5分で読める物語『クラップ・ユア・ハンズ』

あお

第1話

 私は冷めた性格だと言われる。

 母親からは、


「昔あんなに笑ったり泣いたり怒ったり、感情豊かだったのにねぇ」


 と小言を言われる始末。

 そんなこと言われたって、感情を持つ方が疲れるんだ。

 何も感じず、何も思わない。

 そんな生活の方が幸せに生きていけると思う。

 しかしそういう人間ほど、なぜか大きなスポットが当てられるようで。


「ヒロイン役は、朝日日奈ちゃんがいいと思いまーす!」


 ――ヒロイン? 私が?


「たしかに日奈ちゃん可愛いし! 物静かな感じもぴったりだよ」


 一ヶ月後に差し迫った学祭劇。私たちのクラスはロミジュリ的な悲恋ものをやるらしい。

 今は配役を決める時間なのだが、クラスメイトは寄ってたかって、私を学祭劇のヒロインに担ぎ上げたいらしい。うん、なぜだろう。


「いや、私がヒロインなんて。私は風の役とかで十分です……」


「ほらその感じ! どうですか委員長!」


「いいね。とてもいいよ。朝日さん、どうかな?」


 これほど多くの人に迫られてしまっては、断る方が難しい。私一人に対して、クラスメイト三〇人、それに担任の先生もやってほしいという目をしている。

 あの時みんなの期待から逃げた朝日日奈、というレッテルを貼られて、残り一年半の高校生活を送っていくのは少々、いやかなり避けたい。

 人間関係がどうなるとかではなく、周囲の目が私の首を密かに絞めていく。学校に行く足が、あの頃のように動かせなくなるのは、何としてでも避けたかった。


「わ、かりました。私でいいなら……やります」


 わあっという声とともに、教室は数秒拍手の音色に包まれた。

 拍手なんて小学校の発表会以来だろうか。あの頃は嬉しいと感じていたこの音も、今ではただの雑音にしか聞こえない。



 ヒロイン役は私が務め、主人公は学内で最も人気のある小巻(こまき)怜(れい)が務めることとなった。

 彼は父に名俳優の小巻治定を持ち、次代の天才とも称される。

 そんな人がなぜ、こんな学祭演劇ごときに出演してくれるのか。その真相を知るものは誰もいなかった。


「演技指導は、小巻くんにお願いしてもいいかな?」


「ええ、もちろんです」


 微笑み答える小巻玲に、クラスの女子どもは黄色い歓声をあげている。

 こういうミーハーっぽい反応苦手なんだよなぁ。ここでため息をついたら睨まれるかな。睨まれるだろうな……はぁ。


「ただ――」


 小巻はふと言葉を切り、なぜか私を見つめてきた。


「日奈さんと二人きりにしてください」


 とたんに険悪な空気になる教室。

 ちょっと待て。何を言ってるんだ君は。


「えっと、それじゃあ他の人は……」


 委員長が困った笑みを浮かべる。そりゃそうだ。私も困っている。


「そちらで何とかしてください。この劇は僕と日奈さんで上手く魅せられれば充分です」


 どうやら小巻の意思は固いようだ。だが、私の意見も少しは聞いてもらいたい。


「あの、私だけ特別扱いってのは、その……」


 恐る恐る周りの表情を伺ってみる。見ればクラスメイトの女子のみならず、男子すらも私を刺し殺しかねない目で睨んでいる。これが見えていないのですか小巻くん。


「君はヒロインだろ? ヒロインは特別な子がなるものだ」


 ああ、死んだ。私の高校生活こんなところで終わるのか。もう周囲の目線が体中に刺さって痛いよ。八つ裂きどころか一六裂きだよ。これから私は、あの小巻怜に特別扱いされた平凡無骨勘違い女子・朝日日奈として生きていかなければならない。


「そんなに怯えないで。じゃあ、行こうか」


 小巻はぐっと私の顔を覗くと、手を取り教室を抜け出した。

 その仕草に黄色い声と舌打ちが同時に上がった。


「四階の多目的室にいるから。終わりの時間になったら呼びに来て」


 言い忘れたかのように、顔だけ教室に見せる形でそう言うと、今度は絶叫にも近い黄色い声が聞こえた。一体何をしたんだこの人は。


 右手首を掴まれたまま、私は小巻と共に二階上にある多目的室へと向かった。

 多目的室はその名の通り、様々な用途に使用され、今日は演劇練習のために私たちのクラスが貸し切っているようだ。

 部屋に入り、小巻が扉の鍵を閉める。

 さて、閉じ込められたぞ私。


「はあ、めんどくせぇなあいつら」


「⁉⁉⁉⁉⁉⁉⁉⁉⁉」


 なんて言ったんだ? あの小巻怜が、「めんどくせぇな」って言ったのか? マジか。


「ああ、悪い。お前ならこうしても問題ないだろ。俺に興味なさそうだもんな」


 あと友達いないっぽいし、という余計な一言まで足してきた。これは何らかの手段を用いて報復してやろうか、という思考になる。

 落ち着こう、冷静になって何か話をしよう。


「その、小巻くんは、どうして?」


 どうして本当の自分を隠しているの?


「あ? ああー、イケメン演じてた方が都合いいんだよ。生きるのが楽っつうか。笑顔振りまいてれば喜ばれるんだから、そうしてた方がいいだろ」


 さも当然かのように答える小巻。


「確かに、その方が楽だね」


 そっか、彼も私と同じなんだ。

 楽に生きたい。できれば幸せになりたい。

 だから私は、涙を捨てた。

 涙なんて、苦しみと辛さの産物でしかないのだから。


「お前ならわかってくれると思ってたぜ。その死んだ目、最高だよ」


 褒められてるか分からない言葉に、苦笑いを浮かべて対応する。話を切り替えるべく私は、演劇の指導方針を聞くことにした。



 とある練習日。

 日常になりつつある放課後の、小巻との演劇練習。

 私はどうしても気になっていたことを小巻にぶつけた。

 それはなぜ小巻ともあろうスーパースターが、こんな小さな演劇祭に出演するのか。ギャラも出ないのに。


「そうだな……」


 私の問いに小巻は俯いて何かを考えているようだったが、パッと顔を上げると子供のような笑みを浮かべた。


「人から拍手をもらいたくてな」


「え?」


 私の思考回路がショートする。拍手なんてドラマや映画に引っ張りだこの小巻なら、浴びるほど受けているだろうに。


「業界の拍手って嘘くせえんだよ。叩いておけばいいと思ってるつうか。下心が丸聞こえなんだよな。生の、感激した感情そのものを表した拍手ってのが、ねぇんだよな」


 小巻は遠くを眺めるように、窓の外を見やっていた。


「拍手なんて、ただの雑音じゃない?」


 私はそう思っている。人から称賛を受けたところで、私の感情は満たされない。むしろ拍手の裏にある、それこそ小巻の言う下心に怖さを感じる。だから、私は拍手も称賛も他人の意見は全てシャットアウトしていた。


「お前も、浴びてみたらわかるよ」


 そう言って小巻は練習を再開させた。



 学祭演劇の当日。

 準備は流々、台詞は頭に叩き込み、演技は体に染み付いている。

 小牧と目を合わせ、互いに気合を入れる。

 舞台に立ってからの時間は一瞬だった。

 スポットライトは肌が焼けるように熱く、舞台の上は衣擦れの音まで聞こえるほど静寂だった。

 気づけば最後の台詞。

 ああ、これで終わってしまうんだ。

 こんなにも何かに打ち込んだのは久々だった。

 小巻と練習する時間、楽しかったなぁ。

 演じているときは、別の自分になれた気がして嬉しかった。

 もっと、もっと演劇やっていきたいなぁ。

 そんな思いを胸に秘め、最後の台詞を口にした。

 照明が舞台全てを照らして、終わりを示す。 

 最後は出演者が舞台で横一列になり、一礼。

 顔を上げると、そこには沢山の人が立ち上がり、拍手を送っていた。

 拍手の音色はなぜか心地よく、私の冷め切った心を優しく柔らかな炎で温めてくれるようだった。


「人からの拍手って、こんなにも、こんなにも……」


 胸の内から溢れる止めどない激流。

 それは殺したはずの感情。

 流したくのない涙の引き金。

 目の前を埋め尽くすほどの観客が、私を見て手を叩いている。

 これが小巻の言っていた生の拍手。

 人が感激した感情そのものの、生の暖かさ。

 拍手を送るその顔はどれも穏やかな笑顔で、これが幸せの形だと、強く想った。


「そっか、そっか、これだったんだ」


 隣で手を振る小巻を見ると、彼も私の視線に気づき一瞬目を見開いた。


 ――なぜ驚いたのだろう。


 疑問も晴れぬまま、今度は微笑み手を伸ばしてきた。


 ――なに⁉︎ なに、なに、なに⁉︎


 彼の手は、何かを拭うように私の頬に触れた。

 私の頬には、涙が流れていた。

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