第3話

 ウロボロス、古代の象徴の一つで不老不死や死と再生の意味を持つ。一匹の蛇が自分の尾を食うものと、2匹の蛇が互いの尻尾を食うものが存在する。どちらにせよ、始まりも終わりもなく永遠と続くという意味には変わりない。


 このマークがグシャグシャになった由美の体に刻まれていたのを見た時、記憶はないが一人で凄まじい量の依頼をこなしていたらしい。誰も待っていない家に帰った時、鏡の前には由美に負けないほどの血濡れの自分がいた。死んだ者に対して不老不死の象徴を刻むなんざいい度胸してやがる。犯人の顔面にも同じ物を刻んでやろうと思った。


 何の手掛かりも見つけられなかったそれが安い女の胸に刻まれているだなんて、誰が思うだろう。


「ウロボロス、なんなんだそれは」


「契約者達が集まる異能集団よ。契約者は魂を必ず喰らわないといけない。だったら組織化して喰っていけば取り合いにはならない。少なくとも、この東京だけで50人はいるのよ? それが最低一個の魂を喰らうだけで50人は死に、複数個ならばその倍が減っていく」


 夢野はカウンターから降り、フォークでなにかの肉を夢魔に食わせる。腐乱臭の正体はこれだったのか……人間の肉なんてアンモニア臭くて食えたものじゃないだろうに。味覚も共有されてんのによく食えるな……


「昨日はあんたの魂を喰らってやろうと思ったのに、喰うことが出来なかったのはその狼が目をつけてたからなのね。災難な人ねぇ、今が一番大変な時期なのよ」


「大変な時期? マルコ、お前なんか知ってるのかァ?」


 それまで話さなかったマルコは一つ息を吐く。気だるそうな感じは低血圧の女みたいだな。


「人間でもベビーラッシュがあって、それが歳をとると団塊の世代とか言われて世の中に老人が溢れる。契約者も同じ。今は団塊の世代で、人間の魂の奪い合いが起きている。今を生きる世代としては新参者は消しておきたいという考えが当然生まれる。つまり、私達は初心者ビギナー狩りの対象だ」


「そういうことよ。ただ、ウロボロスに入ればとりあえずは明日の朝日は拝めるわね。六村は腕のいい情報屋として有名だし、ある程度の地位にはつけそうね。どう? 入ってみない?」


 夢野は手を出し、俺がその手を掴むことを望んでいるようだ。なるほどな、組織に属せば生きられる。逆に属さなければ狩られて終了。そう考えれば組織に属することの方がメリットは大きい。思考も共有しているマルコは隣でニタリと笑っていやがる。


「それはとてもいい話だな」


 俺は手を差し出す。夢野と夢魔は満足そうな笑みを浮かべる。

 俺も最初は浮かべていたさ。だが、その笑顔はお互いに長持ちしなかった。


「────残念だが、お前は俺のターゲットだ」


 右手で夢野の手をしっかりと握って固定し、左で握っていたナイフを貫通させる。夢野の右手はナイフが深々と刺さり、互いの右手が生暖かい血で汚れる。


「へ、は?」


 突然の痛み、突然の裏切りによって頭の回っていない夢野は血がダラダラと流れては垂れる右手を見つめて悲鳴すら上げられねぇようだった。


「俺は女だろうが加減はしねェ。依頼は絶対だ。まぁ、依頼主よりも金を出してくれれば違うけどなァ」


「あ、あ、ああ─────ムグッ!!」


「うるせぇ。俺は喘ぐ女と無駄にうるさい奴が嫌いなんだ」


 叫びかけた夢野の口に銃を突っ込む。カタカタと震えるそいつはまるで小鹿のようで滑稽だ。そもそも、俺の女がウロボロスに殺されたというのに入るわけねぇんだよなァ。頭の悪い女は嫌いだ。


「この、クソ野郎ッ!」


 隣にいた夢魔が鷲のような足で襲いかかる。


「マルコ」


 名を呼ばれてよほど嬉しいのか、狼の姿に戻ったマルコが夢魔の足を噛み砕く。口を開けると炎が揺らめき、体と離れた足は灰となっていった。その時、若干口の中が熱くなったのは気のせいか?


「気のせいじゃない。私が口から炎を出せば、どうやら一色も出るみたいだな」


 またこいつは勝手に思考をよみやがって。ウロボロスについて聞きたい気もするが、それについては今後調べれば出てくるだろう。足が痛てぇだの、手が痛てぇだのと無駄に騒ぎやがって。


「た、助けっ!!」


「おいおい、この裏社会の人間が助けなんか求めるなよ。そういや、さっきの死体は幻影だったからこれも幻影か確かめないとなァ」


 刺さったままのナイフを人差し指で触れ、左右に揺すると傷口はゆっくりと広がっては絶叫が響く。ちょうど骨に刺さったのか思っていたよりも動かない。マルコ、もう喰っていいぞ。


「そうか、では遠慮なく頂こう」


「ま、待って!! 私は知ってるわ! 葵由美を殺した犯人を!」


 ピタリと体は動かなくなり、ゆっくりとあの時感じた憎悪が蘇る。マルコは大口を開けていたが、鼻息を鳴らして口を閉じる。


「そ、それにもしグリモワールを手に入れれば葵由美をこの世に連れ戻す事が出来るかもしれない」


「……もっとマシな命乞いをしやがれ」


「違う! 本当なのよ、ウロボロスは不老不死と再生の象徴。それが刻まれた死体は復活の候補者なのよ。人間に復活する可能性は低いけど、悪魔や天使みたいな人とは違うものになる可能性が高い。もし、復活させることができれば、契約を結ぶとまた一緒にいられるのよ?」


 嘘の可能性もある。だが、信じたい自分もいる。確認の為にマルコを見ると、僅かながらに頷いた。どうやら事実のようだ。だが、反応が薄いな……


「グリモワールは存在する。だが、復活するかどうかは私も分からない。賭けたいのならば賭ければいい。そちらの方が楽しそうだ」


「さすがは悪魔ってところだな。んで? 犯人の名前は? 仕方ねェから生かしてはやるよ。俺は約束は守る男だ」


 夢野に銃を向け、夢魔には涎を垂らしたマルコが噛み付く準備をしていた。夢野は目を何度か泳がせた後、震える唇をゆっくりと開く。


「それは────────」


 何の音も、何の前兆もなく、俺の目の前では夢野の生首が宙を舞っていた。困惑の表情を浮かべているのが分かるほどにスローモーションで、目があちこちに泳いでいた。そして床に落ちる頃には開いた瞳に光はなく、大理石を赤く染めることなくマルコの炎によって灰へと変わっていった。


「どうやら漁夫の利を狙おうとした輩がいるらしい。魂を奪われる前に死体は燃やしたが、殺してはいない」


「……どうやら、口を割る前に消されたみたいだな。ま、調べればいずれは尻尾を出すさ」


 犯人に近づけなかったことの不満と怒りはあったが、いつの間にか魂を喰らっていたマルコのせいで気分はより最悪なものとなる。んでこんな不味いんだよ……マジで雑巾の絞り汁みたいな味だ。食べてたことないが、イメージとこの独特な生臭さはそんな感じだ。

 それにしても、心が綺麗とか汚いとかよく言うが、魂なんてどれも同じなんだな。今日喰らった男と夢野の魂の味は全然変わんねェ。


「楽園を追放された者の魂だぞ。味の善し悪しなんてあるわけが無い」


 ケタケタと由美の姿に戻ったマルコが笑う。その顔には返り血がついており、俺は無言で自分の服の袖で顔を雑に拭く。不満そうな顔をしていたが、顔が良いから全てが許される。


「……なァ、グリモワールって本当にあんのか?」


「なんだ、やっぱり賭けるのか?」


「まぁな。ウロボロスへの復讐も兼ねてだがな」


 そうマルコに言うとアンニュイ顔でまた微笑みかけられる。わざとやってんな。そして狼の姿に戻ったかと思えば俺を背に乗せ、廃ホテルの屋上へと銀の翼で羽ばたいた。まだまだ夜は始まったばかりであるため、街の灯りは煌々としていた。

 夜風が先程まで昇っていた血を少しずつ冷ましていく。


「この東京のどこかにある。一色だけじゃない、契約者のほとんどがグリモワールという希望を探し求めている。それが私達、悪魔が仕組んだゲームだ」


「魂は喰えるし、醜い争いも見えるからか?

 悪魔はいい趣味してんなぁ」


 マルコは得意げに笑う。その時、少しだけ、ほんの数ミリだけこの悪魔とは上手くやっていけるだろうなと思ってしまった自分がいた。

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