八千キロメートル彼方のぬいぐるみ

白里りこ

八千キロメートル彼方のぬいぐるみ

 同じ志を持った仲間が集まったとて、価値観の相違というものは容易に起こりうる。しかしだからこそ愉快な思い出が出来上がる。


 大学のゼミのフィールドワークでポーランドに行った。


 私は大学で、ヨーロッパ史という偏屈な専攻をしていた。

 ヨーロッパ史というとオシャレなイメージを持つ輩が未だに存在するが、それは概ね誤りである。支配と差別と戦争を繰り返したヨーロッパの歴史は、陰惨なものをはらんでいる。しかも私の恩師はドイツ近現代史の研究者であった。何かというと、そこには無論、ナチスドイツによるホロコーストというテーマも含まれているのである。


 ポーランドでのフィールドワークの内容も、主にナチスによる大量虐殺の足跡を追うという、陰鬱極まりないものであった。我々はあの悪名高いアウシュヴィッツ=ビルケナウ絶滅収容所にも足を運んだ。実に貴重な体験であった。


 しかしフィールドワークというものにはお楽しみもつきものである。フィールドワーク隊は、アウシュヴィッツに程近い古都クラクフに滞在していた。そこで我々は、中世の街並みを見たり、市場でお土産を物色したり、珍しい食べ物を食べたりしたのである。


 ポーランドは物価が安い。EU圏だが通貨はズウォティという独自のもの。カード決済が浸透していて、外国人でも買い物には苦労しない。


 特に琥珀が安かった。琥珀の国際的な相場はちっとも知らないが、とにかくありえないほど安い。さすが世界最大の琥珀産出国である。

 クラクフの中央市場には、琥珀の細工物がズラリと並んでいる。蜜色や漆黒や乳白色の、小さくてツヤツヤした宝石が、ショーケースに綺麗にそして大量に鎮座している。そんな店が何軒もある。


 スキンケア用品も人気であった。化粧水がとても安かった。だいたい説明が英語で書かれているため何のことやらよく分からなかったが、匂いがとてもよく、さらさらしていて、種類も豊富だった。


 ポーランドならではの工芸品も美しい。ポーリッシュポタリーといわれる食器が特に目を引いた。白い陶器に青などの色で花柄が描いてあるのだ。東欧らしい可愛い絵柄なのである。

 他にも、木でできた小箱も良かったし、フェルトのスリッパや、切り絵がモチーフの鞄などもあった。


 フィールドワーク隊員たちは大いにはしゃいだ。殊に私の学年はたまたま女子ばかり集まっていたのもあって、同輩たちはアクセサリーやコスメティックや雑貨の買い物に熱中した。みな大真面目に土産物を選んでいた。


 私は日本の友人のためにチョコレートを買った。家族には蜂蜜で醸した蒸留酒を買った。そうしたプレゼント用のものを買ってしまうと、私は安心してしまった。

 自分へのご褒美としては、フィールドワークでの多くの体験そのものがあるし、みんなへのプレゼントも多少は自分の口に入る。それでもうお腹いっぱいだった。

 だが、自分だけのお土産が何も無いというのも寂しい。記念になるものがあれば購入したい。そう思って私はブラブラと店を回った。


 友人たちは、琥珀のネックレスやブローチを選んでご満悦であった。

 その時、何故私が彼らと同じような行動を取らなかったのか、うまく説明ができる気はしない。特段、ヘンテコな行動を取ろうとしたわけでもないし、アクセサリーが嫌いというわけでもない。

 ただ、私は琥珀を買わなかった。琥珀どころか、化粧品も、伝統工芸品も買わなかった。


 私は小さな赤いドラゴンのぬいぐるみを買った。


 友人たちは大爆笑した。


 私は何故笑われたのか、実のところあまり理解していなかった。理解できていたら、量産型のぬいぐるみなぞ買わなかったかもしれない。

 だがこの時の選択を後悔したことは未だ無い。今も私はぬいぐるみのお土産に満足している。


 クラクフにはドラゴンの伝説がある。川の水を飲みすぎて腹が膨れて死んだという何とも情けない伝説だったが、それでもドラゴンはクラクフのマスコット的存在のようだった。


 ぬいぐるみは手のひらサイズで、鮮やかな色合いだった。フォルムは二頭身。顔には大きくつぶらな瞳が刺繍してあって、背中には小さな羽がついている。お腹の色は紫がかった桃色で、その真ん中には「Kraków(クラクフ)」と刺繍がある。


 何か、ズキューンと来た。

 この子だ! と感じた。

 だから買ったまでだというのに、友人たちはやたらと笑い転げた。


「ぬいぐるみ!? ぬいぐるみ買うの!?」

「え、うん」

「マジか! あはははは!」


 それからというもの、友人たちは店頭でぬいぐるみを見かけるたびに私のことをからかった。


「ほら、オトモダチがいるよ!!」


 彼女らが指差す方向を見ると、確かに、金属の細いポールにドラゴンのぬいぐるみがこれでもかとぶら下がっている。


「本当だ」


 私はヘラッと笑った。確かに先程購入したこの赤いドラゴンのぬいぐるみは、もう私のオトモダチである。そして他の数多のドラゴンのぬいぐるみは、この子とオトモダチであるに違いない。オトモダチのオトモダチはオトモダチである。市場に山と展示されているドラゴンたちは、みな私のオトモダチであるというわけだ。


 私の反応はうまいことウケたらしく、この「オトモダチ」のネタはしばらく続いた。

 ドラゴンだろうとミッキーだろうとピカチュウだろうと、彼らは「オトモダチ」と表現した。私は首を傾げた。同じメーカーの手によるドラゴンのぬいぐるみ同士はオトモダチかもしれないが、ピカチュウはオトモダチなのだろうか。別にそれでも構わないのだが、何でもかんでもオトモダチと言うのはどこか違う気がする。

 私の反応が微妙になってきたせいか、それとも飽きたのか、友人たちはオトモダチのネタを次第に言わなくなった。この辺りでようやく私は了解した。彼らが私のことを、メチャクチャ面白い行動を取った奇人として囃していたということを。琥珀や化粧品など基本的に婦女子が好むであろうものをスルーし、あえて何の役にも立たないその辺のぬいぐるみを買った私を、面白がっていたということを。


(やらかしたわ)


 私は内心で舌を出した。


 同じヨーロッパ史を学ぶ者として、私は友人たちを、ある程度同じ価値観を共有するものとみなしていた。だがヨーロッパ史が如何に偏屈な学科であろうとも、彼女たちはあくまで華の女子学生。わざわざ日本から八千キロメートル彼方の地で、ありふれたぬいぐるみを買うような、愚かな真似は決してしない。そしてそんな特殊な行動を取った私のことは、「何だ何だ面白い奴がいるぞ!」という奇異の目で眺めるのだ。


 それにしても、そんなにおかしかっただろうか。気に入ったのだからいいではないか。まあ、いい笑いの種になったのなら、幸いだけれども。


 その後も楽しいポーランド旅行は続いた。私たちはみなそれぞれ欲しいものを買い、美味しいものを食べ、記念撮影をし、同じ部屋に泊まり、真剣な顔で学習をして、飛行機を乗り継いで帰ってきた。疲れ果てて空港に降り立つ。教授が「では、解散!」と言い、我々は家に帰るための交通機関に乗り込んだ。それぞれの手には重たいスーツケースが握られていた。中身には旅行に必要だったものと、お土産とが詰め込まれている。友人たちの着替えの隙間には琥珀のアクセサリーと格安の化粧水が挟まっているはずだったし、私のにはドラゴンのぬいぐるみが挟まっていた。


 それでよかった。


 同じところに行って、同じものを見聞きしたとしても、我々は違う行動を取る。片方には意味の分からない行為だったとしても、もう片方には重要なことだったりする。


 それでもやっぱり、我々は同じところに行って、同じ体験を共有したのだ。その思い出が愛おしく、かけがえのないものだ。同じ時を過ごした記憶は、各々のお土産に刻まれている。我々は楽しかった。愉快だった。勉強になった。それでいいのだ。


 ……と、私は思っている。


 長らく同じゼミで研究活動をしていた同輩が、実は奇人変人だったと知ってしまった友人たちの胸中が、実際のところどうだったのかという件については、今もよく分かっていない。

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