健司さんと祐輔くん


「すみませんでした!!」



 スライディング土下座の勢いで,祐輔くんは喫煙スペースに駆け込み頭を下げた。

 火をつけたばかりの赤マルが口からこぼれ,手の甲に落ちる。



「あっつっ! 祐輔くん,熱いよ!」

「すみませんでした!!」

「いやいや,熱いのは自己責任でしょ」



 落ち着いてツッコミを入れる大貴の父親に気付いた祐輔くんは,「この人はだれ?」とでも言いたげに,頭を下げたまま大貴の父親を見上げている。



「この人が大貴のお父さんだよ」



 それを聞くと,祐輔くんは飛び上がって目を開けて,口をわなわなと震わせた。



「祐輔くん,落ち着いてよ・・・・・・」

「すみませんでした!!」



 今度は正真正銘の土下座をした。そして,でこから血が出るのではと心配になるぐらい,舗装された床に頭を付けたまま震えた。


 大貴の父親は,温かい目をして祐輔くんに近寄り,聖母マリアのようなぬくもりのある声で「立ちなさい」とささやいた。



その声に安心したのか,小鹿のように震えていた祐輔くんの動きはぴたと止まり,ゆっくりと顔を上げる。その瞳からはみるみるうちに涙がこぼれだした。


直後,ぴしゃっ,という乾いた音が喫煙スペースに鳴り響いた。



「何してるんですか!!」



 驚き,唖然として,声を発するまでにかなりの時間が必要だった。身体が動いたのは,平手打ちをくらった祐輔くんが尻もちをついて頬をさすり始めたからだ。



「どういうつもりですか! 手を挙げたらダメでしょ」

「そうだな,すまなかった」



 大貴の父親はまたマリアのような声で呟き,倒れた祐輔くんのもとに歩み寄る。その背中は,十字架を背負った罪人のようだ。


 立ちなさい,と今度は手を差し伸べた。訳も分からず差し出された手を掴み,祐輔くんは立ち上がった。


 直後,ぴしゃっ,という乾いた音が喫煙スペースに鳴り響いた。



「何してるんですか!!」



 驚き,唖然として,声を発するまでにかなりの時間が必要だった。身体が動いたのは,平手打ちをくらった祐輔くんが尻もちをついて頬をさすり始めたからだ。



 頭の奥がじんじんと痛む。これはいったいどういうことだ。おれは夢の中にいるのか? 同じことが繰り返されている。まるで,同じ道をずっと歩かされているみたいに!



「夢じゃないよ」



 例のごとく,母なる声が優しく体に染み渡る。

 ああ,おれはまた心の声が表に出ていたみたいだ。



「なぜ殴られたか分かるか?」



 祐輔くんと向き合った大貴の父親は,胸ポケットから赤マルのケースを取り出すと,軽く振った。しばらく振った後,はあ,とため息をついてまた胸ポットに戻す。首だけこっちに向けて,すまない,と一言だけ呟くと,また祐輔くんと向き合う。

 たばこを求められたのだとしばらくして気付き,赤マルを一本手渡すと,口にはさんだ煙草にライターをあてることまでした。自分でも不思議に思うほど,一連の流れだった。




「名前は?」

「祐輔です」

「そうか,健司だ」



 今かよ,と心の中でツッコミを入れながら,おれも健司さんの名前を把握していなかったことに気付く。心のツッコミが口に出ていなかったかとどきりとしたが,どうやら心配はなさそうだ。


 自己紹介,というにはあまりにもそっけないお互いの紹介が終わったところで,健司さんは手を伸ばす。

 やばい,と思って思わず目をつぶる。手を伸ばしては叩かれる。この出来事を何度繰り返すつもりだと,刷り込みのように体に染みついてしまっていた。


 ところが,今度は空気を震わす乾いた音が聞こえない。

 そっと目を開けると,健司さんと祐輔くんはがっちりと手を握り合っている。握手だ。



「本当に,すみませんでした」

「いや,こちらこそ,手を挙げて悪かった。絶対にやってはならないことだ。祐輔くんが警察にでも突き出すというのなら,従おう」

「とんでもございません。どんな償いでもしようと思っています」

「そうか・・・・・・。おれがどうして祐輔くんを殴ったか,分かるか?」



 祐輔くんは,黙り込んだ。

 そして,しばらく考え込んで,言葉を選ぶようにしていった。


「ぼくのことが許す得ないからです。社会のルールから逸脱して,逃げるような男が許せないからです。自Bんでもそう思い・・・・・・」

「息子を愛しているからだ」



 しんと静まる。喫煙スペースの向こう側の公園で,お父さんと子どもの遊ぶ声が無邪気に響いている。



「君も,君たちも人の親になれば分かる日くる。我が子を大切に思わない親は,いない。人を傷つけてはいけない,どんな時も手を挙げてはいけない,そんなことはどんな馬鹿でも知っている。それでも,我が子を思って手を出してしまう。親というのは,そういうものなんだ」



 「自分がしたことを正当化しているみたいだが,そうじゃない」と,健司さんは改めて祐輔くんに詫びを入れて続ける。



「いいか,親を悲しませたらいけない。おれは,大貴の命に別状はないと聞いて心底ほっとした。でもな,祐輔くん。君にも親がいるんだ。君が傷つく姿は見たくないし,人を傷つけた罪を一生背負いながら,何よりもきつい重りを引きずりながら暮らす姿を見たい訳がない。今回のことを,運が良かったと思わうに,変わってほしい。親の顔を思い出してみろ。親も人間だからな,理不尽なことをいったり,心が疲れて手を挙げてしまうこともあるかもしれん。でも,愛情を与えたいと心底思っているんだ。それがうまく表現できなかったり,自分の心の弱さに負けてつい傷つけてしまう人もいるが,腹を痛めて生んだ我が子は何よりも宝なんだ」



 顔も知らない大貴の母親が浮かぶ。きっと,健司さんも同じ人を思い浮かべているに違いない。



「ぼく,変わります」



 男泣きをしながら祐輔くんは誓う。

 雲の切れ間から日が差し,後光のように喫煙所を照りつける。こんなに美しい喫煙所が,他にあるだろうか。



「こんな化け物みたいな生き物を,待合室に置いといたらみんなたまげてまうやろ」



 いつの間にか,鼻を真っ赤にはらした大貴が入口に立っていた。

 なぜか,水槽の中にいるシーマンも泡を吐き出しながら泣いている。

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