拝啓 うんぬんかんぬん


なんだよあいつ,変な雰囲気出しやがって



 頭の中のつぶやきを,わざと声に出す。

 ぼーっと歩いていたせいか,すれ違う女性に気付かずに驚かせてしまった。


 それにしても,今日のシーマンはおかしかった。やたらと口数は少なかったし,我が子の成長を見届けた親のような表情が頭から離れない。


なんなんだよ,あいつ



 妙にもやもやした気分のまま,アパートから一番近いコンビニに入る。せっかく飲んだのに,変な気分でバー・スリラーを出てしまった。このまま寝るのも気分が悪く,度数の高い酎ハイを二本と,ホルモンを干したいおつまみをかごにツッコミ,会計を済ませる。ダルそうな店員からレジ袋を受け取ってアパートに向かうと,ポケットの中でスマホが着信を知らせた。



健司のバカ息子



 ディスプレイには,最近登録名を変えた大貴の名前が表示されている。我ながらあほらしい行動に呆れつつ,「さっきまで顔合わせてたじゃないか」とぼやきながら電話を取る。


 すると,電話の向こうで,荒々しい息遣いと共に興奮しきった声が響いた。



「清介! 今すぐ来い! 今すぐや! シーマンがいーひんくなってん!」

「落ち着けよ。そんなはずないだろ。どこに行くにもお前に抱えられないと移動できないんだから」

「ちゃうねん! ほんまにいーひんねん! ええから,はよ来い!」



 いないなんてありえない。

スマホをポケットにしまいながら,バー・スリラーでのシーマンを思い起こす。あの不思議な雰囲気,ずっと胸につかえていたものが,再びざわざわと動き始めた。

何か分からない,恐ろしく大きなものに攻め立てられるように,さっき買ったばかりのチューハイを投げ飛ばして大貴の家に駆けだした。

 



 鍵のかかってない玄関に,チャイムも鳴らさず上がり込む。

 いつもなら,「邪魔するでー」「邪魔するなら帰ってー」「あいよー」というお馴染みのやり取りの後,慣れない関西弁で「なんでやねん」とツッコミを入れたり,本当に帰ってみたりとするのだが,今はそれどころではない。



 玄関からすぐにリビングが見える間取りのため,大貴が呆然と立ち尽くしているのが分かる。

 近づくと,



「おい,いつもの挨拶はどうしてん」

「邪魔するでー,言うてる場合か。って,ふざけられる状況なのかよ。心配して損した」

「いや,状況は結構複雑やねん」



 ほれ,と大貴が顎でテーブルをしゃくる。

 さっきまでここに水槽が置かれていたのだろうか。四角い語りに水がこぼれて,その形跡を残していた。


 ローテーブルの上には,宛名も差出人も記されていない手紙が置かれている。きっと大貴が明けたのだろう。買ったナイフもハサミも使わず,乱雑に開封した後がある。


 見るぞ,と一応断って手紙を手に取る。中にはクレヨンしんちゃんのように乱れた文字で,次のように書いてあった。



拝啓 うんぬんかんぬん。


難しい話は抜きにしよう。


わしはシーマン。名前はまだない。いy,あるやないかーい。


わしは,困った若者を見つけては助けて回る,神様のような存在じゃ。ある日,スターバックスでおろおろして意中の女性を逃し,石を蹴り上げてはヤンキーに絡まれ,家に帰っては鼻血を出しながら「ピタゴラスイッチ!」と謎の呪文を口にする青年を見つけた。

こんなあほみたいな青年を救えるのはわししかおらん,そう思って,清介の家にやってきた。

初めて出会った日のことを覚えとるか? 変な宅配業者に絡まれて,こいつはどんな星の下に生まれてきたんじゃと心底心配になったもんよ。それがどうじゃ。わしの教えに忠実に従って生きていくことで,見違えるように成長しとるではないか!


大貴よ。お前もたいがいじゃったの。最初は,なんてユーモアのある神様気質なやつじゃと思ったわ。ところが一転,自分の責任は他人に押し付け,愛情あふれる親をないがしろにするガキをそのまま大きくしたような男じゃった。

どうなることかと思ったが,見事わしの親と引き合わせ大作戦により,和解をすることが出来たわけじゃ。


もうわしにやるkとはない。今日,お前さんたちがバー・スリラーで飲む姿を見て,そう確信した。


泣くな小僧ども。出会ったからには,必ず別れがある。それが人の運命じゃ。わしは魚じゃけどの。

永遠と思われた時間も,いつかは終わりがある。それが今じゃ。


わしは,お前たちと出会えたことに感謝しとる。お前らはどうかの。ひょっとしたら,不気味な生き物ともう会うことはないと思ってせいせいしとるかもしれん。まあ,ありえんけどの。


次に助けるべき青年を見つけた。わしはそっちに行く。

お前たちは,わしと過ごせないこれからの時間を,めいいっぱい楽しむんじゃ。大貴の親父さんじゃないが,人生を謳歌せい。それが,この世に生まれたものの権利じゃ。行く先々で,たまにはわしのことも思い出して酒の肴にでもしてくれたら,神様冥利に尽きるのう。酒の肴言うて,鯛の塩焼きなんかを食いながら話のつまみにされたらかなわんけどの。


男は去り際が肝心じゃ。長々と話をして間延びするのもカッコ悪いけん,行くわ! 

ほな,達者で!


敬具


「なんだったんだろうな,あいつ」

「分からへん。分からへんけど,今さらやけど夢のような出来事やな」

「熱くかかっていたけど,おれたちシーマンからたいして学んでないやん」



 飲み直そう,という大貴の提案を受け入れ,おれたちはコンビニに向かう準備をした。


「この手紙,どうする?」



 さっき読み終わった手紙を封筒に入れ大貴に手渡すと,いらへん,と手を振って突き返した。



「灰皿に入れて燃やしてくれ」



 大貴は瞳を濡らしながら言った。

 返事をすると,つられて声が震えそうになるのでおれは答えない。

 玄関を出て,なんとか赤マルをつかみ取る。

 煙草に火をつけ一息吐いた後に,宙にかざした手紙を封筒ごとライターで燃やした。

 肺が煙草の煙と一緒に,いつまでも高く天へと昇っていった。


 

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人面魚と大学生活 文戸玲 @mndjapanese

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