この世の花に魅せられて、今はあの世に生きて候-番外編

龍玄

空界の恩人に会う

 天海は、老いた体に鞭打ち積極的に現場へ出向き、江戸の結界づくりに勤しんでいた。その疲れを癒すように浅草寺の御堂にて仏と向き合っていた。障子から透かし入る月明かりの中、蝋燭を五芒星に形どりその中心で瞑想に耽っていた。思っている以上に疲れていたのか、睡魔に襲われた。火事を起こさぬよう蝋燭の火を消そうと立ち上がろうとすると首から下が動かないではないか。

 ああ、歳は取りたくないものよ、と心の中で囁きながら、緊張を解きほぐすため、幾度か鼻から大きく胸に空気を吸い込み、唇を尖らせゆっくりと吐いた。これは金縛りではないのか。体に異変が起きたのか。不安になりながら、蝋燭の炎に眼をやるとす~と消えた。背後の炎も堂内の明かりの具合から消えているのが分かった。闇に蝋燭の炎が消えた道筋を示すように白煙が龍の如く天井へと舞い上がって見えた。

 なすがまま。ここはこの身を任せるしかないか。天海は、開き直り、これも瞑想のひとつよと時を過ごすことにした。

 蝋燭の白煙が消え去り、匂いだけがお堂に漂っていた。ふと体が軽くなった感覚を感じた。手が動いた。左手で右手上腕部を触った。感触がある。立ってみた。右膝を立てた。うん、やっと戻っとかと立ち上がり、障子を開けた。廊下に出るといつもより大きな月が煌々と周りを照らしていた。再び堂内に戻り、蝋燭を木箱に入れ片付け、廊下に出ると七間ほど先に今までに見たことのない僧衣を纏った男が立っていた。天海は不思議と不信感を抱くことはなかった。


 「月明かりが鮮やかで御座いますなぁ」


 男は黙ったまま、微動だにせず背中を見せていた。


 「どなたかな?」

 「龍玄よ…」

 「龍玄?人間違いか?しかし、この懐かしさは何か?」

 「そうか。記憶が失われておるか」

 「記憶を…」

 「仕方あるまい。行を急ぐがあまり、幾多の教えねばならぬことを割愛したゆえにな…。では、思い出させて進ぜようか」

 「何を申されておるのですか」


 月明かりに玉虫のように光る僧衣を纏った男は、何やら呪文のようなものを唱え始めた。それは天海の知る経とは全く異なるものだった。

 体がふわっと浮いた気がした。いや、浮いている、確かに浮いている。はぁぁぁ、初めて恐怖のようなものを感じたが、同時に心地よい感覚もあった。すると、丸々とした月が次第に欠け始め、見る見る輝きを失い洞窟のような黒い月となった。その月の中心部から白光が差し込むと渦を巻き始め天海を包み、飲み込んだ。


 「わぁ~~~」


 鳥の囀りが聞こえる。目を覚ますと浅草寺ではない廊下に寝そべっていた。辺りを見渡すと何故か懐かしさを感じた。


 「どうじゃ、思い出したか?」


 どうやら、僧衣の男は人まちがいをし、私を記憶喪失者だと決めつけているようだ。ふむ、面白い。この戯言に付き合ってやるか、と思った。すると、


 「人まちがいではないぞ、記憶を失っておるのはあっておるがな」


 『何と、この者、私の心を読めるのか…』


 「ふふふふふ。では、思い出させて進ぜよう」


 僧衣の男は、また、呪文らしきものを唱え始めた。すると、天から飛び出た蜘蛛の糸に体を掴まれ、天に向かって急激に持ち上げられた。そして、静止した。


 『こ・これは…』

 「思い出したか」

 「眼下に広がる湖は、琵琶湖?あのお堂は…、根本中堂。そして、あの大木にもたれかけ屍となった者は…私?」


 天海は、再びお堂、即ち、根本中堂の廊下に立たされていた。


 「そうじゃ、久しぶりじゃのう、龍玄」

 「龍玄…。そうだ、私は…」

 「思い出したか、そうよ、そなたは、高城龍之進の肉体を離れた魂であり、我、手の素で浄化し、熟成させた魂よ。その名を龍玄としたのもこの私よ」

 「お、思い出しました。あなた様は大言厳法師ですね」

 「そうよ」

 「お久しぶりで御座います」

 「うん。ああ、そうじゃ、今はそなたと会ってからかなりの時が経っておってな、一時期は法皇となったがまた掟破りを犯して降格され、今は、法聖となり、新たな魂を育てる者を束ねておる」

 「そ・そうでしたか、これは失礼いたしました」

 「気にするな。つまらぬ事よ」

 「はい」

 「如何かな、歴史に名高い織田信長・豊臣秀吉・徳川家康と類まれな人物と関わった南光坊天海になってみて」

 「如何と申されましても…まだ、完遂しておりま、うん…」

 「気づいたか。そうよ、そなたの憑依した肉体はまもなく期限を迎えるのよ」

 「そのように私も悟っております」

 「うん」

 「しかし、この様な行いをされては、咎められるのでは」

 「そうじゃな」

 「では、どうして」

 「そなたには私の我儘で不憫な思いをさせたゆへ、気になり申してな。時空を旅していると強力な結界に魅かれ訪れると、何とそなたが築いたものではないか。それでつい、出来心で立ち寄ったまでよ」

 「そうで御座いましたか」

 「そなたに申し付けておきたいことが御座ってな」

 「何で御座いましょう」

 

 すると、大言厳法聖と龍玄の意思疎通が妨害された。


 「やはり、どうやら裁きの者に見つかったか、ふふふふふ。伝えようとしたことは許されないようじゃな。これでまた罰を受けるわ」

 「それを分かっていてなぜ?」

 「必ずそなたも何れ裁きを受けることになる。それは私が禁止事項を教え忘れたからに他ならない、この通りじゃ、許されよ」

 「頭をお上げください」

 「しかし、そなたが天海となり動いたことが、謂わば裏口入学であったが、認められ、正式に空界の一員として認められた。それを伝えねばと思っておった所に、あの見事な結界を見つけたのよ」

 「そうで御座いましたか」

 「これからは常にとは申せぬが気に掛けておるゆえ、間が道を歩むことよ」

 「有難きこと」

 「とは言え、また生身の人間界に戻れば、ここでのことも忘れさせられるのじゃがな。それでも、微かに残るものよ。それを嗅ぎ分けて貰えることに期待する」

 「はい」

 「では、また、魂の世界に戻ってきた際に会うとしよう」

 「愉しみにしております」

 「では、さらばじゃ」


 

 天海が気づいた時、浅草寺の寝室に使っていた書院造の別棟にいた。何か懐かしい爽やかな思いに満たされ、疲れは吹き飛んでいた。しかし、自分が何故、いつここに来たのかは思い出せなかった。ただ、事を急がねばならない焦りのようなものを感じつつ、変わらぬ日常に戻っていった。

 

 

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