13
店を後にした音無の元に電話がかかってきた。先に会社に戻っていた月島からだ。
「おう、俺だ」
軽く返事をすると、いつもは無駄に溌剌と挨拶してくる月島が随分歯切れが悪い調子で返事をしてくる。
「……お疲れ様です。夜半さんの原稿はちゃんとコピーを取ったうえで、矢車さんと樋口さんのところに届けてもらってます。それで、頼まれてた朝方さんの応募原稿なんですが……」
「どうした、応募されてなかったのか?」
戸惑っている様子の月島に、音無は先回りして確認する。しかし、月島は即座に否定してくる。
「いえ、そういうわけではないんです」
「じゃあ、また何か普通じゃない原稿だったりするのか?」
思わず訝しむような声になって音無は尋ねる。夜半は朝方の原稿に手を加えていないとは言っていたが、万が一その言葉が嘘だった場合、朝方の原稿も夜半の魔法にかけられている可能性が出てくる。それだけで、その応募原稿の取り扱いの難しさが一気に跳ね上がる。そんな懸念が、音無の口調に表れていた。
しかし、月島はまたしても音無の言葉を否定する。
「そうでもなくって。既に下読みの方が読まれているんですけど、別に特に変わったところはない、普通の小説だったそうです。ただ……」
「ただ?」
もったいつけるような月島の言葉に、音無は先を促すように聞き返す。月島は戸惑いを隠さずに言葉を続けた。
「……応募原稿が一部じゃなかったんです。応募者全体の中でも断トツで多くて……」
月島のその言葉に、急に胸がざわめく。
PFノベル大賞の応募規定的に、個人が複数応募することは禁止されていない。だが、半年前から小説を書き始めた朝方がそれほど多くの作品を完成させられるとは考えづらい。
そして、筆の速さというものは、才能よりも経験がものをいう世界だ。もちろん、同じキャリアの人間であっても作品を完成させるスピードに多少差はあるだろうが、本気で小説を書き始めて半年の人間なら、せいぜい二、三作品を完成させるのが限界のはずだ。
だが、音無の直感が告げる。朝方が応募してきた作品の数は、きっとその程度ではないと。
「……全部で何作あったんだ?」
恐る恐る尋ねる音無に、月島も息を吸ってから答える。
「――全部で十二作品です」
それは、音無の想像をはるかに超える数字だった。
月島の言葉に驚愕するとともに、音無は胸のざわめきの正体に思い至る。
半年で十二作品の小説を仕上げるなど、真っ当な人間にできる芸当ではない。短期間でならそのペースで作品をかける人間はいるかもしれないが、どんなに文章を書くことが好きな人間でも、半年という期間の間そのペースを維持し続けることは不可能だ。
だが、もしそれを可能にする力があるとすれば?
音無の脳内に、先ほどの夜半との会話の記憶が呼び起こされる。
彼女は、自分がついているから朝方が筆を折ることはないといった。それは恋人として献身的に支えるという意味だとその場では納得したが、もしそこに別の意味があるとするならば?
夜半の小説には、人の欲求を突き動かす力があった。読書に没頭した経験がなく、『本を読みたくなる小説』の魔力にはとらわれなかったという朝方だが、もっと別の小説を読んだのではないのだろうか?
例えば、
音無は振り返って先ほど出たばかりの喫茶店の中に目を向ける。
文章という名の魔法を自在に操る元天才作家、夜半光は、未だに涼し気な様子でコーヒーカップに口をつけていた。
『本を読みたくなる小説』~終~
『本を読みたくなる小説』 礎 文哉 @ishizue
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