【作者のおぼえがき (2019年 4月)】
わたしは戯曲や小説のひとに見せられるような作品をつくる能力はないと思っている。しかし、戯曲か小説になるかもしれない設定を思いつくことはある。ときたま、ものがたりの断片を思いついて書きとめておきたくなることもある。
わたしは元号 (年号) の制度は廃止したほうがよいと思っている。しかし、制度が続くかぎりは使う必要が生じるから、新元号のニュースは気にかけた。新元号の出典が万葉集だと聞いて、まえに思いついたことを思いだした。
日本語がいまのようなものになるまでの歴史のなかで、万葉集が重要なやくわりをしたことは、たしかだろう。
そこで、わたしは、万葉集が完成したとき、編集にたずさわった人が、その仕事をふりかえる、独白か、対談の形で、「自分たちは、日本の国民がつかう言語をつくることに、このように貢献したのだ」とのべるような、戯曲か小説があるとよい、と 思ったのだ。
それと関連して「国語元年」ということばに思いあたった。
調べてみると、井上ひさし による戯曲の題名だ。1985年にテレビドラマが放送され、1986年に本が出版されている。わたしはそのドラマや演劇を見たことも本を読んだこともなく、くわしい内容は知らない。明治のはじめに近代日本語がつくられる過程で、方言と共通語(標準語)との関係が問題になる話だ、ぐらいは知った。
【 注: 「国」と「國」とは同じ字の字体のちがいだと認識しており、「国」で代表させている。】
わたしが万葉集の完成という設定を思いついたのと、「国語元年」ということばを知ったのと、どちらがさきかはおぼえていないが、いつからか、わたしは「国語元年」でこの設定を思いおこすようになっていた。しかし、設定があるだけで、ものがたりの内容はなかった。
今回の元号の出典としてあげられたのが、万葉集のうちでも、大宰府の長官をしていた大伴旅人のもとで梅の花をみる宴会に集まったみんなが歌をつくったことの説明文だ、と知って、創作と言えるかどうかわからない空想が、だいぶすすんだ。
架空の人物を登場させ、歴史に解釈をくわえたが、歴史を変えることはしなかったつもりだ。
ものがたりを文章にするにあたって、わたしはときどき意識的に、むかしにはあるはずのない現代語をつかう。
ここでは、たとえば「編集委員長」だ。地の文が現代語なのだから、ものごとの名まえも、もし現代ならば言いそうな表現がまざってよいと思う。
もうひとつの「国語元年」 顕巨鏡 @macroscope
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