マルデの星
真花
マルデの星
彼はビールを一気に飲み干すと獣のように笑った。
「何万年前から変わらず美味いもの、それは酒と女と殺戮だよ」
仕事が明けたら個室で飲もうとしつこく誘うから週の頭だけど付いて来た、先輩後輩と言うのも何万年も前からずっと存在するのだろう。俺はどんな顔をしていいのか決めかねて、そうっすか、と彼ではなく正面に向かって呟いた。そうだよ、彼は体の全部を俺の方に向ける。
「週末、行って来たんだよ。最高だったなあ」
「そんなに面白いですか?」
「これまでも何度も狩りがブームになっただろ? 今だってオンラインも実地もある。そう言うのに行ったと思ってるだろ?」
俺は彼の顔を見る。自慢で塗ったくられた、汚いファンデーションのような顔。
「違うんですか?」
「ワン・ユニバース時代を舐めちゃいかんよ。狩りってのは、最初は動かない的でも満足出来る。だが次第に動く的、生きている的、最終的には考える的に当てるのがやりたくなるんだよ」
一万年以上前に起きた技術革新で、人類は長距離の移送を超短時間で出来るようになった。その結果人が住める星とちょっと改変すれば住める星にどんどん植民が進み、宇宙中に人類が存在するようになった。
「考える的を、やったんですか?」
彼の顔はおぞましい紫に染まっている。彼は手を振る。
「人間じゃないから。殺人はしてないから」
「じゃあ、何を狩ったんです?」
「まあ、だから個室なんだけどね、密猟だから。……マルデ星って呼ばれてる星があるんだ」
「マルデ星?」
やっぱり下卑ている、彼はニタリと笑う。
「そう。公式には発見されてない星だよ。そこに、まるで人間の生き物がいるんだ。文化もあるし、社会もある。オスとメスがいて、考える。でも、明らかに俺達の持っている文明度に比べて低いから、植民地じゃない。そもそも植民地なら公的に存在しないなんてことはない。密猟のコーディネーターが、『まるで人間』だからマルデ星と名付けたらしい。その生物を、だからマルデと呼んでる」
「そこに行ったんですか?」
「そうだ。週末に」
端末で次の酒を注文しながら彼は笑いが止まらない。
「何を、したんです?」
「狩りだよ。いや、狩りは半分か」
「半分?」
「文明度の差は攻撃力の差だから、そこのところはうまく調整して、オスを狩って狩って狩りまくって、他では味わえない興奮があるよ」
彼は言葉を切って恍惚の表情をする、それは彼の最も汚いものを晒すような受け入れ難さがある。淡い溜め息を彼は吐く、それが部屋に充満する。
「それで、その状態でメスを犯すんだ。何、感染症とかはもう克服済みだから気にすることはない。まるで人間の女だよ。でも違うんだけどね。とんでもない快感だよ」
脳裏に何が浮かんでいるのか。やはり獣だ。週末に密猟で獣になって、その悦楽が自分の中に封じ切れなくて、俺に話す、俺はこの胸に突っ込まれた糞をどうすればいいんだ。
俺の顔が萎むことに気付かないように彼は続ける。
「狩った肉がまた美味い。自分では調理出来ないから、オプションだけどね」
「人間食べるんですか?」
「違うよ。マルデだよ。マルデのオスの肉だ。断じて人間じゃない」
彼は届いたビールをまた煽る。
「今週末、お前も一緒に行かないか?」
「いや、俺はいいです」
「ダメだ。来い。お前はもう聞いちまったんだよ。秘密を漏らさないためには、こっち側に来て貰わないと困る」
「絶対に漏らしません」
「保証がない。と言うか、それ以前に本物の狩りの楽しさを知った方がいいって。もし合わなければ途中で帰ってもいいからさ。初回の料金は俺が持つよ」
俺は首を傾げる。
「どうしてそこまでしてくれるんですか? そんなに秘密を漏らすのが怖いですか?」
彼は、ガハハ、と笑う。
「俺が先輩で、お前が後輩だからだよ。俺の見立てでは、お前の中にも狩猟本能がぐるぐる渦巻いている。だからきっとハマるよ」
行きますと言わない限りは今日は帰して貰えないだろう。俺は小さく溜め息を吐く。いまいちなら帰ればいいだけだ。
「負けました。行きます」
当日までの間はいつものように仕事をして、先輩を見ると刺激が足りなそうな顔ばかりしている。
別の星の生態系を乱す行為は法律で禁止されている。植民などはその特例と言う扱いだ。正規の狩場は、人工的に作られた範囲とその中に同じく人工的に作られた生物を、狩る、管理されたもので、そこに人間に等しい知性を持つ獲物はない。
もし、先輩の言う通りに人々に狩りへの欲求があるのなら、密猟が発生するのは当然だし、手付かずの知的生命体が、しかもまるで人間なら、高額を投じてもやりたい人は出て来るだろう。
敢えてネットで調べたりせずに、週末を迎える。
「よし、来たな」
「約束ですから」
「武器とかは全部現地にあるから、そこのロッカーに貴重品を預けて、移送されよう」
「銭湯みたいですね」
「それぐらい気軽で大丈夫ってことだよ。お前、狩の経験は?」
彼がクイっと顎をしゃくる。
「ネットゲームと、狩場で何回かくらいです」
「ま、すぐ慣れるよ。ゲームオーバーもライフゼロもないから。一方的に蹂躙すればいい」
俺達は移送装置に乗って、体感数分でマルデ星に到着した。着いた場所は基地になっている、恐らく文明度が低いマルデには落とされることのない安全地帯なのだろう。
装備は全身を覆う防御スーツと、無反動銃だけ。ものものしくなくて気軽な遊びだと再認識する。
先輩と二人基地を出る、丘の上からなだらかに降りる。
「今回はこの集落がターゲットだ」
彼は舌なめずりをしている。
「都合のいい距離ですね」
「その距離に基地が移動してるんだよ。至れり尽くせりって奴だ」
言い残して彼は、タッタと駆け出して、集落の入り口に立つ。
「お前ら、勝負だ!」
言葉は通じるのだろうか。
俺も降りてゆく。
眼前ではマルデのオス、服は着てるし、髪は整っているし、原始人ではなさそう、でも銃は、あ、持ってる。
オスが銃を先輩に撃つ。でも、俺達の装備は旧式の銃は完全に弾くから、仰け反りすらしない先輩を見て、オスは驚きながらもう一発撃つ。
「効かないなあ」
偉いのは先輩じゃなくてテクノロジーなのに、彼はのっしのっしと既に勝ったみたいにオスに迫って行き、オスが逃げる、それを追いかけながら一発撃つ、オスは動かなくなった。
「一撃!」
他にもオスが出て来て、戦っては先輩に殺されて行く。そして逃げるのを追いかけて、仕留めてゆく。
バン!
俺も撃たれた。
確かにマルデはまるで人間だけど、文明が違い過ぎる。それでも撃たれるとイラッとする。
俺はそのオスに向かって駆け寄る、オスは逃げる、俺は銃を構える。
撃つ。
でも外れた。
オスはさらに逃げて、逃げながら銃を撃って来る。それは外れたけど、俺の闘志には当たって、火を付けた。
俺は執拗に追いかけて、至近距離で撃つ。当然、オスは死ぬ。
「うおおおおお!」
オスが失った命の水が俺に流れ込んで来るような、脊髄までどっぷりの勝利の悦楽が駆け抜ける。
「これが先輩が言っていた奴か」
俺はもっと欲しくなって、探しては追いかけて、オスを殺す。
集落にいるオスの全てを、先輩と二人で狩り切った。
「これで全部ですね」
「ここからが本番だ」
彼は集落の家に一軒ずつ当たって、三軒目で出て来なかった。
俺の状態が普段とは明らかに違うから、セックスをしたらすごそうだと言うことは分かる。相手は人間じゃないから、オナニーだ。だからやっていい、やりたい。滾るものをぶつけたい。
俺も集落の別の家に押し入る。
中には人間で言ったら中学生くらいのメス。未成年は初めてだ、人間じゃないからいいだろう。
もっと抵抗するかと思ったけど、怖かったのだろう、すんなり開いた。
戦闘で体のモードが変わっているせいか、人間以外と交わっているからなのか、全身に激しい快感が満ちて燃え上がる。これは確かに他では味わえない。
行為を済ませて家を出ると、先輩がニヤニヤ笑っている。
「お前も、したか。たまらんだろう?」
俺は先輩を獣だと断じていた、俺も獣だった。
「来てよかったです」
「よし、次は飯だ」
狩ったマルデをスタッフが料理にしてくれて、食べたことのない食感で、美味しい。
「自分で狩った獲物は格別だろ?」
「はい。また来たいです」
「次は自分で払いなよ。でも、金を払うだけの価値があるだろ」
「あります。癖になりそうです」
「仲間に引き入れる以外では口外しちゃダメだからな」
食事を終えたら移送されて、元の星に戻った。
忘れられない体験は、おかわりを強烈に求めさせる。
俺はそれから週末ごとに、マルデ星密猟ツアーに参加して、殺して、犯して、食べた。
先輩が血相を変えて俺を呼び出す。
「どうしたんですか?」
「密猟が当局にバレた。ただ、俺達ユーザーは、シラを切れば乗り切れる。絶対にコーディネーターのところに連絡を取っちゃいけない」
「じゃあ、もう行けないんですか?」
「お前がこの一年間皆勤賞だったことは知ってる。でも、もうあの星では遊べない」
「マジっすか」
「まあ、似たようなのを探せばいいじゃないか」
「でも、何で当局が絡むんですか?」
彼は指を立てて、しっ、と息を吹き掛ける。
「マルデは人間だった、そう言う調査結果が出たんだ」
「人間? まるで人間じゃなくて?」
「文化文明度の差はあるが、生物学的に人間。相当昔に入植したのだろうと。それで一旦文明が滅んで、また取り戻している最中なのだろうと」
「文化も文明も違ったら、それは人間じゃないんじゃないですか?」
「何言ってんだ。落ち着けよ。人類の中でだって文化文明の差異はあるだろ。そこで差別することを克服するのに何千年も掛けて、今だよ。だから、未開だろうと何だろうと人間の定義は生物学が決める」
「じゃあ、俺は人間殺してたんですか?」
「そうだ」
俺は首を振る。
「人間、犯してたんですか?」
「そうだ」
「人間、食ってたんですか?」
「そうだ」
胸の中に泥が詰まる。その泥には鋭利な金属が含まれていて、動く度に傷付ける。俺は殺人をして喜んでいた。俺は強姦をして悦に入っていた。そして食人をしてグルメのつもりになっていた。一年間の蓄積に吐き気がする。
俺はフラフラとよろめいて、胸を抑えて、やっぱり無理、床に吐く。
「俺も似たような反応をしたよ。……とにかく、秘密は闇に葬らないといけない」
「マルデ星は、本当の名前は何だったんですか?」
「地球。かなりの期間は人類はそこにアクセスしてはいけないと言うルールが決まりそうだ」
「まるで人間と思っていたのが、人間だった。俺自身を人間と思っていたけど、獣でしかなくて、俺こそがまるで人間なのかも知れない」
俺達は共謀してお咎めを回避した。でも、やったことが体に残っている、それが、表面上なかったことになったとしても、消える訳じゃない。俺がしたことが罪に問われなくても、俺はやったのだ。
俺は十字架を背負って生きる。
夜、俺はパソコンの前で調べていた。
「もう一ヶ月も狩りに行ってない」
先輩に禁じられていたけど、コーディネーターに連絡を取ろうとした、無駄だった。
「狩りがしたい。その後のセックスがしたい」
衝動に脂汗が出る。体がソワソワとして落ち着かない。俺は狩りがしたい。
先輩にも別の業者がないか訊いた、彼も探している、目のうつろさが俺と同じだ。
獣は快楽を止められたらこうなるのだ。
見付からない。
ない。
いや、この宇宙のどこかにはある筈だ、マルデと同じ狩りが出来るところが。
俺が背負った十字架は、罪に苛まれることじゃない。体がこころが知ってしまった快楽のために、新たな密猟の場所を探し続ける、きっと繰り返す、そうなった自分と生きることだ。
早く狩りがしたい。
早くあの快感が欲しい。
(了)
マルデの星 真花 @kawapsyc
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