7 midnight
落下物の行方は見えないが、次はクリーンヒットした確証があった。ほっと息をつく。いいや、気を抜いている場合ではない。今のはそういう流れになっただけで、沙羅より他人を優先するなんてことは絶対にありえない。一つ深呼吸をして、再び事務所ビル屋上に銃口を向ける。
だがそこに、芹沢の姿は、もうなかった。
息が詰まる。胸にマグマを押し込まれているみたいだ。目がくらむ。発狂してしまいそう。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
落ち着け、今回の一件で復讐すべき相手は分かったんだ。ここは一度出直して、次の好機を狙うまでだ。
類に無断で外出したその日、祇園は沙羅のライフルバックを背負って、事務所近くの雑居ビルに侵入した。鍵すらかかっていないドアを開け、音もなく屋上に滑り込む。バッグの肩紐では、一昔前に流行ったクマのぬいぐるみがそのままに揺れていた。
事務所の方向にライフルを組み立てていく。双眼鏡をのぞき込むと、予想通り、芹沢は部屋で一人デスクワークをしていた。舌なめずりをする。
だがそんな時、下から忙しい足音が聞こえてきた。ひどく急いだ様子で、ここに至る階段を駆け上がってくる。一度持ち場を離れて構える祇園。
「ったく、こんな僕に全力疾走をさせるなんて、君も罪な男だよ」
「……類」
意外な来訪者は、肩で息をしながら歩み寄った。軽口を言ってヘラヘラと笑う彼だったが、心なしか今にも倒れそうなほど弱って見えた。
「僕がここへたどり着けないよう、激ムズ細工をばらまいた説教は後でする。望月、僕の質問にイエスかノーかで答えろ」
それでいて、両の目だけは、いつにも増して光ってやがる。
「芹沢澪の暗殺依頼は、長谷桃子本人によって既にキャンセルされているな」
「……イエス」
嘘をついたところで、類には無意味だろう。
「では、彼女が主張を一転させたのは、僕が提供した情報を元に考察したからだというのは、知っていたか?」
祇園は息を呑んだ。桃子の希望的観測だと思い込んでいた芹沢の潔白は、類が調べ上げたデータが証明していたのか。それなら、芹沢がキメラ総帥ではないという戯言が、一気に真実味を帯びる。
「君はこの瞬間、僕の情報収集力を疑うかい?」
「そりゃまあ実績からすれば――」
「御託はいらない。イエスかノーか、今ここで決めろ」
この野郎、復讐計画はとっくにお見通しだったってか。それでいて、芹沢は悪人ではないと、俺の判断の方が間違っていると、俺自身の口から言わせる気だな。
祇園は沈黙を貫いた。類はその様子を見ると、早々に話を切り変える。
「……僕はね、復讐そのものを否定するつもりはないんだ。というより、君の心に根を下ろした負の感情は、もはや正論で否定できる程度のものじゃないだろう? だから僕はただ、どうか取り返しのつかないことだけはしないでくれと、そう言いに来たんだ」
訝しげに類を見つめる祇園。
「真のキメラ総帥は、土方崇だった。芹沢が取り上げたのは、キメラと癒着していた前山元社長の地位と権力だけ。彼女は正真正銘、正義のヒーローだったんだよ」
慄然とする。俺がミスショットをしなければ、芹沢はとうに骸になっていた。希望的観測で浅はかな行動をしたのは、他でもない俺自身ではないか。祇園は骨の髄まで震え上がった。
そんな俺の前で、類はひざまずき、深く深く頭を下げた。
「最初の時点で、推測を誤った僕の責任は重い。本当に、本当にすまなかった」
一瞬、頭の中のいろんなものが飛んだ気がした。驚きを禁じ得なかった。まさか、こいつが、こんなにも真剣な態度を見せるなんて。
「ノー」
類がきょとんとして顔を上げる。
「だから、お前の情報に間違いはないだろうって認めてんだよ」
でさぁ、と祇園はまた笑って、ねちっこい猫なで声で尋ねた。
「土方崇って、今どこにいんの? お前に復讐を止めさせる気はないんだろ」
祇園が、類の鼻先に小銃を突き付ける。
「今は分からないけど、そのうちキメラ幹部と一緒に、仲良く刑務所に放り込まれるんじゃないかな。僕がすべてのデータを託すと決めた彼女たちだ、きっと勝つよ」
「てめぇ!!」
もしやそれが目的で、彼女たちにデータを……!?
さらに胸ぐらを掴み、銃を押しつける祇園。俺のターゲットが、忽然と一人もいなくなってしまった。俺が奴らを同じ目に遭わせてやらなきゃ、天国の沙羅を喜ばせることができないのに。家族を守れなかった罪、生き残った罪をあがなえないのに。
これじゃあ、いつか俺が死んだって、天国には行かせてもらえないよ。
宿願を無茶苦茶にしてくれた類を、怒りのまま撃ち殺してしまおうと思った。でも、それ以上に、悲しかった。悲しくて悲しくて、ただただ悲しくてたまらなかった。
復讐をして沙羅を幸せにすることが、俺が生き残った意味だと思った。俺の責務だと思った。だから、身も心もすべてを沙羅に捧げると決めた。そうしなきゃ生きてはいけないんだ。今度こそ人の命を守るためなら、命なんかいつでも捨てられる。その誠意を逃がし屋として行動で示した。こうすれば、神さまも赦してくれて、天国では沙羅に会わせてくれるかもしれない。そんな、叶うかどうかも分からない夢を抱いた。
お願いです神さま。どうか、もう一度沙羅に会わせてください。
でも、死んだ人間には二度と会えない。それが揺るぎない現実。
胸の内にくすぶっていた悲しみが、喉を逆流し、目頭に熱を帯びさせる。鼻根が少し痛い。
くそっ、甘えてんじゃねぇよ。俺の感情なんて二の次だろうが。
七夕を過ぎてしまった空にキスをして、瞳にたゆたう真珠を抑え込む。
「Bist du glücklich?」
今まで何百回、何千回と尋ね続けてきた問い。
沙羅、お前は幸せか? 俺はこれから何をすれば、お前を幸せにできる?
「自惚れも大概にしなよ」
類の声が、鼓膜を震わせた。
「幸せの形は十人十色。なのに、勝手に沙羅嬢の気持ちを推し量って、こうすれば幸せになるって決めつけて、下界で大暴れして……呆れてものも言えないよ」
類らしいな、と思う。正論かもしれない、とも思う。でも俺は弱いから、大切なひとの幸福という目標にしがみついていないと、きっと呼吸すらできないんだ。
不意に風向きが変わった。灰色の雲を流す強い風が、祇園に手を差し伸べる。
そうして、一つの歌が、届いた。
〽行く先に希望はありますか
グラウンドを回ってるだけですか
誰も彼も愚かだと嘲笑う
知ってたよ それでも
弱っちい僕だから 反射して生きようとしてるの
眩しすぎる夢を抱えた
遠すぎる夢を追いかけた
目がくらむけど 手を伸ばすほど
自分を好きになれたんだ
叶えるだけが全てじゃない
救いの光を リフレクト
ロックバンドの熱いビートが、愚直な歌詞が、高らかな歌声が、腹の底を疼かせる。そして、自問させる。
叶うかどうかも分からない夢を追うことで、俺は自分を愛せただろうか。少しでも心が軽くなっただろうか。希望に救われたのか。幸せだったのか。
否、と即答できてしまった。
本当は、復讐のために人を傷つけたくなんかなかった。自分の感情を抑え、返事のない呼びかけを繰り返し続けるのも、もしかしたら無意味なのかもってずっとずっと疑ってた。
ごめん沙羅、どうか許して。俺は、もうダメです。
祇園は、とうとう嗚咽を漏らした。大粒の涙がとめどなく溢れてくる。類に見られまいと袖で顔を拭うも、時すでに遅し。類の手が祇園の背中に添えられた。久しく感じることのできなかった人の温もりに、また胸がきゅうっと絞られる。
「君も、泣いたっていいんだよ。沙羅嬢を思う気持ちは察するけど、もっと自分のことも大切にしてあげて。シックスミックスが連れてきてくれた、何より君自身で選び取った今を尊重してあげて。それでいつか……君自身の幸せを叶える、僕よりずっといい相棒を見つけてね」
類の声は、ひどく慈愛に満ちていた。それでいて、何故だか、身を切るような悲しさを感じさせる。何かを噛んで含めるような、不思議な言い回しだった。
目元の赤らんだ顔を背ける祇園。
「……馴れ馴れしく触んな。俺はお前のこと、別に相棒だなんて思ってねぇし」
「おや、それは残念だな。まあ君には嫌われてる気がしてたけどね」
「そういう余裕ぶった感じが嫌いなんだよ」
不毛な言い合いを遮るように、祇園がそそくさと立ち上がる。そして、沙羅のライフルに向き直ると、優しい優しい手つきで元通りにしまい込んだ。
一陣の風が、雑居ビルの屋上を吹き抜ける。頬の涙を乾かすような、温かい風だった。祇園が顔を上げる。事務所に背を向ける。また一つの選択をした彼に、類が付かず離れず寄り添っていく。初夏の新しい陽光が、二人の姿を淡く照らしていた。
〈完〉
SIXMIX〔シックスミックス〕 花田神楽 @kagura_official
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