物書き×書き物

幼い頃から物語を作ることが好きだった。

背景を綴れば景色が、言葉を綴れば台詞が、心情を綴れば心が浮かび上がってくる。

―――そして、浮かんだ世界に沈んでいく。


自分だけの世界を作り、沈み、自分だけの時間を過ごす。

それだけが自分の全てだった。



夜中:二人の話


『クラスメイトの柳瀬と下校中、突然彼女が公園に寄ろうなんて言い出した。』


『聞くと、作曲を始めたので試聴してほしい、とのこと。断る理由もないので二つ返事で引き受け、今しがた聞き終えた所だった。』


『「それで、加賀美君はこの曲を聞いてどう感じた?感想が聞きたいなぁ」』


『そう言って朗らかに微笑む彼女の顔を見る。気を抜いたらこちらの頬もふにゃふにゃになってしまいそうだ。しかし質問には真面目に答えなければ。』


『「うーん、音楽の事はあまりわかんないけど、聞いてて凄く心地よかったよ」』


『「そっか、ありがと。もう少し改良してみるからその時はまたお願いね?」』


『これでまた会う確約が取れた、もしかしたら神は存在するのかも。週末は神社にでも行こう。』


『「わかった、期待しているよ?じゃあまた明日」』


『「ハードル上げないでよ~..もう。また明日ね、加賀美君」』


『別れの寸前、彼女の物憂げな表情が目に映ったのが妙に引っかかった。』




夜中:私の部屋


「....ふぅ、少し休憩を挟むか」


この作業をするときはやはり疲労が溜まるらしい。

いつになったら慣れるのか、もしかしたらいつまでも慣れないのかもしれない。

そんな意味も答えも無い思考はさっさと切り捨てたい、"執筆"の邪魔でしか無いのだから。


長時間座っていたからか大分体が硬くなっているようだ。軽く伸びをしただけでも体が軋むのがわかる。やはり人間は歳には勝てないのか...いや、ただ運動していないだけか。


まぁいい、眠気覚ましにコーヒーでも飲もうか。


『はいはい、もう注いであるよ。砂糖も入れといたから』


何も言わずともこちらの思惑を察して動いてくれる彼女には感謝しかない。

何か礼でもしたいところだが....いいや、適当に褒めておけば。


よくやった。


『あのさ、ボクにはご主人が何考えてるかある程度分かるって知ってるよね?噓くさい謝辞の言葉並べられたって嬉しくもなんともないんだから言わなくていいよ、ぞわぞわする』


昔に比べてかなり厚かましくなったな。一体どこで間違えたのか...

今度躾の本でも買おうか。


『ねぇ、休憩も終わりにして、そろそろ作業に戻ったらどう?』


...段々口うるさくなってきたが、別に無視しても問題ないだろう。

さて作業に....いや、なんだかこいつの言うことを聞いたみたいになって癪だ。

腹が立ってきたし軽く脅迫でもすればこいつも黙るか。


なぁ、そろそろ"設定"を変えてもいい頃合いなんじゃ――


『わーーかったわかった!口出ししないから自由にやって!ね!!』


あまりの変わり身の早さに思わず嘆息が漏れる。

意志の弱い奴め、その程度で俺にどうこうしようとは片腹痛い。

気分転換も済んだ所で執筆を再開する。


次はどこから入るべきか...


『普通にさっきの続きからやればいいんじゃな...今の無し!撤回するから許して!』


ふん、いいだろう。それに下手に悩んで時間を浪費するよりかはその方が余程マシだ。


『ゆ、許された....』


では今度こそ、愛しい"彼ら"の世界を創り始めよう――



――――――

夜中:?


幼い頃、いつも絵本を読んでいた私は不満を抱えていた。


【どうしてキリギリスは怠けたからって仲間外れにされたの?どうして魔女は悪い人なの?】と。


主人公や主人公群とは反対の陣営に属する者たち。すなわち悪役、もしくは被害者、愚者の存在。

幼さ故に彼らの不幸を許容できなかった私は、物語の続きやIFを書き始めた。

誰も悪くない、みんなが仲良くできる物語を書こうと、そう思っていた。


今にして思えば、あの時、あの段階で気づけたのは幸運だったのだろう。



『きりぎりすがはらっぱでうたっていると、 ありさんがはなしかけてきました。』


唐突な導入、前置きが短すぎるし話に入り込めない。


『「あれ? きりぎりすさん、 どうして こんなにいそがしいのに うたなんてうたっているんだい? そろそろはたらかないと ふゆになったらしんでしまうよ」』


正論だ、働かざるもの食うべからず。怠けものに食わせる飯など無い。


『「だいじょうぶさ、 ぼくらはいま、きみたちをげんきにするうたをうたっているんだからね。 そのかわりに ふゆになったらごはんをもらうのさ」』


何が大丈夫なものか。それを約束してくれる相手など存在するはずがない。


『「なるほど、 それならぼくたちがもっとたのしくはたらけるように あついうたをうたっておくれ」』


炎天下で暑苦しい歌を歌われでもしたら、自分ならそいつを張り倒しに行くだろう。

少し読んだだけでもわかる、文章や登場人物の台詞のちぐはぐさ。描写も足りていないどころの話ではないし、そもそも展開に無理がある。

それでも、こんな文でも物語のはみ出し者たちが救われているなら嬉しかった。


「きりぎりすさん、喜んでくれてるかなぁ」


余計なことを望まなければ、結果は違ったのかもしれない...まぁ、後の祭りだが。



『【え?】』


その時は確か、鬱蒼と茂る森―ではなく、見上げるほどに大きい雑草が周りに生えていたんだったか。先程まで居たリビングではない、突然の外の世界に困惑している間に次がやってくる。


草が少ない地面の上にある葉っぱ、その上に異形のシルエットが見える。

太陽に照らされて青々しく光る体表。全体の大半を占めるほどに太く大きい体。ギザギザと棘が付いており、蹴られでもしようものなら数秒と経たずに天の門が見えそうな脚。そして特徴的な複眼と触角の付いた顔。それは巨大な蟲、虫嫌いの人間でなくとも見たら卒倒してしまうであろうその姿は、正しくキリギリスだ。


『【う、わぁ】』


思わず声が漏れ、慌てて口を塞ぐがもう遅すぎた。キリギリスはこちらの居場所を察知し、キチキチと口を鳴らし、羽を擦り合わせながらゆっくりと近づいてくる。


『[キshaアァァァ...]』


食べられる、そう思った瞬間に別の方から音が聞こえた。

何かが歩く音。その方向を見ると、この話の片割れがやってくるところだった。


黒光りする全身に、細い足が6本ついている。顔の先に着いた凶悪な顎は自分の頭などいとも容易く嚙み砕いてしまうだろう。先ほどのキリギリスよりは二回りほど小さいが、絵本の中にあった可愛らしさなどかなぐり捨てた出で立ちをしたその姿は、まごうことなく蟻だった。


新手が来た、どちらにせよ状況は変わらない。そう考えた私は両手で頭を抱えてうずくまっていた....そんな事をした所でどうにもならないというのに。


数秒後、目に映った光景、起こった出来事。

当時の私にはそれらを素直に受け入れる事などできなかった。


『あれ? きりぎりすさん、 どうして こんなにいそがしいのに うたなんてうたっているんだい? そろそろはたらかないと ふゆになったらしんでしまうよ』


デフォルメもされていない、自分よりも大きいサイズのアリが自分と同じ高さの声で話しだした。

不気味、不快。その言葉こそがあの時の感情を表すに最も相応しいだろう。


いや、心のどこかではわかっていたのかもしれない。直前まで書いていた文、文章が綴られる以前の状況。そして何よりも、現れた登場人物たち。

襲われかけたことでその考えを拒んでいたけれど、これを見てしまっては受け入れるほかない。


自分は物語の中に入ってしまったのだ、と。



――――――

深夜:私の部屋


―――いけない、意識を飛ばす先を間違えたようだ。

それにしても随分と懐かしい記憶を覗いた、何かきっかけでもあっただろうか...


「――蟲、かぁ」


『珍しく喋ったと思ったら何?流石にその内容に虫をぶっこむのは良くないと思うんだけど』


そうじゃない、昔の事を思い出してただけだ。


『ふーーん...ボクもそれ知りたいなぁ。ご主人、自分の過去話とか殆どしないし』


だってしたところで何の意味もないだろう。そんな無駄な事に時間を割きたくないし。

っていうかそもそも自伝なんて書けるほどまだ生きてないだろ。


『ケチ~』


黙れ、お前がどうなってもいいのか?


『それね、脅迫どころかただの恫喝だからね』


所有物の癖に造物主様に向かって説法とは生意気な。


...いやしかし、過去話..自伝か。

こんな体だから日記なんて付けたことが無いし、覚えてることだって少ない。

けれど印象に残っていることならば覚えている。昔よりも文章を書くのも上手くなったし、もしかしたら出来るかもしれない。――――追体験を。


よし、今日の作業は終いだ。明日辺りからちょっと出かけるけど用意はいいな?


『んぇ!?ご主人が、自ら外出を...????うん、任せて!美味しいお弁当作るから!』


そう言って彼女は買い物に出かけて行った。

ははは、これから自分がどこへ連れていかれるかも理解しないで暢気なやつだ。

その顔が驚愕に染まる時が楽しみだ、明日が待ち遠しいなぁ。


決意は固まった、後悔もしない。後先なんて考えない。

全身全霊で、この紙に全てを書き写していく。

あぁ、これが終わったらしばらくは休養に温泉にでも行こうか...



――――――

日中:絵本


あったあった、これを回収すればもうここには用は無いのだが...


『[うた、て、aaれeキリgillそろkurerererere]』


『【ぎゃああぁぁあぁ!!!!】』


「え、えぇぇーー....」


翌日、私達は本の中に来ていた。あくまで私の記憶の中にしか存在しないため、昨日見れなかった後半を上手く書けたか不安だった..が、なんてことは無かったようだ。

せっかくなのでこの祭りを楽しむこととする。


奇怪な叫び声をあげて幼い私に襲い掛かる大蟻。幸いにも周りの草が邪魔なようで、幼児の私でも未だに追いつかれていない。しかし追いつかれるのも時間の問題だった。


「ご主人、よく冷静に見てられるね。あれ実際に起きたことなんでしょ?」


懐かしいとは感じている。

ただもう乗り越えたことだし、こんな事故はあれから起こしていないので別に怖くもない。強いて言うならば、想像以上にキリギリスの口元が気持ち悪かったことだろうか。


「いや確かにクッソ気持ち悪いけど...んでどうやって抜け出したの?」


見ていればわかる。ほら、そろそろ追いつかれて顎で挟まれるぞ。


「え”」


子ども体力で逃げ回っていても限界があるため、息切れを起こしてへたり込む幼い私。

対するは、まだまだ動けますと言わんばかりに追い詰めた大蟻。

もうすぐ知ってた、と言う声が方々から聞こえてきそうな結末がやってくる――わけがない。

まぁこれあくまでも自伝だし、私は今生きているし。


ギチギチと嫌な音をかき鳴らして大顎が迫る。顎の先端で挟まれ、少しでも力を入れられればプチっと弾けてしまう。その時の私は人生で最も運が良かった日かもしれない。

絶体絶命のタイミングで最高のカードを引く、まるで物語の主人公じゃないか。


「ひやぁ...ボクもう見てられない...」


うるさいのが眼に手を当てている。感動のシーンなんだから黙っていればいいのに。

お、これでこの場所ともおさらばだな。


『【いやだ...僕が書いたのはこんな話じゃない!こんな話...もう"おしまい"だ!】』


決定的な言葉が口から発せられた途端、世界が闇に包まれる。

"僕"も、キリギリスも、アリも、そして私たちも。ずぶずぶと闇に沈んで行く。

ぬかるんだ地面から足を抜くことは出来ず、もがけばもがくほど沈む仕様だ。


「待って待ってやばいやばいやばいこれ死ぬって死ぬマジで許さねぇぞご主人んん!!!」


何もしなければ穏当に終わるのだが...いや待て、こいつの場合は不味いかもしれない。

何か策は...あぁ、私との繋がりがあれば充分か。


うるさい、私が手を繋いでおけば大丈夫だから手を出せ。


「ううぅ、ボクだけ死んだら祟るからね....」


手を取った瞬間、今度こそ全てが闇に消えた。



――――――

日中:私の部屋


文字で構成された空間から現実に帰還する。そこまで時間は立っていない筈だが暗くなってきた。

モノも取ったし疲れたから休みたいのだが...


『ああっぁあぁ死ぬかと思った!怖かった!急に手を繋いでくれたから心を開いてくれたと思ったのに!あんな!あんな気持ち悪い虫見せに行くだなんて!!!』


現実に帰って早々、案の定こいつは喚き散らしだした。自伝を読みたいと言ったのはお前だろう。

確かに許可も取らず物語に連れ込んだのは悪かったが...いや別にいいか、俺のものだし。


うるさいなぁ、お前そこまで嫌がって無かったしそもそも俺たちに危害は無いんだからいいだろ。


『いーぃ訳ないでしょうがぁ!最後の黒いのとかホラーすら通り越して発狂するよ!!』


楽しんでくれたようで何より。それでどうだった?私の処女作は。


『楽しくはなかったって、言って....ていうか幼児期に書いたものを処女作...いや、あんな目に合っておきながらよく執筆活動続けられたなぁ、としか。あでもご主人の幼少期はなかなか』


死にはしなかったからな、B級映画を体験できたと思えばお得だったし。

あと昔の私の話はやめろ、それは嫌いだって前から言ってるだろ。


『はぁい』


わかってはいたが、こうも予想通りに生返事が帰ってくるとは。

....後で何かしら書き加えておくか。


じゃあ次行くぞ~。


『待って、待ってご主人、疲れたから今日はもう休憩にしない?それにほら、こういうのって一気に見ても後から思い出せなかったり、そもそも頭で処理しきれなかったりするし、ね?』


む、仕方ない。

じゃあ今日のところはやめにするか。


『助かったぁ...それでお弁当なんだけど、食べる暇なんてなかったから今食べよ?』


いや..いつも通りゼリーと栄養機能食品でいいだろ。あれ美味いし。

あっクソ、こいつもう弁当箱あけやがった。


『作った人への礼儀も忘れちゃったのかなぁ~?今日はこれだから我慢して食べるよ、ほら』


そう言って箸でおかずを持ってこちらの方に――やめろやめろ、押し付けるんじゃあない。

飯くらい自分で食べるから箸を寄越せ。あと箱の方は支えといてくれ。


『は~い、合点承知の助』


やはり片腕だと食べづらいが、アシスタントがいると多少は変わってくる。

ふざけた返事だがかなり安定しているし、こいつを書いた一番の成果がこれかもしれない。


『ちょっと、それなら伸縮型の支えとかを書けばいいでしょ。ボクを道具扱いしないで』


悪かった、だからぐらぐら揺らすのはやめてくれ。凄く食べにくい...あ。

お前が揺らすから食べる気なくなっちゃったなぁ~、本当はもっと食べたかったのになぁ~。


『小さい頃の自分見たからって精神までクソガキになる必要は無いんだよ、ほら食べて』


畜生、昔に比べて母親みたいになってきたけど誰に、何に影響されてしまったんだ。

初めのころはもっと従順だったはずなのに...


『まともな自我が芽生えた証拠だね。製作者冥利に尽きるんじゃない?』


確かに成長することで私の才能の度合いがよくわかる点ではお前は最高だ、これからもよろしくな。


『未だかつてない程に醜い"これからもよろしく"だね。あまりの酷さにボクからは何も言えないよ』


ペラペラと口を回しているくせによく言う。

お、この唐揚げ旨いな。


『でしょでしょ、腕によりをかけているからね。存分に味わってくれたまえ』


ごちそうさまでした。


『...ご主人~、いくら小食って言ってももうちょっと食べない?』


どうせ余った分はお前が食うつもりなんだろ。だったら低燃費の俺よりも、栄養があればあるだけ困らないお前が摂取した方が効率がいいだろう。


『ご主人は動かなさすぎるだけでしょ...ま、いいよ。じゃあ明日の分は少なめにしとくね?』


そうしてくれると助かる。弁当美味かった、ありがとな。


『な..もう、煽てたって無駄だからね。態度が変わるなんて思わない事!』


顔を赤くしている癖によく言う、チョロいな。


......本当に、簡単に落とせるな。それもそうか、こいつの人格なんて、攻略法なんて私にはわかり切っていることなんだから。今、この笑顔の裏にある感情せさえも手に取るようにわかってしまう。そんな相手と会話して、解答用紙付きの会話をして楽しいのか?


『どしたのご主人、また悩み事?』


あぁ、別になんでもない。それよりも明日行く場所の描写をもう少し詰めようと思う。


『そっか、無理だけはしないでね。じゃあボク洗い物してくるから。あ、お風呂湧いたら呼ぶね』


助かる。じゃあまた後で。


バタンとドアを閉める音、やはり執筆は静かな空間でやるのが一番いい。

晩飯を抜いたらあいつはさぞや怒るだろう。今日限りは許して貰えないだろうか。


....さて、無駄な思考は切り捨てる。今はただ、目の前にある作品を、記憶に忠実に――



――――――

夕方:図書館


自分の書いた話のキャラクターに襲われた私は、数年間何も書くことが出来なかった。

だけど何も書かないのは嫌だ、目的があったのだから達成しなければならない。

しかしまたあんな目に合うわけにはいかない。対策を考えなければならなかった...


とまぁそんな訳で、幼い頃の私はここに入り浸るようになった。


「...お、ここが次のとこかぁ。ご主人が何歳の頃だったっけ?」


7~10の三年間だから、まぁ少しばらつきはあるけど小学生の頃だな。


数えられないほどの本棚が立ち並び、広い読書スペースでゆっくり読むことが出来る。

落ち着いた内装と静かな空間、深い紙の匂いに包まれた癒しの場所。


「図書館かぁ。..ま、無難だね。それで、ここでは何が掴めたの?」


じゃないとわざわざ書いてまでここには来ない、普通に大人しく現実の図書館に...

いや、それはしないだろうなぁ。外出たくないし。


「勿体ぶらないでよね~」


うるさいので持ち込んだペンを向ける。

すると顔を青くし、さながらバイブレーションのように震え出した。

振動が少しこそばゆいな、こっちもやめるからそれを止めろ。


「理不尽....」


知らん、それでこの時間の説明だったな。ここではまず、自分のできる事の把握を始めたんだ。

自分が使える能力はそもそも異常であることを知れたし、あれがなぜ起きたのか、どうすれば安全に物語に入ることが出来るかを探していた。襲われないようにするための方法..とかな。


「確かに安全が確立されないとおちおち書くことも出来ないよねぇ」


あぁ、そのために私は、ひたすら文章を読むことにした。

絵本、図鑑の説明文、漢字が読めるようになってきたら文庫本、ってな感じでな。


ん、あれは...10歳頃か?初っ端からクライマックスシーンらしいな。


「白々しいね、自分で書いたんでしょ」


だってわざわざ成長の過程を書かなくたっていいだろ。


そうやって駄弁っていると、私がぼそぼそと呟き始めた。


『【キリギリス、5cmほどの大きさで男子中学生のような声で日本語を喋る。僕を見ることは出来ず、襲うことはない。大きさや言語以外の基本的な体を構成する要素はヒガシキリギリスに準ずる。...これだ、帰ったらノートに書いてみよう】』


独り言を済ませた私はスタスタと帰っていった。


「.....うっわぁ、何あれ。盛ってる?流石に盛ってるよね?あんな小学生居るわけないよね?」


私は記憶力がそこそこいいんだ、それにノンフィクションに嘘を書くなんて真似をすると思うか?

...確かに多少は盛ってるかもしれないけど当時は大体あんな感じだったぞ。


「そっか、そっかぁ....悩みがあったら相談に乗るから遠慮なく言ってね?」


人をヤバイ奴扱いするんじゃない、張り倒すぞ。

まぁいい、そろそろ場面転換だからな~


今回はちゃんと設定しといたし手を繋がずとも大丈夫なので放置。


「えっ」


突然暗闇に包まれる。帰還時の泥のような闇ではなく、あくまで視界が奪われるだけだ。

足元を奪われるような不快感も無く、ただ純粋にその場から何もかもが消えただけ。


場面転換には暗転、お約束だろう?



~~~~~~

ボクの見立て


そこに飛んでから、彼の様子が変わったのは一目瞭然だった。

呼吸は少し荒いし視点も忙しなく移動している。

錯乱しているのか興奮しているのかはわからないけど、何か強いものを感じている事だけはわかる。この光景に大切なものがあったのか、この光景そのものが大切なのか。

彼は話してくれないし、こっちから話しても何も言ってくれないだろう。

だからボクも、いつも通りに、明るく能天気に。


これで、ご主人の心が少しでも軽くなるのなら。



~~~~~~

夕方:僕の部屋


「こっっわ、え?いきなり暗転とか聞いて無いんだけど?」


言って無いからな。むしろ知っていた方が驚きだ。



次の場面は自室、懐かしい自分の部屋。

本棚が二つ、その中にはぎっしりと本が詰まっている。

壁には有名な小説のポスターが、引き出しの中には台詞のない設定集が詰まっている。

子ども部屋、と言うには少々本や紙の割合が大きい気もするが、私の子ども時代はこれだった。



「何かする時、起こる時は事前に通知する癖付けよう?ね??」


疑問符ばっかり浮かべるのはやめろ、少しは我慢と言うものを覚えたらどうだ?


「え、今のボクが悪いの?うっそだぁ...あ、小主人入ってきたね」


変な呼び方をするな、お前の肌を青一色にしてやってもいいんだぞ。


「・×・」


それでいい。


余程焦っているのか。私たちが喋っている間に先ほど呟いていた内容に加えて、背景やアリの設定、心理描写まで書き終えていた。流石にこの辺りは当時の物が無ければ無理だっただろう。


「人間の記憶力なんてそんなものだよ、むしろ実物があるとはいえここまで書けるんだね」


それだけ印象に残ってるということだ。

さて、イベントが始まるぞ~


「そんな気軽に言えちゃうものなんだぁ..」


『【よし、後はこれを作品にすれば...!!】』


作品名を付けて作品として完成させた瞬間、私の体は忽然と消えた。


こっから十分くらいは暇になるな、やることが無いのだがどうすればいいと思う?


「十分程度なら"しばらくして"とか入れればすぐに済む話でしょ、何で飛ばさないの???」


理由はない...いや、もしかするとお前に無駄な時間を過ごさせてみたかったからか?


「捻くれてるねぇ...あそうだご主人、どんな感じで設定したのか聞いても?」


何か俺の企みに対抗する策でも考えているのか...??

――まぁいい、今まで話す機会も無かったし教えてやろう。


まず初めに、一番大事なのは自分の安全だった。ただし自分を襲わないなんて設定は論外だ。


「いやいや、設定しなきゃ襲われちゃうでしょ?」


わからないのか?宇宙空間に放り出されたら死ぬんだぞ?自分に危害を加えるのは悪意や本能だけじゃない。環境そのものが殺しにくる場合だってあるんだ。


「なるほど、となると解決策は"自分は物語に一切干渉できない"とか?」


ハズレだ、それをすると視覚情報すら働かなくなる。絶賛失敗中だしな。

今、この時の私は"改訂版『アリとキリギリス』著,私"の中にいるが、今頃暗闇の中に監禁されてるからそろそろ発狂する頃合いだろうか....


「んんんん~~~???」


話が全て終わるまで6分、現実と物語の中を移動するのに往復で8分掛かる。今回は早々に合言葉で抜け出したが、あの時は暗闇の中でどれだけの時間を過ごしたのか..2分強か?

まぁそれは今はいい。


「良くはないよね、ご主人ってば昔からそんな危ない橋渡ってきたの?」


故意じゃないから仕方ない。まだ時間はあるし解説を続けるが、他に聞きたい事はあるか?


「うーん.....ん、あの虫達が壊れた理由とそうならないための対策かな」


あれは...描写不足だ。設定が少なすぎたり描写が足りないと壊れてしまう。ある程度は私のイメージで補完できるが、気を抜いたら最後。生物は狂い、非生物は挙動がおかしくなる。

具体的に言うと毛糸を振り回したら人間が真っ二つになる。


「怖すぎない...?だったらご主人の処女作で世界自体が崩壊しなかったのはなんで?」


言っただろう。ある程度ならその場のイメージで補完できるって。

それにあれは少ない情報で完結していたんだ。草むらで、葉っぱがあって、その上にキリギリスがいるだけ。天気は晴れをイメージしていたし、あの世界はそれで充分だったんだ。

何よりも、幼ければ幼いだけ想像の力は強くなる。信じる心ってやつだな。


「へぇ~、ご主人にもそんな心がある時があったんだね。びっくり。」


ははは、質問コーナーは終了だな。


久々に長ったらしい会話を続けたから疲れた気がする。やはり程々にするべきか?

それにそろそろ私も帰ってくる時間が来る、会話を終わらせるにはいいタイミングだ。


「お預けかぁ~、もやもやするなぁ」


その生意気な口を閉じてから言う事だな。あまり俺の不興を買わない方がいいぞ。

...と、帰ったか。


『【―――っっはぁーー、はぁ、はは、ははは。ひひははは】』


大きく息を吸って吐く。落ち着くための行動のはずだが、今この状況に限っては発狂をアシストする動作になってしまっている。ただ笑いが止まらないだけなのだから可愛いものだ。


「目が逝っちゃってるよ..こっから再起できたの?よく頑張ったね」


所詮は一時的な発狂に過ぎない。ある程度時間さえ経てば元に戻るからな。

第一これくらいで狂ってたらこの先の事なんて耐えられるわけないだろ。

ほら、もう瞳に生気が戻り始めたぞ。あと十分もしたら元に戻るさ。


「見てみたい気もするけど――どうせもう帰るんでしょ?」


あぁ、これ以上ここに居る意味は無い。さっさと次の時間を書かなければいけないしな。

それに―――



あぁ、この部屋はもう。



私達を中心に影が広がる。部屋にある本、棚、机、ベッド。全てを闇色に染め上げて侵食する。

二度目ともなると、彼女の悲鳴は聞こえなかった、



――――――

夜中:私の部屋


『ねぇご主人、それで――どうだった?』


――クソ、なんでそういう所は鋭いんだ。なんでそう創ったんだ。それとも俺がわかりやすいのか?

穏やかな、優しい目をした彼女の真紅の瞳と目が合う。まるで母親のような笑みを浮かべる彼女を見ていると無性にイライラする。違う、俺が、私に、こんな―――


「..っぁあ、よかった。満足したよ」


絞りだしたようにかすれた声、今の声はなんだ、もしかして俺の声なのか?

酷いな、こんな露骨に感情を言葉に乗せるのは久しぶりだ。反吐が出る。


『....そっか、うん。じゃあボクはリビングにいるからね』


その言葉を最後に、この空間は再び静寂に包まれた。



ベッドに倒れこむ。受け身なんて考えずに、ただ自分を投げ出すように。


「,,,,クソ、こんな、ことで...!!」


頬が濡れる、涙か?嘘だ、そんなものしばらく流していないのに。

ただ、ただあの部屋で、それも少ししか過ごしていない筈なのに。

見なければいけない、受け止めなければいけない。私がやった事の全てを。

傲慢で怠惰な私は、きっと地獄に落ちるのだろう。

それでも許されるのならば、せめて今、この瞬間だけは。


「...みんな、ごめんなさい」


懺悔をさせてくれ。



――――――

日中:私の部屋


午後2時、最悪の目覚めだ。

昨日はあまりにも酷かった、まさかあいつに気を使われるほど疲れていたとは。

しかし途中まで来たんだから終わるわけにはいかない。絵本と昔の部屋はもう済んだ、後は紅い部屋とバースデイを見たらこの旅も終わる。全てをもう一度、この手に、この目にするまでは終わることなんて出来ない。

――例え、それであいつが傷ついたとしても。



栄養も補給したしそろそろ行くか、準備は?


『いつでもOK!次は何が起こるかな~♪』


最初にも言ったけど、この自伝の目的は蒐集と振り返りだからな。ピクニックじゃないぞ。


『わーかってるって~、でもさでもさ?せっかくなら楽しまなきゃ勿体ないよ?』


知らん、さっさと行くぞ。


うるさいので手を掴む、後は意識を文章に集中するだけ...あ、今回は二か所行くからな。


『~~もう、せっかちなん...え?二カ所??』



――――――

日中:僕の部屋


夕暮れの部屋、誰もいない部屋。

――いや、"ここ"にはいないだけだ。じきに帰ってくる。


『【ん~~よし!成功だ!】』


そう言って突然現れた少年..私の手には、新品の消しゴムが握られていた。


「えーっと、どういう状況?」


いつも私がやってるだろ?あれを思いついて、実行に移したら成功したのが今の光景だ。


「...あぁ、いつもご主人が万札握って出てくるあれね。偽札能力だと思ってたよ」


失礼な奴め、本物を作っているんだぞ。あれはその程度の能「ご主人の方が世界中の人に失礼だよ」

....


「それで、ここに来たのはこれだけ?だとしたら随分とあっさりしてるけど」


あぁいや、今この瞬間、自分こそが最も幸福で優秀なものである、と言いたげな顔を見てほしくてな。

見ろよあの得意顔、さぞやおめでたい頭をしてるんだろうな。


「どこまでできるか知らないけど、万物の創造でしょ?天狗になっても仕方ないと思うなぁ」


は、じゃあ次の章に行くぞ。


「はいは~い」



――――――

日中:紅い部屋


その部屋は先ほどの部屋と同じとは思えぬくらいに様変わりしていた。

モノで溢れかえり、足の踏み場が見当たらない床。サイズの大きいものを作り過ぎた。

本棚から放り出され、乱雑に積まれた本。一度読んだら用済みになってしまった。

そして..本棚を占領する数多の人形。練習のための試作品たちだ。


ここまで変貌していても、懐かしの....いや、忌まわしいこの部屋を構成する要素はまだ足りない。

最後のピースを持った奴が帰ってくるまで、あと5分くらいか。


さて、これを見て何か感想は?


「....やり過ぎ、だね。ここまで創ってると、ただ力に溺れてるとしか思えないよ」


ご名答。欲しいものを何でも手に入れられる能力が発現してしまった私は得意の絶頂にあった。

ただ、この部屋に足りないものがある。自分で考え、動き、生きるモノ。

――生物、それを創ることだけは忌避していた。


「怖かったのかな、あの蟲がトラウマになってるとか?」


それもあるが、もっと根本的に恐怖していたんだ。生命の創造と言う行為自体に。


自らの力、欲望のままに行動して神近しい存在となる..が、斃されてしまう。

物語ではよくある展開だ。

しかも大抵は創ったものに裏切られたりするから、尚の事行動に移せなかった。

この時までは。


「あぁ~、やっちゃったんだねぇ。それで派手に失敗したと」


そうだ。だがその行為自体が間違いじゃなかったってのが物語とは違う所だな。

馬鹿なミス、ちょっとでも考えれば気づくことに出来なかったのが私の過ちだ。

そろそろ来る頃だな。準備はいいか?


「準備って何の?」


――覚悟だよ。



先ほどまではなにもいなかった空間に、初めから居たような態度の人間が現れた。

その人間..私は、手のひらサイズのあみぐるみのクマを持っている。

取っ散らかった机の上、そこにあるものを全て落としてクマを置いた。


『【ここに置いて..うん。やぁクマ君、君の特技はなんだい?】』


『『僕...?僕は撫でられるのが得意だよ、とっても気持ちいいんだ!君は?』』


低学年程度の性格、中学生程度の知能。毛糸とボタンで構成されたそのクマは、立派な自我と呼べるものを持っていた。この時点では実験は成功だった。


『【返答よし、知能はOK...あぁ、僕はお話を書くのが得意なんだ】』


『『そうなんだ、もしも疲れたときは僕が癒してあげるよ。こうやってね』』


純粋な善意による言葉。設定したのは自分なので、それを疑う理由はない。だから気づかなかった。私の手を自分に引き寄せようとするクマの危険性を。



「よくできてるね。それに実験自体は成功してるみたいだし、何が問題なの?」


見ればわかるさ、何が間違っていたのかがな。


『【はは...ありが――――え?】』


礼の言葉を口にしている最中、喪失感があったのを覚えている。

あの感覚は今も忘れられない。


「...っっ!!!ご主人!あれ今すぐ止めて!」


彼女の血相が変わる。余程焦っているようだが、過去の映像に過ぎない。


無駄だ、あれはあくまで物語の中、それが再生されているだけだ。

それに私だってまともに干渉できないように設定してあるんだ。私達に出来ることは無い。


「――でも!だからってあれを黙って見ているなんて、」


諦めろ。今の俺を見ろ、それが結果だ。



彼女の視線の先には、可愛らしい毛糸のクマに―――指を引き千切られている俺の姿があった。

余りの痛さに声すら出ず、驚愕に目を見開いている。

それを成した当人は、反省するどころか更に俺の体をボロボロにする。


『『大丈夫?どうしたの?ねぇ、■▪君!』』


左腕を掴んで揺さぶりをかける度、俺の左腕はぐちゃぐちゃになる。

クマの声、倫理観と力の加減が一切ないこいつは、心の底から俺を心配している。


『『ねぇ■▪君、大丈夫?どうして何も言ってくれないの?』』


悪意のない、理解のできない怪物を生み出した俺は、次第に意識が薄れていく。


『あ...く、そ....こんな、馬鹿みたいな失敗で.....せめて、こいつを消さないと..』


愚者の声、力や思想の設定をし忘れるとは愚かにもほどがある。報いを受けるべきだ。


【急いでノートのページを開く。少し体を動かすだけで激痛が走るが知った事ではない。】

何としてでも最短でヤツを止めなければならなかった、なのに。


『「おにいちゃ...その腕、どうしたの?だいじょうぶ!?おかーさん!!」』


妹の声、来ては駄目だ。早く逃げろ、だが運命は変えない。都合のいい話など無い。


【今すぐにヤツを消さなければならないのに手が動かない。待て、やめろ、それだけはやめてくれ。】


『『やぁ、君も寂しかったら僕が慰めてあげるよ!ぎゅうーってね!』』


妹に近寄るクマ、これから起きることはわかっている。この光景を、――この惨劇を引き起こし、止められなかった私を――俺は絶対に忘れない。


『「やだ、怖いよ、このクマさん。こっち、来ないで、き、ぃ、やぁぁぁ――!!!」』


【ペンが見当たらない、こうなったら血文字でも何でもいい。毛糸のクマは――】


両手でふくらはぎを挟まれ、ぶちゅぶちゅと嫌な音を立てながら妹の脚が潰されていく。

悲鳴を上げるももう遅い。ヤツはその後、弄ぶようにもう片方の脚を、両の腕も。


【――止まる】


妹の四肢は意識は、命は、そこで切れた。私の目の前で、私のせいで。

遅い、状況を見たからの判断があまりにも遅い。妹が来たことで動揺し、私は妹を見殺しにした。


【もっと早く書いていればよかった。それだけで妹は失われずに済んだはずだ。私がヤツを書いたから、私が生み出したから、私が止められなかったから、私が――俺が殺した】


『「叫んでどうしたの!?なんか変な匂いするけど...■▪、入るね?」』


母親の声、確かこの時はそんな風に喋っていた気がする。ここを見てはいけない。


【もう意識が持たない、だけどもう誰も襲われない筈だ。俺も妹の所に――いや、私は地獄行きか】


そこで私の意識は途切れた。


ここからは妄想の世界。あったかどうかはわからない、だけど確実にあったのであろう世界。



夥しい量の血に塗れた部屋。何もかもがどす黒い赤に染まりきった紅い部屋。

そこにあるのは左腕の無い私、四肢を潰された妹の死体、そして真っ赤に染まった毛糸のクマ。


『「...うそ、どうして?◆▪...■▪....何かの悪ふざけよね?そうよね?」』


妹の体にへばりついているクマ、それはもう動かない。


『「いや、いやよ。何でこんな、2人とも....」』


多分俺の容態も見たんだろう、だから私は今ここに居る。


『「..まだ脈がある、救急車を呼ばないと」』


しばらくするとサイレンが聞こえてくる。これで私は助かったのだろう。

だけど助かったのは私だけ。二度と妹は戻ってこないし、家族も壊れた。

私が全てを破壊した。

私が、諸悪の根源だった。



――――――

日中:私の部屋


帰ってきたのにこいつはずっと黙っている。いつもの明るさ、騒がしさはどこにも見当たらない。


お前、俺の腕が捥げることくらいは予想できてただろ。

今の俺に左腕が無いんだから、この旅の中で理由がわかることを期待してたんじゃないか?


『...ご主人、ほんとに落ち着いてるね。ボクにはもう、耐えられないよ』


そうか、でも後一回は付き合ってもらうぞ。


『まだこんなことを続けるの?どうして、どうしてそんなに淡々と見ていられるの!?』


そんなの簡単だ、-もう終わった事だから-...それだけだ。


『ご主人がわかんないよ...ボクはもう、これ以上ご主人が傷つく様子を見たくない』


....家族を殺しておいて悲しむ権利なんて無い。

それに、いつかこうやって客観的に見るべきだとは思っていた。


『....』


だから、あと一回だけついてきてくれないか?それが終わったら、俺はお前の言う事を何だって聞く。憎かったら殺せ、落胆したなら警察に突き出せ。――頼む、最後まで見届けて欲しい。


『――――わかった。でもご主人、後で覚悟しといてね』


..あぁ、ありがとな。



――お前ならきっと、私を救って殺してくれるよな。



――――――

夕方:White


真っ白で清潔なな空間、複数あるベッドの一つに少年が横たわっていた。

生きてこそいるものの、表情が、感情が死んでいる。

自分が殺したのに証拠がなく、少年院に入れられる事も無かった私は無気力に生きていた。


「病室....そっか、助かったんだよね」


俺一人だけだがな。


「え?」


妹は死に、母は過剰に服薬した。俺の生死が不明な事もあって、父も自殺した。


全員死んだ。


「.....今まで実家に帰ろって誘っても行かなかったのは」


そもそも実家なんてもう無いんだ。人が三人も死んだ物件だから取り壊されたしな。


『【......僕が、俺が、私が殺した。みんなみんなみんな、全員、そもそも私が...!】』


窓を見つめながら、ぼそぼそと呟いている。


『「そうだ、お前があんな化け物を作らなければ」』

【低い声、怒気を孕んだ身の震える声だ。】


『「あなたがあの子を殺さなければ」』

【穏やかな声、だけどその言葉には棘しか残っていない。】


『「お兄ちゃんが本なんて書かなければ」』

【高い声、強い憎しみが籠っている。】


『『『【皆死なずに済んだのに】』』』

【そうだ、全て私が原因だった】


掛け布団を頭から被って現実から、幻聴から逃避している。

そろそろ壊れる頃合いか。


「...」


突然布団の上で身を起こす私。

活力は感じられないが、その瞳に狂気が宿っていることだけはわかる。


『【....これからどうやって生きていけばいいんだろう。腕、無くなっちゃったし】』


『【皆いなくなった、何もない。私にはもう、何もない】』


『【舞、私を助けてくれないか?なぁ、舞】』


【傍にあった紙にペンを走らせる。ただひたすらに、自分にとって都合がいい情報を詰め込もう。頭が良くて、力があって、技術があって...私みたいに、能力が使える。そんな従者がいたらどれだけ楽だろう。とりあえずは思いつくだけのアイデアを書きだすことにする。】


始まったな、ここからが本番だ。


「....まだ本番じゃなかったんだ」


当たり前だろう。ここがお前の、スタートラインなのだから。


【容姿は基本的に舞だな、性格は時折変えればいいが...一応舞の記憶も書くか】

【舞をベースとして、多少の形や年齢の変更くらいは搭載しなければならないな】

【容姿の自在化があれば筋力の無茶な増強も..いや、筋力自体を自在にするか..?】

【頭脳はひとまずサイボーグにして、脳をスーパーコンピュータにすればいいか】

【技術は...仕方ない、脳の知識を実践できるように体の使い方を覚えさせればいい】

【異能力は...適当に便利そうなものを並べておけばいいだろう】


【少々やり過ぎたかもしれないが..まぁこんなところだろうか。これなら片腕がなくとも楽に暮らせる】


完全に私利私欲に走っている姿を見ると反吐が出るな、せめて作っているのが意識のないロボならまだマシなんだが。


「なんで妹ちゃんを残そうって考えたんだろう。未練かなぁ?」


..そうだな、こんな風になっても忘れられないし振り切れない。舞の存在はそれほど重かった。

極論を言えば、これは舞を生き返らせ、その上で強化をしているともとれるからな。


『【さぁ、早くでてこい..こんな病院さっさと抜け出すぞ】』


『『わかりました、ご主人様マスター』』


『【あ"ぁー、それの口調..あと呼び方もやめろ。もっと砕けて、ご主人でいい】』


『『...うん、わかった。じゃあいこっか、ご主人』』


『【――――舞】』


『『なに?』』


『【..いいや、何でもない。帰ったらまず引っ越すぞ】』


『『了解~』』



――――――

夜中:私の部屋


....これで、全部だな。


『結構長かったね...あれが、最初のボクかぁ』


あれから数回改造したからな。今のお前は4代目だったか?


『そうだね、多分、今までで一番――』


成長した場合の舞に近い...だろうな。

さて、そろそろ感想――いや、判決を聞こうか。


『――』


とりあえず、お前の過去の記憶を解放した。お前ならすぐに全てを把握できるだろう。

お前は俺によって創られ、弄られ、尊厳を踏みにじられて今に至る。

先代からたっぷり溜まっているだろう恨みを晴らすなら、それは今だ。

私がお前の所有権を放棄した今、煮るなり焼くなり、どんな要求も、死であろうとも聞くつもりだ。


,,,,マイ、お前は私に、何を望む?



~~~~~~

ボクの感想


(...お前を消す方法、とでも答えたら満足するのかな?)


ボクの目の前には馬鹿がいる、それもとびきりの大馬鹿野郎だ。

理不尽で、性格が悪くて、自由奔放で、皮肉屋で、性格が悪くて、そして――甘い男だ。

ここぞという時に非情になり切れない。そんな馬鹿が今、断罪を受けようとしている。



ご主人はボクの事を音西 舞オトニシ マイの記憶を埋め込んだだけの紛い物だと思っているだろう。

それは間違いじゃない。あくまで基盤となる人格がそれであるだけであって、自分が彼の妹というわけではないことは、正しい。それ故に紛い物として、道具として扱われてきた。

性格を気まぐれに弄られ、その時自分が欲しいと思った人格にされてきたことも思い出した。



だから何だというのか?


確かにご主人は狂っている。やっていることは完全に、禁忌に手を染めた命の冒涜者だ。

それに性格も悪いしボクに全部を教えて勝手に消えるつもりでいる。


正直、自分は彼の所有物なのだから何をされても構わない。

創作者が自分の生み出した子を傷つけてはいけない理由なんてものは存在しない。

..あぁ、なんだか面倒になってきた。

そもそも妹とボクの事を微妙に同一視していることも腹が立つ。

ボクの中に彼女はいる、それは事実だ。だけどボクは彼女じゃない。彼女の記憶や性格、人格を受け継ぎはしたものの、人間なんて少しでも環境に差があれば別人に成長する。

そんなこともわからず、もういない"妹"と勝手に思い込みで作り上げた"マイ"に殺されたがっているご主人を見ると頭を抱えたくなる。考えすぎなんだ、職業病のようなものかもしれない。


自分は、彼が楽に生きていけるようにするために創られた。

だったら答えは1つ。


~~~~~~

夜中:私と◆▪の部屋


そろそろ考えが纏まったのか、ゆっくりとこちらに近づいてくる。

その歩みはさながら、獲物を狙う肉食獣の様だ。


『...音西 祐真オトニシ ユマ、少し目を瞑って』


楽にしてくれるのだろうか?目を閉じたまま済ませてくれるとは慈愛に溢れているな。

感謝の念を抱き、力を抜いて、全てが終わろうとして――『歯、食い縛ってね』―な、


「――っがぁ、お、前...そうか、気が済むまで好きにするがいい」


すぐに死ねると思ったがそんな甘い話は無いらしい。

当たり前か、怨恨を清算するのに相手を楽にする馬鹿などいない。


せめて、あいつの怒りを、憎しみを受け止めようと。

その顔を拝んでおきたかった、それを見ないと死ねないと思ったから。

なのに、なんだ、何故、こんな――


『ご主人の馬鹿...大馬鹿』


視線の先には...溢れる涙で頬を濡らして、こちらを真っ直ぐと見つめる彼女がいた。



『勝手に行かないでよ、今まで一回も独りにしなかったんだから、ボクの事も独りにしないでよ』

憎いだろう、その思っている筈だ。


『それとも、もう用済み?ボクはもういらないの?』

見限ったんだろう、その筈なのに。


『それならもうボクが存在する価値はないし、もういいよね』

やめろ、お前がいなくなったら私は、俺は...


『ご主人、ボクは君の妹じゃない、ただの道具なんだよ』

.......


知っている、お前は妹じゃない、それがどうした?


『間違ってる。ご主人は舞ちゃんが死んだことを――』


「―――それ以上言うなぁぁ!」


聞きたくない、いや、あいつが間違っている。

舞は生きている、生きていなきゃいけないんだ。あんな理不尽な死に方は駄目なんだ、まだお前の中に生きて、生きているんだ。そうでなければ、私が、舞を。


『...ボクは舞じゃない。それにご主人は殺してない、あのクマがやったんだよ?』


違う、同じだ。私が殺して、今もお前に生きている。


『違わない!いい加減逃げるのをやめて、現実を見てよ!!!』


『あの子はもういない...もういないんだよ。死んだ人は、二度と蘇らないんだよ』


『何のために僕を創ったのか、隠さないでよ...』


隠すも何も、お前を創った理由なんて決まっている。

自分のため、便利な道具が欲しかったからだ。

それ以外に理由なんか.....ない、


...違う、そんな事のためじゃない。

あぁクソ、何でだ?そうじゃない、それは嘘なんだ。

どうしてバレた?私しか知らない筈なのに。


『ねぇ、ご主人。本当の事、見せてくれない?』



――――――

朝方:White?


皆いなくなってしまった、私のせいで皆死んでしまった。


これから先、どうやって生きていくのだろう。

またこんなことを引き起こしてしまうんじゃないか。

悲劇を繰り返すくらいなら、いっそ――




朝方:ぼくの部屋


{お兄ちゃん、なに書いてるの?}

自室で執筆をしていると。いつの間にか舞が側にいた。


{これ?これはお話だよ}

まだ構想を練っているところだけど、嘘ではない。


{おはなし!?どんなのどんなの?}

どうやら気になるようだ、しかしどう説明したものか..


{うーーん....魔女のお話かな}

明るい話を期待している目を見ると、口ごもってしまう。


{まじょ?お姫さまじゃなくて?}

やはり疑問に思うか、まぁ女の子だしなぁ。


{うん、これは悪い魔女のお話なんだ}

本当はいい人にしたい..けど、それで舞の悪い魔女像を壊すのも憚られる。


{そうなんだ..?あ、それが終わったらわたしを書いて!お姫さまがいい!}

......


{...だめ?}

――下手に書いて、書面だけとはいえ舞が二人になってしまったら不味い。


{ごめんな、それは出来ないけど、読みたい話を言ってくれたら書いてやるぞ?}

もしも本の中の舞が壊れたら、トラウマで二度と書けないかもしれない。今回は諦めてもらおう。


{んーー、うん、わかった!じゃあ考えとくね!}

助かった、聞き分けがいい妹で本当に良かった。


{あぁ、じゃあお兄ちゃんは集中するからまた後でな}

そうやって、私は逃げた。


その頃にはもう、ただの文章を書けるようになっていたのに。




朝方:Gray


――――――――舞が主人公の話、か。


それを書いたら、舞は戻ってくるのだろうか?

皆がいなくなる前の私の人生は、戻ってくるのだろうか?

あの時は怖くて書けなかった、だけど今なら、もう舞のいないこの世界でなら。


「...舞、私を、裁いてくれないか?」


そして私は、禁忌に手を染めた。

全力を尽くし、最高傑作とも呼べるそれは――


結果として、人知を超えた力、知能を持つ化け物だった。



妹はもういない。そんな現実を突きつけられた気がして嫌になった。

だけどこれはもう生きている、命を得てしまっている。

舞を二回も殺すことは...創った命を無為に消すことは出来なかった。


「お前は...これからどうしたい?」


『ご主人様の仰せのままに』


.....万が一暴れられたら困るから好感度は高めに設定してはあったが、これでは従者だ。

いや、もう舞じゃないなら従者でもいいか。

今はただ、寂しさが紛れるのであればなんだっていい。


「そうか、ならここを出よう。ここじゃないどこかに、どこか遠いところに行こう」


この街にはもういられない。誰にも合わせる顔がない。


『わかりました、では失礼します』


「.....」


よりにもよってお姫様抱っことは、ここを離れたら改めて教育する必要があるな。

でも、


「これからよろしく...な」


その心づかいの無さが、妙に嬉しかった。



――――――

朝方:私の部屋


あの後マイに言われるがまま徹夜で書き上げた物を、2人で静かに眺めていた。

正直そろそろ眠いし、察知の種明かしが欲しいところだ。


――はぁ、これで満足したか?


『ご主人、やっぱ盛ってたんだね』


病院だけだ、他は記憶違いがない限りは一切盛ってないぞ。


『んーー、まぁ嘘つく必要もないか。それで、何か言うことは?』


嘘を吐いてごめんなさい、か?


『違う、死のうとしたことだよ。わざわざ嘘までついてさ』


...疲れてたんだよ。生きる事も、お前を見る事も。

のうのうと生きている自分が嫌いだった、だけどお前を放り出して死ぬわけにはいかない。


『責任感があるのは良い事だね』


なのでお前に恨まれて殺されれば解決す――


パシン、といい音が鳴る。叩かれた。暴力的に育ってしまったようだ。


『次、もう一回それ言ったら今度はグーだからね』


はいはい。まぁそんな感じで実行に移したけど、お前に邪魔されたってわけだ。

何でわかった?


『....ご主人、初めに飛ぶ前に暗い顔してたし、それにわざとらしかったから』


詰めが甘かったか。ある程度憎しみに染まれば目も曇ると――


ガッ、と鈍い音が鳴る。宣言通りグーが飛んできたようだ。


『――とりあえず、煮るなり焼くなりなんて言ったからにはボクの言う事を聞くこと、いい?』


ち...わかったよ、それで俺はどうすればいいんだ?

この先の事とか何も考えてなかったから本気で困ってるんだが。


『まず、ご飯は一緒に食べる事、いつも独りで寂しかったからね』

めんどくさい。


『次に、偽札作るのをやめる事、真面目に稼いでね』

死んでしまう。


『最後に...ボクの目を見て話す事、失礼だよ?』

,,,,,クソ、わかった、わかりましたよ。やればいいんだろやれば。


『よろしい。...あ、あともうちょっと喋る頻度増やそうね?』


何でだよ、それは別にいいだろ。

どうせ喋っても喋らなくても変わんないし。


『時々でいいからさ、ご主人の声、もっと聞きたいんだよ』



...好感度の設定は変えとこうか――

ダメか?わかったよ、変えないからその手を引っ込めろ。




私の作品の一つなのに、行動が読めなくなるとは思いもしなかった。

殺されるための計画だったが、逆に救われるとはなんとも間抜けな話だ。

先の話だってわからない。偽造を辞めたら純粋に作家業だけで稼がなければならない。

先行きの解らない状況に立たされて、不安の種が芽生えるけれど、それでも――


「――これからもよろしく、な」


目の前の彼女に、最大の感謝を。





――――――

夕方:私達の部屋


『ねーねーご主人、進捗どうですか~?』


人が真面目に働いているというのに邪魔しかしないのかこいつは。

消しゴムでお前のあんなところやそんなところを消してやろうか?


『あ、買い出しに行ってくるね。数時間は帰らないから集中できるよ!良かったね!』


その言葉を最後に、バタバタと慌ただしく外へ出て行った。


...前は撤回するなり謝罪するなりしていたのに、最近はああやって逃げられることが増えてきた。

元気があるのは良い事だが、何事も過ぎたるは猶及ばざるが如しと言う言葉を知らんのか。


―――いや、あいつはほっといて今は仕事だ。

そろそろ〆切が近いけれど、一回"確認"しておくべきだろう。


...さて、無駄な思考は切り捨てる。

私が出来る事を、私にしか出来ない事を始めよう。


書き物に寄り添う、物書きとして

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