突き返せ!
結局,健司さんが治療費や入院費を全て肩代わりをし,祐輔くんはこれから同じことを繰り返さないという誓いを立てて,大貴が吹っ飛ばされた事件は円満に幕を閉じた。
唯一話をこじらせたのは,やっぱり大貴だった。この男は,どんな場でも静かなまま進行することができない砂嵐のようなやつなのだ。
父親の愛情を肌で感じて涙まで流した男が,なぜかその愛情を頑として受け付けなかった。
「あかん。親父の金は使わへん。おれの金でぜんぶやりくりすんねん」
「大貴,子どもじゃないんだからいつまでもいつまでも駄々をこねるな。いくらするのか知っているのか?」
そう言いながら権威さんは請求書をちらちらとなびかせ,その金額を大貴に見えるようになびかせる。
その金額を見て息をのんだ。何カ月アルバイトをしたらいいのだろう。本当に全て自分で払うなら,バー・スリラーに行って安酒を煽る日なんてもう二度と来ないだろう。
時間はかかったものの,自分で払うことは現実的ではないと気付いた大貴が,「今は借りて,少しずつ返す」と主張した。このしつこさといったらヒルのようだ。いや,ヒルに失礼だとおもわせるほどだ。
「折れろや・・・・・・。じゃあ,妥協案を探さねえとな」
そう言うと,健司さんは一つ提案した。
「取りあえずここの金は建て替える。ただし,半分は必ず返せ。それが妥協案だ。それ以上は譲らない。気に入らなければ,どこかに寄付するんだな。まあ,自分で有意義に使う道筋のないならそうしろという話だが。それと・・・・・・」
条件がある,と健司さんは加えた。「話が長いねん」と大貴は半ば投げやり気味だ。
「金を返すのは,社会人になってからだ。いいか,学生のうちからちまちま貯金をして,金を返すための生活なんて送るものじゃない。お前みたいなろくでもないやつでも,一緒にいてくれるやつがいるんだ。いろんな経験をして,たくさんのものを見るんだな。大学生ってのは,人生の夏休みだ。いや,夏休みというにはあまりにも短すぎる。人生の盆休みを,死ぬほど謳歌しろ」
じゃあな,と言って健司さんは請求書を片手に,出口へと向かった。ところが,急に振り返ると「あぶねえあぶねえ」と言いながら胸ポケットを探って,封筒を差し出す。
「ちょっと早いけど,退院祝いだ。しばらく会わねえだろうからな」
「いるかぼけ! さっさと行ってまえ」
そう言って大貴が受け取らないので,健司さんはおれにその封筒を無理矢理手渡した。
「ちょっと」とあたふたするおれに微笑みかけると,今度こそ出口に向かって歩いて行った。
封筒の厚さと重みに圧倒される。これだけで入院費を払っても多すぎるほどのお売りが来るだろう。
「何してんねん清介! さっさと突き返してこい!」
「うるせえよ死にぞこないが!」
大貴に言われてはっとして,すぐに健司さんを追いかけた。
「結構な人じゃったのう」
感慨深そうにシーマンは遠くの方を見て呟いた。
「まさか,そんなドラマがあったとは,人生とはおもしろいもんだねえ」
いつものように回っていない舌をなんとか動かして,マスターは相槌を打つ。
あの出来事から二週間,順調に回復した大貴は無事に退院した。そして,快復祝いでおれたちは三人で安酒をあおりに来ている。
「いやー,お前たちの動きには感心やでほんま。祐輔くんを動かし,親父まで改心させてんから」
「祐輔くんを不安にさせたのはお前で,親父さんはもともと海よりも広い心の持ち主じゃないか。全ての元凶は大貴だろ」
「バイクにはねらえた男にどうしてそんなことが言えるんだよ」
そう言いながら大貴は髪をかき上げる。以前は見てはいけないような気がして困ったその仕草も,今では何の気兼ねもなくツッコミを入れことができる。
「そのストーブに焼けたでこも,もちみたいに膨らんでたら話のネタになるのにな」
「不謹慎な。だれが食うねん。可愛い子ちゃんが食べてくれるんなら,ありやけどな。ほんで,世のいけてないメンズたちが焼きもちを焼くねんな」
「別に面白くないけど」
手厳しい,と甲高い声をあげて大貴はショートカクテルを飲み干す。口の端から飲みこぼした液体が滴ることも気にせずに,ポップコーンをうまそうにほおばる。ポップコーンとは思えないそや久遠を出しながら。
「これこれ,やっぱここの名物はこれやねん。これでもかってほど湿気たポップコーン」
「仕込みの時間が違うからねえ。一カ月前から開封してる手の込みようだ」
そんなもん客に出すなよ,というおれの言葉を無視して,ごきげんそうにマスターは大貴と話している。しばらくぶりだったから,よほど嬉しいのだろう。おれたち以外には,この店を利用する今日お市民はいない。
珍しく口数の少ないシーマンをちらと見る。
どこに行くにも必ず水槽と共に一緒にいる不思議な魚。
シーマンは微笑みながら大貴とシーマンを見つめている。
もう,わしにすることはないのう
そんなつぶやきが聞こえた気がしたが,気のせいかもしれない。
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