武蔵野市吉祥寺南町1-1-I「異世界横丁」パティスリー

猫目少将

第1話 寝坊したら、猫が散歩に連れてってくれた

「あーっヤバい。もう昼前じゃん」


 あたしはベッドで毒づいた。なんで今日に限ってアラーム鳴らないのさ。鳴ったのかな。またあたしがスマホ放り投げたとか。あは。


「まあいいか」


 外せない講義が朝イチだったんだけど、仕方ない。大学は自主休講だわ。どうせ彼氏もいないし、無理して行くことないよね。


「とにかく国民の祭日ね。えーと……うん、いい女の日」


 厚かましい? いいでしょ自称くらい。誰も言ってくれないんだからさ。


 コーヒーとトーストで手早く朝食にして、アパートを出た。


「いい天気」


 春の陽気。ぽかぽかして、晴れやかな朝日が気持ちいい。……朝日じゃないか。まあいいや。個人的朝日ってことでひとつ。


「よし。お池のお散歩だ」


 中央線のガードを潜り、右手に吉祥寺駅を見ながら歩く。左に折れて、井の頭公園に続く道に。


 ここ曲がると、いい匂いなんだよねー。焼き鳥屋が仕込みで串、焼いてるから。


「よう、ブーちゃん、元気か」

「ごにゃーお」


 いつもどおり和菓子屋の、小汚い看板猫に挨拶する。不細工な三毛猫。鳴き声が濁っててブタみたいだから、ブーちゃんって勝手に呼んでる。店前の古びた木のベンチにのびのび横になって、無防備にお腹を晒してごろごろ言ってるんだ、この子。


「ごなーお」


 あら、珍しく頭を起こしたわ。体を伸ばすと大あくび。招き猫座りに。


「今日はご機嫌ね」


 しゃがんで顎の下を撫でてやると、頬をすりつけてくる。


「あたし今日寝坊しちゃってさー。嫌んなっちゃった。なんか面白いことない? どっかにイケメン落ちてるとか」


「ななーお」


 ひょいっとベンチから降りるとすたすた。数歩進んで、振り返った。


「なおーお」


 また数歩でこっちを見る。


「なにあんた。あたしを呼んでるの」

「なーお」


 なんか頷いたような。


「まあいっか。どうせ暇だし」


 面白いんで、後をついていくことにした。いいよね、たまには。


          ●


「あんたよく歩くね。実は犬じゃないの」

「なーお」

「猫って一日中、寝てるもんじゃないの。ごーろごろして」


 どうせすぐどっかにいなくなると思ったけど、そうでもなかった。坂道を降りて井の頭公園に。平日だけに人は少なめ。それでもベンチで読書とか木陰でミュートしたトランペットとか、いつも通りだわ。


 ブーちゃんは池の端をどんどん進む。かつての武蔵野の姿を今に残す公園は、気持ちいいよね。


「あんたがイケメンだったらねー。これ、もはやデートでしょ」


 井の頭自然文化園――動物園兼植物園みたいなとこね――との境に来た。といっても入場口じゃない。なんか知らないけど、隙間を通って勝手に中に入っていくわ。


「猫は入園無料ってね。……あたしもいいかな。今はこの子の保護者だし。帰りに払うわ」


 身を横に、すり抜けるように中に。ブーちゃんは、突然駆け始めた。


「マラソンでもしようっての。待ちなよ」


 なんとか小走りで後を追う。マジ運動じゃん。ジャージで来ればよかったか……いや、いい歳の女子がジャージで公園とか、恥ずかしすぎるわ、やっぱ。


「なーご」


 いきなり立ち止まったブーちゃんが、あたしを見つめてきた。


「なにここ。……前に象さんがいたとこでしょ。花子とかいう」


 たしかにゾウ舎だ。放置で荒れ果ててはいるけど、まだ看板が残ってるし。ここの象さんは、たしか数年前に亡くなったはず。


 壊れた隙間を抜けて、ブーちゃんは入っていく。


「これじゃ空き巣じゃん」


 愚痴りながら続く。まあいいよね。捕まってもお説教くらいだろうし。寝坊サボりついでの、あたし的大冒険。


 舎内は薄暗いわ。灯りとかないし、当然だけど。


「ななーご」


 あら、壁の隅に割れ目がある。ひと声鳴くと、するすると入っていく。あたしも身を屈めれば通れそう。


「んじゃあ行くか。毒を食わなの焼きハマグリだわ」


 なんか違う気もしたけど、まあいいわ。


 ほこり臭い割れ目に入り込む。てか、なにこの壁、いやに分厚い。三メートルくらいあるじゃん。どんだけ頑丈に作ったのさ。


「はあ、やっと抜けた」


 やけに眩しい。春なのに、なんか真夏の沖縄の陽射し並。まあ沖縄、行ったことはないんだけど。


「ここは」


 夢かと思った。だって見慣れた武蔵野の光景じゃないじゃん。


 あたしが立っているのは、どこかの丘。緩やかな斜面がずっと下まで続いてて、はるかに遠く望める急峻な山には、どうどうと轟音を立てる滝が見えている。


 振り返ると大木の森。あたしとブーちゃんが抜けてきた穴は、転がってる大きな岩に開いてるみたい。壁、どこ行ったのさ。


「なに、ここ」


 素知らぬ顔で、ブーちゃんは耳の後ろなど掻いている。


「これはこれは」


 突然、声がした。木陰から誰かが姿を現して。


 かわいい女の子。着てる服は、見たこともない形。シャツとショーパンっぽいけど、ボタンじゃなくてダッフルコートみたいなヘンな留め方。


 それに日本人でもなさそう。金髪に緑の瞳だし。


 そもそもコスプレキツイわ。だって耳が長いじゃん。これ、アニメで見るような。


「なに、エルフのコスプレ。てか、ここどこ。あんた誰。ブーちゃんの飼い主?」


 その子は微笑んだ。


「ここは、えるはらあん。私はエルフのイェルプフ。あなたは異世界の方ですね。ひとつ頼みがあります」

「どういうこと!」


 あたしの叫び声は、高い空に吸い込まれていったわ。

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