「東歌」は日本語づくりの一歩だった

 任国に帰って、地方役人の会議のあいまに娯楽がほしくなったとき、やまと のことばで歌をうたってみよう、と呼びかけた。次のときには、やまと のことばで歌をつくってみよう、と呼びかけた。ふだん地元のことばしか話さない人も、歌では やまと のことばを使う人がふえてきた。

 東国に転任して、あちこちでそのようなことをやった。万葉集には「東歌あずまうた」として貢献できた。賛同してくれた軍人が「防人歌さきもりうた」を編集してくれた。しかし、このようにしてわたしがとりくんだ正面の課題は、歌でも文芸でもなく、日本を、いなかに行っても同じことばが通じる国家にすることだったのだ。日本のことば、日本語、と言ってもよいだろう。

 ただし、この日本語は、やまと のことば そのものではない。「東歌」のことばは、東国の人がふだん話していることばではなく、彼らが努力して やまと のことばで歌ってくれた結果なのだが、やまと の人とはちがう発音になっているところがある。わたしはそれを やまと の発音になおさないで記録した。これを、どうか、東国の人は おとっているという評価につなげないでほしい。実は、東国にかぎらず、日本各地の人が話している日本語の発音は、同じではないのだ。やまと の人は、8つの母音を区別する。万葉集の「東歌」以外の巻では、それを区別して書くようにした。しかし、東国にかぎらず、やまと以外の地方の人は、その全部を区別してはいない。次の世代の人が日本語を書くとき、文字の書きわけは、万葉集とはちがうものになるにちがいない。

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