第九章 お膳立てからの、振り絞った勇気⑥

「ど、どうしよう……」


 友達が作ってくれた用事を優先するか、俺との約束を優先するか。

 心の底から迷う枝折を見て、俺はすかさずこう言った。


「まあ待て。断るにはまだ早い」


「え?」


「俺のとの約束はいいから、小森との約束を優先しろよ。せっかくの機会なんだ。俺なんかのために断るのはもったいねえって」


「で、でも、映画が……」


「映画なんていつでも観れるし。上映期間終了に間に合わなかったとしても、後で配信サービスか何かで観ればいいしな。どうとでもなる映画なんかより、小森たちと遊園地に行く方を優先するべきだよ。うん、お前はそうするべきだ」


 枝折の言葉を待たずに、早口で捲し立てる。


 勇気を出して友達の輪を広げようとしている枝折の邪魔をしているのは、他の誰でもないこの俺だ。……俺さえ我慢すれば、他の全員が幸せになれる。


 だから、お前は我慢しなくていいんだよ。

 俺の身勝手でお前が辛い思いをする必要なんて、どこにもないんだ。


「重音は本当に、それでいいの?」


「ああ。もし配信もされそうになかったら、最悪一人で観に行くよ。だから枝折は気兼ねなく小森たちの方に――」


「……にしてたのに」


「枝折?」



「私は楽しみにしてたのに!」



 突然の絶叫に、俺の鼓膜が悲鳴を上げる。

 見ると、枝折の目から、大粒の涙が零れ落ちていた。


「重音が私を映画に誘ってくれた時、私は嬉しかった。だからずっと、その日が来るのを楽しみに待ってたのに……どうしてそう簡単に諦められるの……っ!?」


 怒っている……とは、少し違う。

 枝折は、泣いていた。

 心から、悲しんでいた。


「私は、重音から映画に誘われた時、凄く嬉しかった。どんな服を着ていこうとか、どうやって過ごそうとか、ずっとずっと考えてた……なのに、どうして重音はへらへら笑いながら全部斬り捨てちゃうの……? 重音は、私と映画に観に行くのが楽しみじゃなかったの……っ!?」


「そ、そうは言うけど、俺と映画に行く約束のせいで、小森たちとの約束が……」


「唯奈ちゃんたちと遊べなくなるのは残念。でも、それ以上に、重音と映画館に行けなくなる方が嫌だから、断ろうって思ったのに……重音にとって、私との約束は、その程度のものだったの!?」


「ま、待てよ、落ち着けって。その程度とか、一言も言ってないだろ。ただ、俺みたいなぼっちとの約束なんかより、友達の輪を広げるチャンスの方を大切にした方が、特別なお前にはいいと思ってだな」


「私は特別なんかじゃない。私は重音の幼馴染み。それ以上でもそれ以下でもない。なのにどうして、重音は私を特別扱いするの? どうして私なんかのために、自分を犠牲にしようとするの……っ!?」


 枝折を自分と同等だなんて、考えたことすらない。

 というか、考えられるわけがない。


 いつだって周りからチヤホヤされていて、毎日のように男子から告白されていて、何もかもが常人とは違う……そんな枝折を自分と同じに扱うだなんて、そんなの、絶対無理に決まっているじゃないか。


「特別扱いも何も、お前は特別だろ。みんなから憧れられる存在で、歩いているだけで注目されるような絶世の美少女で……。大した取り柄もない、どこにでもいるような凡人でしかない俺なんかとは天と地ほども違う。同等なわけがねぇだろ」


「特別扱いしてくれだなんて、一度もお願いしたことない! 望んでこの顔に生まれたわけでもない! なのに、重音はいつも勝手に私を持ち上げる。私は重音と同じ場所に立っていたいのに、重音は自分を卑下して、私の邪魔ばっかりする……」


 枝折の目から大粒の涙が零れ落ちる。目元は赤く晴れ、唇は小刻みに震えている。

 こんなに怒っている枝折を見るのは、生まれて初めてだった。


「ねえ、重音。重音にとって私は何? 対等な幼馴染みじゃないの? 違うの?」


「それは……」


 美少女と一般人。

 非凡と平凡。


 対等なはずがない。ただ偶然、幼馴染みという間柄に生まれただけ。

 幼馴染みという関係性を取り除いたら、俺と枝折を繋ぐものは何もなくなる。


「……俺とお前が対等になるなんて、無理だ。だってお前は俺と違って、特別な人間なんだから」


「っ。……もういい」


 そう言うと、枝折はスマホを耳に当てる。


「唯奈ちゃん。今度の土曜日、大丈夫。うん、大丈夫。気にしないで。……楽しみにしてる。うん。じゃあ、また」


 三度目の通話は数秒にも満たなかった。


「…………」


 通話を終えた枝折は無言で荷物をまとめ始める。すぐに彼女を止めるべきなのかもしれないが、俺は動くことはおろか声を発することすらできなかった。


「重音のばか」


 そんな言葉を残し、枝折は俺の部屋を後にした。

 残されたのは、完全に冷え切った紅茶と手付かずのクッキー。そして部屋の真ん中で呆然と立ち尽くす、哀れな凡人。


「……何でこうなっちまうんだよ」


 ベッドに背を預けるように、座り込む。天井を見上げると、熱いものが頬を伝った。


「俺は、ただ――くそ、ちくしょう……」


 その日を最後に、枝折が俺の部屋を訪れることは無くなった。

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【書籍版12月発売】機械音痴な幼馴染が我が家でリモート授業を受けているのは、ここだけの秘密。 秋月月日 @tsukihi7

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