生ける生首と化す奇病に冒された男が、幼なじみの男に引き取られ、一寒月の余命を使って最後の旅に出るお話。
現代ものの、すこし不思議な掌編です。
作中に登場する「エッグマン病」の設定、体が縮んで頭部だけになる架空の奇病が白眉。個人的には、それを冒頭だけで一気にわからせてくれる描きっぷりが大好きです。
明らかにこの世に存在しない、どう見ても異様な光景を、でも当然のことのように淡々と説明する、という、その振る舞い(書かれ方)そのものが伝えてくれる、この物語の世界観。
書かれている言葉の意味ではなく、書き方でものごとを伝えてくれる文章は、もう単純に読んでいて心地よいからたまりません。
このインパクト抜群の設定から、さぞかしぶっ飛んだお話なのかと思えば、さにあらず。
とても実直で素敵な物語でした。あまり具体的に触れるとネタバレになりそうなんですが、とても胸を打ついい話。ほっとするというか、じんわりきます。
結末、というか主人公の行く末というか、描かれていることは間違いなく「死」そのものなのですが、このあまりにも理想的な穏やかさが好き。好きっていうかもうだいぶずるいです。
絵空事だとわかっていながらも、自分もこんなふうに死ねたら、とつい願ってしまう。
逆説的に浮かび上がる現実に、胸の痛みを感じさせてくれる佳作でした。
〈おれはとてもしあわせだった。〉
終わりに見る光景がどんなものがいいかって、たぶん、終わりも知らない人間が気軽に語っていいのだろうか、とは思うのですが、でももしも終わりを前に、しあわせ、を感じるとしたら、彼が終わりに見たような色彩なのではないか、と感じました。
日本で発症を確認されたのがおそらく二例目とされる奇病中の奇病、俗に〈エッグマン病〉を発症した〈俺〉は、体が縮みハンプティ・ダンプティのようになっていく病魔に蝕まれながら、入院先で孤独に過ごした。そして退院の日、身寄りのない状況に困っている〈俺〉を迎えにきてくれたのが、幼馴染のモモこと桃園陽一だった。モモは縮んでしまったりはせず、そしてふたりは旅に出ることになった。……というのが、導入です。ですが、奇病の妙なリアリティ、旅の中で見る景色、感情を交わしていくふたりの姿の魅力は、縷々とあらすじを綴ってみたところで伝わるものではないでしょう。ぜひとも私のレビューなんかよりも、本文を読んで欲しいところです。
〈モモがペダルを漕ぎ出すと、世界の感覚が一気に変わった。最初はかなり揺れて気分が悪かったが、しばらくするとおれは残された手足を使って、クッションを敷いたキャリーの中で居心地のいい姿勢をとれるようになった。〉
何故、会社をひと月休んでまでモモが、〈俺〉と一緒にいることを選んだのか、そこに関する一応モモの口から語られる部分はありますが、必要以上に、詳らかに明かされることはありません。でも分かりやすい言葉を当てはめるよりもそのほうがずっと、心を寄り添わせやすい。
進行の続く病のいまを写し取るような変わっていく文体に、彼らのいまを感じ取りながら、幕を閉じて、切なくも静かな余韻に包まれる感覚がありました。