内側へ広がる無限のインナーワールド

演劇同好会の仲間が、不可解な言葉を残して消えた。その直後から、主人公の日常に奇妙な違和感が忍び込む。日常を過ごしているはずなのに劇を演じているような。いや、演劇の中で日常の場面を演じているのだろうか? 「第四の壁」が壊れたとき、そこに見えてくるものとは…?
どこか古代中国の思想にも通じそうな構造の世界だが、思春期に多くの人が感じると思われる「こうして存在している自分は本当に自分なのか?」「この世界がカキワリということはないのだろうか?」という不安を、作中作の演劇でダイレクトに表現しているところが、おもしろい発想だと思った。