エヴァに「綾波レイ」は必要だったのか
綾波 宗水
綾波の話をしていると、ぽかぽかする。
NERV戦略作戦部作戦局第一課課長・葛城ミサトを上司に、彼女はエヴァンゲリオン零号機の専属操縦者を務める。
血液型は不明。第3新東京市立第壱中学校2年A組に通う14歳として登場する水色のショートカットの少女。色白で赤い瞳を持つ。
綾波レイ。
現代アニメ文化において、彼女の大まかな設定はよく知られているところだろう。そのため、まずは彼女の戦績から振り返ってみようと思う。
まずTV版。なお、(単)は綾波レイひとりで使徒を殲滅したことを意味し、(複)はシンジなど複数のエヴァ操縦者と共に殲滅したことを意味する。
①第5使徒(複)・第9(複)・第10(複)
②第15(単)
③第16(自爆)
④第13(被害)・第14(被害)
なお、旧劇場版は戦闘として換算しない。新劇場版では第6使徒と第8使徒を複数機で撃破しており、第10使徒に被撃破被害という結果に。
さて、単純に計算した上記の戦績に加え、主人公・碇シンジとのファーストコンタクトでは、先のエヴァ零号機起動実験の事故によって重傷を負い、包帯&眼帯姿で登場している。
そしてしばらくの間、レイと零号機は実戦運用をなるべく避ける流れとなり、シンジが多大なる重責を負う事に。
つまり、冒頭で私が確認しておきたいことは、エヴァというコンテンツのみならず、その世界内においても、綾波レイの兵力的価値はさほど重要ではない、ということだ。それは零号機が試作機段階である事からも分かるだろう。
では、使徒と闘うことを目的とし、シンジの成長をその物語の手段とする本作において、綾波レイは実際、どのような役割を担っているのだろう。
現在の視点から考えれば、概ねこういったことが言えるだろう。
「綾波レイは、シンジの母・ユイの肉体?と、リリスという使徒の魂?でできており、人類補完計画の要的存在だ」
なるほど、これは確かに本作には欠かせない存在…………と落ち着くのは早計だ。
これは作中での役割をなぞっているだけで、では人類補完計画は本当に必要だったのか?といった具合に堂々巡りに陥る。
そうではなく、綾波レイというキャラを創設してまで、そのポストは必要だったのか。
上記の説明においても、その儀式によって誕生した生命が、どうしてユイではなく綾波レイであったのだろう。
ここで考えられるのは、魂と肉体とを区別した際、我々は魂を上位に捉えていることだ。
これはエヴァンゲリオンという兵器そのものにも言える。つまり肉体は存在しているが、そこに魂がなくては動き出すことはできない。一般的な生死への捉え方もこういったものだ。
興味深いのはエヴァンゲリオンが従来のロボット兵器と意味を同じくする「人型決戦兵器」ではなく「汎用人型決戦兵器」である点だろう。
汎用とは、いろいろの方面に広く用いることを意味する。すなわち、エヴァに課せられた使命と、その運用目的は使徒殲滅だけではないということを表す。これは例の人類補完計画を暗示させるものかもしれないが、この推察も先に述べた作中設定のなぞりである。
では、汎用はなぜ必要なのか。それは魂という意思決定さえあれば、肉体は可能な限り自由に行動する、という本来の肉体性をより再現していると考えられる。
第2次大戦後の世界の代表的知識人として知られるフランスの哲学者ジャン=ポール・サルトル(1905‐80)の思想に「実存は本質に先立つ」というものがある。
また彼は「人間は自由という刑に処されている」ともいう。
やや難解なので、サルトルのパートナーであり、同じく実存主義を思索したボーヴォワールの「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という言葉も参考にしてもらいたい。
肉体や機体は実際にある本質であるが、それを生かすも殺すも魂次第、つまり意思決定者である現実存在(実存)が先立つ、というものだ。
余談だが、よくエヴァは魂が入れられているからロボットではない、と言われるが、むしろそうではなく、汎用とあるように、製品であるのにその目的が明記されていないからロボットではない、と言い換えるべきなのかもしれない。
では、綾波レイをエヴァと比較した際、どういうことが見えるのか。
設定をなぞらず、無味乾燥に言えば、エヴァもリリスも同じ存在だ。
であるならば、ユイ(人)の肉体をベースにしたものに、エヴァという汎用的な目的・意思のない魂を入れ込んだとて、それはユイのクローン(複製・コピー)とは言えない、だからこそ、「碇ユイΩタイプ」などのような存在ではなく、全くの別人である「綾波レイ」が作られた、と考えられるだろう。
人よりも使徒に近い、という考えは渚カヲルとの出会いでも裏付けられる。
だからこそ、彼女には「エヴァに乗ることが全てて、他には何もない」という実存の希薄さが見受けられるのだ。同じ言葉であっても、アスカが言えば、それはれっきとした意思に基づく言動とされるのに。それ故にアスカには人形と言われるのだ。
しかし、綾波レイは唯一、他者が持ち合わせていない動機で戦場に赴いている。
そう「絆」だ。
彼女にはエヴァしかない。一方でエヴァは他者との絆であり、それ故に存在理由が確保される。
団結は他のキャラクターも当然行っているが、それはそれぞれの理念・利害に基づく判断の上での合理的行動であって、絆がそうさせているのではない。
これはどういうことだろうか。
セントラルドグマの地下プラントには多数の魂の無いレイが水槽に漂っている。現存のレイが死亡した場合、別の肉体へとリリスの魂と一部の記憶を受け継がせる。
だがその際、感情は共有されない。
「シンエヴァ」でもそうだが、肉体が何らかの調整を経ない場合、本来の肉体でないからか生存を長く保つこともできない。
漫画版などでの「絆」は碇ゲンドウから碇シンジへと継承され、新劇場版ではゲンドウ→シンジ(&第三村)へと継承される。
※上記の括弧は時系列の差を表現。同時期ではないことを表す。
これをよりメタ的に言えば、ゲンドウ(孤立)→シンジ(孤立から仲間的視野の広がり)→第三村(集団・隣人・世界)となる。
私はかねてより、綾波レイの目が作中、一瞬であれアップで描かれることがある点に関心をもっていた。
Twitterなどで交流のあるR.H先生は、綾波レイは一番客観的にすべてを見届けている、と解釈なさった。
つまり、綾波レイに課せられたキャラクター創作論的使命は、絆という尺度でもって、作品の経過を読者・視聴者同様、見届け、いずれの媒体でも最後にすえられる人類補完計画の際、どういった世界を再構築するか問うのである。
それはエヴァが汎用であるが、使徒殲滅後の補完儀式具であるのと同じ。
Qでの「アヤナミレイ(仮称)」については渚カヲル曰く、リリン(人)の模造品であり、魂の場所が違うという。
そういった以前の綾波レイとの差異によって、「こんな時、アヤナミレイならどうするの?」と、彼女は実存性を問いだす。
それを受け、アスカは「あんたはどうしたいの?」と問答法よろしく尋ね返すのだ。
整理すると、アスカは使命を体現し、シンジは不条理の最中にあり、綾波レイは主要人物でありながら、一方で渦中にはいない。それを好意的に言えばミステリアスと言うのだろうが。
この点が
実存性ではなく本質性に生きる唯一の存在が綾波レイであり、シンエヴァでのアヤナミレイ(仮称)は、初めて「私は綾波じゃない」と否定し、「そっくりさん」という実存と絆を得たのだった。
それを示すために、作中では「アドバンスド・アヤナミシリーズ」が登場する。
「アダムスの器の贄となる、雌雄もなく純粋な魂で創られた穢れなき生命体」と表現される。
アドバンスド(advanced)の意味は、上級の、高等の、高度な、進歩した、進歩的な、先進的な、(時が)進んだ、更けた、進んだ、老けた、等である。
水槽に居た例のアヤナミシリーズよりも上級のアヤナミシリーズという意味でまず間違いない。
なお、Qやシンエヴァで登場したアヤナミは「アヤナミタイプの初期ロット」とされる。
ロットは、同じ条件で製造する製品の最小の単位(群)であり、最初の頃に生産された製品群を意味する。
こういった事柄を背景にしつつ、綾波レイは仮称を経て、そっくりさんとなり、その過程によって改めてシンジに「綾波は綾波だ」と実存を認められる。
おはよう
おやすみ
ありがとう
さようなら
これらがその表れでもある。この言葉をまことに使っていた人物はそうそういない。これは先に述べた組織利害と絆の差異である。
つまり、儀式と戦闘という二要素だけを本来、追求するべき世界観に、綾波レイのみが絆という別ベクトルを有しているのだ。戦闘目的の兵力でないことは、冒頭の戦績が残念ながら示している通りだ。
それこそ、「こういうときどんな顔をすればいいかわからないの」と言っていた綾波レイがいかにして絆という側面から世界にアプローチできるのかという実験である。
その非現実的・願望的なアプローチは、『風の谷のナウシカ』におけるナウシカと似ているとさえ言える。
まさしくアスカが民(組織)を思い、敵を憎み闘うヒロイン・クシャナであるのに対し、表面的でないにせよ、絆ゆえに使徒と闘う綾波レイはナウシカの如き『奇跡』で幕を閉じる。
(その奇跡すらも老人たちはシナリオ通りをほくそ笑む訳だが)
つまり、綾波レイが本作に必要であったのは、キャラクター間や実存的な『対立構造』を表面化させるためであり、言ってしまえば、引き立たせる役目すらある。
シンジもアスカもその他のキャラも、案外、同じ悩みを別の視点で悩んでいるだけとも言えるのに対し、綾波レイは実存的でないからこそ、疑いを持つ余地が当初はなく、そしてそれを視聴者が親しんできた頃に、改めて問うことで、さらに視聴者はその世界に惹き込まれる、というシステムが成り立つ。
まったくなじみのない組織同士のいさかいと、人類規模での戦乱を、見ている者により近しい世界にするには、綾波レイという心情的な、ニュートラルからドライブへのシフトチェンジが分かりやすい『無口・無感情性(本質的であまり実存的ではない)』キャラが必要なのであった。
しかしそれではあまりにも味気なく、シンジでも代用可能なために、「人形」であることを否定させ、そして農作業に勤しむなどの実存的な在り方へと発展させていくのだった。
つまり、ロボットvs.敵、NERV対ゼーレといったアクションを、綾波レイを投じることで、事実、人間ドラマにすることが可能となったのだ。
そしてその流れは、AI(人工知能)が自我というものに悩む、という設定にも通じるように、現代の私たちがよく考える作品テーマにも繋がっている構図でもあり、『エヴァンゲリオン』というコンテンツに奥行きを与えるキャラクターなのである。
考察をややこしくさせるのも、いつだって彼女であったように。
逆説的だが、ミステリアスとはなんと便利な言葉であったのか、今一度感じさせることをここに残し、ひとまず『綾波レイが必要であった』ことへの言及をおえようと思う。
おはよう
おやすみ
ありがとう
さようなら
エヴァに「綾波レイ」は必要だったのか 綾波 宗水 @Ayanami4869
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