第11話

「伽藍。この方面は…」

「そう。私たちが今向かってるのは六艘りくそう中華街よ」

「大丈夫なのか?六艘中華街は常にネオンで照らされておる。暗闇なんてどこにもないじゃろう?」

「大通りは通らないわ。六艘中華街の裏町に用があるの」

「煌びやかで華やかな表通りとは裏腹に、犯罪の温床とされてる場所だな。通称『翳六艘えいりくそう』。そんな物騒なとこにもパイプがあんのかよ伽藍は」

「貴方だって翳六艘の名くらいは知っているでしょう?」

「まあ、な…」

「翳六艘…なんだか聞き覚えがあるのう。百々目鬼、確かお前さん絡みじゃったような…?」

「え、いや、その…な、何もなかったろ?ボケてんじゃねえか?爺さん」

「そうか…儂の思い違いか。末期じゃのう」

「そうだよ、要介護5の爺さん」

「長生きと言えど、そんなに廃れてないぞ」

「よく言うぜ」

「ねえ。みんな。頭痛くなってきた…」

「大丈夫か?てかお前、小学生ぐらいだろ?翳六艘はお前にはちょっと過激すぎるかもしれねえぞ」

「ううん、大丈夫。多少は慣れてるから」

「そうか。お前も相当にきつい経験してんだな」

「そろそろ翳六艘よ。見えるかしら?あの赤い門の横」

 赤い鳥居のような門の横に、誰かが立っていた。暗闇に溶け込むような黒いスーツを着て、サングラスをかけているスキンヘッドの大男だ。

「夜なのにサングラス掛けてるよ?あのおじさん」

「ホントだ。変わってんなー」

「あそこが翳六艘の入り口。あの人は言わば門番よ」

「確かにガタイ的にも強そうだな…メリケンサックとか使いそうだし」

 4人が近づくと、その大男は4人を一瞥いちべつしてから横にどいて道を開けた。

「客人のスキャンを終えました。ようこそ、伽藍様。立ち入りを許可します」

「ありがとう。シャン」

「不客气」

「お前さん、つくづく思うが何者なんじゃ?」

「何者も何もないわよ。ただここに通うことが多いってだけ」

 朱色の重そうな鉄の扉の先からは喧騒や雄叫び、嬌声など様々な声が聞こえ、少なくとも平穏ではない雰囲気が外まで滲んでいた。

「この先、凄く怖い…」

「心の声が聞こえない儂にもひしひしと伝わるわい。欲望の狂風が吹いとるのう」

「行くわよ」

 伽藍が扉を開くと、まるで日が出ているかのような眩しさが目を覆った。

「――凄い…」

 扉の先には、もはや一つの街と言うべきの広大な空間が広がっていた。足元には階段があり、頭上には赤い提灯が列を成し、階段の左右には赤と緑を基調にした様々な建物が所狭しと並び、下まで続いている。

「景色はいいな。景色は。臭いが最悪だ。煙草と香水と…血か?ひでえ臭いだ」

「ここは欲望叶える桃源郷。世の中の大体の願いはここで叶えられるわ」

「長く生きてきたが、こんな場所は知らなかったのう…」

「会員制だから中に入りたくてもそう簡単に入れないわよ」

 伽藍が先に階段を降り始める。風景に目を奪われていた他の三人もそれについて行った。階段を下りてもずっと煌びやかな建物が立ち並んでおり、そのそれぞれの建物から楽し気な声が漏れている。

「すげえなここ…しかも、中国語ばっかだ。なんて書いてあるか全然分かんねえ。何だこれ…兵?」

乐龍房ルゥロンファンじゃな。恐らく料理店じゃろう。…どうやら、ここにある建物のほとんどは飲食店か風俗店じゃな」

「…アホみてえな場所だな。長居してたらこっちもアホになっちまいそうだ」

「着いたわ。この先よ」

 気が付くと、階段は途切れていた。下り切った先にはさっきまでの華やかな雰囲気とはまるでそぐわない黒い鉄の扉。伽藍はその扉を軽くノックした。

「会員番号、マオ1917。伽藍瞳」

 しばらくの沈黙の後、扉がぎぎっという嫌な金属音を鳴らしながらゆっくりと開いた。その瞬間、伽藍以外の3人がみな鼻を抑えた。

「ぐ…っ」

「んだよ、これ…。この中にいる奴は代償に嗅覚がねえのか…?」

 それは圧倒的な腐乱臭だった。鼻を抑えていても少し臭う。吐き気を催す、最悪の空間。中にはさらに奥へ続く通路が見える。

「まるで阿鼻地獄への入り口じゃな…」

「そうね。最初は私もそう思った。でも、もう慣れたわ」

 そう言って伽藍は暗く先の見えないコンクリートの道を進んでいく。

 臭いは先へ進めば進むほど強くなっていった。目も開けたくないほどに不快で、何度も胸に吐き気がこみ上げる。いつの間にか喧騒も聞こえなくなっていた。冷たい足音だけが鳴り響く。

「そろそろご対面よ」

 4人の前には中国式の格子が付いている赤い扉。伽藍がゆっくりと扉を開く。 

 目の前には意外にも明るい部屋が広がっていた。複雑な模様の衝立ついたてや象眼や彫刻が施された木製の椅子や棚など、中国風のインテリアが奇麗に整えられている。部屋の中央には同じく装飾が施された長机とその上に大量の花が添えてある。

 突如現れた奇麗な部屋にも驚いたが、それ以上に違和感があった。

「臭いがしない…」

 すると、部屋の左側の扉から誰かが現れた。黒のマッシュに物腰の柔らかい笑み。黒のスキニーに赤と白のジャンバーを着て、手には煙管を持っている。

「ん、なんや。お客さんか?…お、伽藍!欢迎光临!また金持って来てくれたんか?」

「ごめんなさい。今日はまだ持ってきてないわ。この3人に話しておきたいことがあってね」

「ああ、隣の部屋の。とりあえずあんたから受け取った金の分はしてあんで」

「そう。ありがとう。皆ついて来て」

 そうして伽藍たちは男が出てきた扉とは逆方向の扉の中へ入って行った。

 そこは酷く暗く寒かった。息は白くなり、しばらく居るだけで手がかじかみそうだ。

「この気温…霊安室と同じか?」

「せやで。この部屋は1℃に保たれとる。あ、部屋ぁ暗くてよう見えへんな。スイッチは…ここか」

 ぱっと部屋が明るくなった。

「これ、は…」

 最初に声を上げたのは百々目鬼だった。目の前のを拒絶するように、一瞬目を背ける。伽藍が口を開いた。

「私の母親、伽藍樺織かおりよ」

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彼岸の火事 桜幕斗一 @determination8374

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