ハッピーマーダー・リフレイン

 見開かれた旭の瞳から、かつてない動揺がうかがえた。

 この言葉と桐島道也の惨たらしい死に様は、今井旭の脳に焼印のように刻まれるだろう。生涯忘れ得ない記憶として、道也の存在は旭の中に息づく。


 誰と共にいようとも、誰と何を成そうとも、きっと旭は思い出す。桐島道也を思い出す。


(ああ、幸せだ)


 道也はぐっとハサミを握る手に力を込めた。







「満足したか?」



 そして、世界の時が止まる。


 強すぎるくらいの風が。桜の雨が。ただならぬ事態を遠巻きに眺めているしか無かった道也と旭の学友が。彼らの住む街そのものが。或いは世界が。



 それからが、止まる。


「うん!」



 その奇跡を為した時の悪魔に笑いかけたのは、だ。



「だってもう、ただの『好き』じゃなくて『大好き』だよ? こんなに情熱的に告白してくれるなんて思わなかった!」


 赤らんだ両頬に手を当ててくねくねと体を捩らせ喜びを全身で表現する様は、正しく恋を成就させた少女そのものだ。周りの人々が微笑んで祝福するほどの幸福の表現。こんな停滞した世界じゃなければの話だが。


 旭はぴょんぴょんと跳ねるようにして道也に近づき、ハサミを奪い取っていそいそと己のカバンにしまった。折角叶った恋だ、死ごときに邪魔されてはたまらない。


 泣き笑いのまま固まる彼の頬にキスをして、くるりと振り返る。



「お疲れ様でした! ありがとう!」


「ああ。『桐島道也に告白させる』という願い――確かに叶えた」



 契約通りにな。


 時の悪魔はそう呟いて、道也に振り向いた。



「しかし、契約者以外を逆行させるとはな」


「うーん。そうだね、みっちゃんには悪いことしちゃったかな」



 しゅんとした旭だが、すぐにパッと顔を華やがせた。



「でも楽しかったなあ。



 一つ二つ。鼻歌交じりに指を折る。



「高校2年生になった日の登校。一緒に見たクラス表。校長先生の話で眠そうにしてる可愛い顔。私の言葉に一喜一憂してるのを必死に隠そうとしてるところ。何回も見られて最高だったけど、やっぱり一番は昔のみっちゃんに会えたことかなあ! もう、みっちゃんったらロマンティストなんだから」



 辛抱たまらないと少年に抱きつく少女を悪魔はただ眺めていたが、やがてずっと燻ったまま閉まっていた疑問を投げかけた。



「そこまで心の内を知りながら、なぜ好意を口にさせることに拘った」


「うん?」


「そいつがお前のことを好いていたのは明らかだったはずだ。散々に手を尽くし、最終的にで殺害までされた。それ程までに奴が狂ったのは、お前を好いていたからだとどんな馬鹿でも分かる」


 そもそも好意に気がついていなければ「嫉妬させよう」などとは考えない。


 「恋を叶えたい」ではなく「告白させたい」という願いも、悪魔には至極不自然な願いに思えた。

 


「え? だって」



 疑問を呈された側であるにもかかわらず、旭は首を傾げた。そんなことを気にする理由が心底わからなかったからだ。



「好きな人に告白されたいだなんて、普通の事じゃないの?」


「……そうか」


「あ! 今テキトーに返事したでしょ。分かってないくせに」


 ぷうと頬をふくらませる姿は客観的に見て愛らしかったが、時の悪魔じゃなくともそうは称さなかっただろう。この無邪気にしか見えない少女は、とうに狂っているのだから。


「それで、契約の対価は死んだ後の私の魂だったっけ。まあ仕方ないかなあ」



 契約の際に提示した条件は確かにそれだ。死した後の魂の所有権を譲渡し、永遠に奴隷として働かせること。


「……いらん」


 しかし悪魔は小さく首を横に振った。

 きょとんとしている少女と道也を交互に見やり、小さく息をつく。


「お前のような奴を大人しく従えさせるのは骨が折れる。噛みつかれるのはごめんだ」


「そこは馬に蹴られるのはーじゃないの?」



 フードを深く被り直す悪魔に旭は微笑んだ。



「優しいね」



 彼は何の反応も示さなかった。



「そいつはもう狂っているぞ。どうせまた、お前を殺す」


 それもまた愚問だと、旭は細腕を掲げて力こぶを作った。



「その時はちゃんと抵抗するよー。折角掴んだ幸せだもん、離すもんか」



 そして道也の胸板に頬擦りしながら、熱い息を吐いた。



「ああでも、勿体ないなあ。もう殺されてあげられないんだ。あんな些細な嘘で狂っちゃうくらい私の事好きなんだって、もう二度と感じられないんだ。殺される度殺される度、気持ちよくって幸せだったなあ……」



 思い出に陶酔してトリップする少女に背を向け、時の悪魔はどこかへと歩き出す。もう彼が何を言おうとも聞こえないだろう。



「やはり、分からん」



 恋は盲目という。


 あんなにも激しい殺意にも、人に十字架を背負わせてまで叶える我儘にも、目を瞑れるほどにそれは尊いものなのか。

 自我を失わせる妬みも、殺害を許容する愛情も、幸せだと呼べることは美しいのか。


 どれだけ時が過ぎても、それを理解する日はきっと来ない。


 時間が解決できるものじゃないのだと、時の悪魔は今回もまた、諦めた。




――ハッピーマーダー・リフレイン 了――

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ハッピーマーダー・リフレイン 南川黒冬 @minami5910

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