第2話 吉祥寺南町1-1-I「異世界横丁」には、異世界スイーツ専門のパティスリーがある
「わかっていただけましたか」
「うーん……」
あたしは唸った。
ここはイェルプフのお家。木のうろだよ。木が信じられないくらい太いからね。うろとはいえ、あたしのボロアパートより広い。うまいこと窓が作ってあるから陽が射して、思ったより明るいし。住み心地は良さそう。
「ここが異世界だって言われてもねえ……」
風景からして、吉祥寺じゃないのは確かだけどさ。
「そもそもなんで日本語話してんのよ」
「この子が教えてくれたんですよ」
出されたミルクっぽいものを飲み終わったブーちゃんは、自分の尻の穴とかペロペロ舐めてるわ。
「それなら猫語でしょ。あるのか知らないけど」
「わかるんですよ、この子を通して」
イェルプフは微笑んだ。見た感じ、あたしと同じくらいの歳だし、タメ語でいいよね。
「はあ……」
「で、どうでしょうか」
「あたしにバイトしろっての、謎なんだけど」
イェルプフの頼みは、店の手伝いだった。
「いえこの子の口利きで、吉祥寺にお店を出したんですよ。こっちの名産を使ったスイーツのお店」
ブーちゃんの頭を撫でてるわ。ごろごろ言って、イェルプフの手なんか舐めてるけどブーちゃんあんた、さっきまでお尻舐めてたじゃないさ。遠慮しなよ、少しは。
「でもやっぱり、異世界は慣習とかがよくわからなくて。誰か、現地の人に手伝って頂こうと……」
「うーん……」
どこからツッコめばいいんだろ、これ。
「まず猫の口利きってなにさ。それになんでわざわざ異世界に店なんか。あの通路はあんたが開けたってわけ? そもそもブーちゃんがなんで通路を通ってんのさ。それに――」
機関銃のようにまくし立てるあたしを優しく手で制すると、イェルプフはお茶を淹れてくれた。お茶請けも出してくれる。
「順にご説明します。まずはこれをどうぞ。……お店で出しているスイーツ。作っているのは、私の兄です」
「毒、入ってないでしょうね」
眉を寄せたあたしを、ブーちゃんが呆れたように見つめてる。なにさ。あんたがややこしい事態に誘い込んだんじゃん。なに他人事みたいな顔して、またしてもお尻舐めてんのよ。
とはいえこのスイーツ、美味しそう。見た感じショートケーキ。クリームで荒っぽく包まれてるから、素朴な感じの。上に小さな木の子が乘ってる。グラッセかな。表面つやつやしてるし。
「死んだらブーちゃん、あんたを恨むから」
ダメだ誘惑に負けるわ、あたし。
ぱくっ。
木の匙でひと欠け、口に放り込む。口いっぱいに、クリームの上品な甘さが広がった。
「中はスポンジケーキか。……お酒随分入ってるね」
ラム酒? ううん、ブランデーでもないし。でも甘い香りが鼻に抜ける。
「蜂蜜酒ですよ」
あたしは木の子部分を崩して口に入れた。
「なにこれ。めっちゃ美味しいんですけど。木の子じゃなくて栗みたいじゃん、味。どういうことよ」
夢中になって食べ進むあたしを、イェルプフが微笑んでみてたわ。
「えーと……」
いけない。あたし、スイーツ欲全開だったわ。
「ま、一応話だけは聞いてあげる」
「良かった。まずそもそもはですねえ……」
イェルプフの話は、長く続いた。
●
「いらっしゃいませーっ」
暖簾を潜って入ってきた上品なおばさまに、イェルプフと声を揃えて挨拶する。結局あたし、バイトすることにしたわ。
「今日は六つ頂戴」
「ありがとうございまーすっ」
陳列ケースから木の子スイーツを取り分けると、箱詰めする。
「どちらまでお持ちですか」
「近所だから保冷剤はいいわよ」
「かしこまりましたー」
それにしてもねー。ここ吉祥寺駅前のハモニカ横丁じゃないさ。こんなとこに異世界スイーツ屋があるなんて、想像もしてなかったわ。あたしとイェルプフは毎朝、あっちの世界からその日の分のスイーツを持ち込み、ここに並べる。
イェルプフはうまいこと髪で耳を隠してる。なにか聞いてくるお客様には、日本のことあまり知らない留学生ってことにしてるわ。
あたしもう大学サボりまくりだけど、まあいいか。こんな経験、多分、この先一生できないだろうし。
え? ブーちゃん? あの子は変わらないよ。和菓子屋で、例によって毎日ごろごろごーろごろ。
あたしが通ると、訳知り顔でにやにやするんだわ。いや笑ってる気がするだけなんだけどさ。でも多分笑ってる。お前はアリスのチェシャ猫かよって。異世界にアリスを案内するのはうさぎの役目でしょ。なんでブサ猫がやってんのさ。
えっ? そもそもあたしがアリスみたいにかわいくないって。あーそこは総スルーでひとつよろしく。
武蔵野市吉祥寺南町1-1-I「異世界横丁」パティスリー 猫目少将 @nekodetty
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