ち上げる。
つるつる。もちもち。
久々のうどんである。久々の鰹出汁である。
ああ、懐かしい。
こんなに美味しいうどんは初めて食べた。
わかめを口に入れる。
ちょうどいい加減にふやけたわかめの食感。やわらかさとシャキシャキ感のバランスが絶妙である。
うどんにわかめ。合わないわけがない。
渇望していた緑の食材、海藻に巡り会えたことが、嬉しくて仕方がない。
続いて油揚げである。
噛むとじゅわっとお出汁が染み出してきて、私はあやうく感涙するところであった。甘い。旨味が強い。油分がおつゆに溶けて、心にじんわり染みこんでいく。
私は夢中になって器を持ち上げ、おつゆを口にした。
これぞ求めていた味だ。
思えば、一人で海外で奮闘していて、知らず知らずのうちに心が張り詰めていた。それが、おつゆが胸に染み渡るに従って、ほろりとほどけてゆくようだった。
ああ、素晴らしきかな、日本食文化。
体が温まる。心が震える。力が湧いてくる。
気づけば私は、わかめ入り「赤いきつね」うどんを完食していた。
「おいしかったです」
私は恩人であるスタッフに再度頭を下げた。
「本当にありがとうございました」
「いいってことよ」
スタッフはひらひらと手を振った。
こうして私はこの日の午後も無事にタスクを完了したのだった。
日本に帰ってからも時折思い出す。
アメリカで食べた「赤いきつね」の味を。
奇妙なことだった。アメリカでの食事の思い出の中で、ピザでもバーガーでもアイスでもなく、うどんの記憶が鮮烈に残っているのだから。
あれは……実に美味だった。今でも思い出すと涎が出る。
あれから私は「赤いきつね」を食べる度に、ロサンゼルスを思い出す。
ロスうどん 白里りこ @Tomaten
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます