後編
小金井公園が見えなくなると見覚えのない道。子供の俺はここまでは歩いてきてない。三鷹から玉川上水駅まで、緑道を歩いておよそ14KM、普通に歩いて3時間前後。歩き出したのは10時前。ゴールして少し遅い昼飯。
俺の職場には同じ目線の同僚がいない。最初は営業部、いまだけ総務部預かりみたいな話だった。翌月から正式に総務部配属になった。
営業の奴らはみんなしていいなぁ等と言ってくる。定時に帰れるんだろ。五月蠅い客の相手しなくていいじゃん。まあ確かにそうだ。俺の相手は五月蠅い顧客じゃない。同僚になっちまったのだ。
上司の判が押してないと書類を持って行っては疎まれ、書式が違うと言っては嫌がられる。
「〇〇〇さん、ダメじゃないの」
中年女性はそんなセリフを大声で言って営業の奴らに書類を書き直させる。相手も笑いながら引き受けるのだ。
俺だとそうはいかない。
「ここにハンコが必要なの?、なんでそんな分かり辛いんだよ」
「この書類同じものを毎回出してるんだぜ。次回からコピーで良いだろ」
次々と文句が来るのだ。
相手の気持ちも分からないじゃない。俺はこの前まで後輩として営業研修にいた。後輩だった奴が提出した書類に駄目出ししてくる。そりゃムカツキもするだろう。
だけど俺は敵じゃないんだぜ。仕事をちゃんとやろうとしてるし、間違えてるのはそっちなんだ。間違えて悪かったな。その位言ってくれても良いじゃないかよ。こっちはちゃんと頭下げてんだぞ。
やめやめ。気晴らしに来たのに、嫌な気持ちになってどうするよ。
しかしなあ。玉川上水を眺める。あんま良い光景でも無い。
山道を歩いてて川沿いの道に出ると凄く気持ち良いのだ。空気が冷たい。身体の汚れが空気に溶けてく。そんな気分になるのだ。
やっぱり山に行くべきだったか。でも重いリュック背負わなくて済むのはいいな。俺は手ぶら。持ってるのは革のサイフだけ。
もう行程の半分は越えた筈。足が痛くなってきた俺はコンビニでペットボトルのジュースを買う。疲れてる時は甘い物の方が良い。つぶ入りのフルーツジュース。のど越しを楽しみながら、コンビニの表に腰掛ける。
歩き出しは知ってる道だったのにな。もう全く見覚えの無い通り。南下してJRの線路に出れば国分寺近辺。
休憩してると余計な事を思い出す。書類の書き直しを頼む俺。中に同期入社の奴の書類も有ったのだ。
「おーい、ここ足し算が違ってるぜ。書き直してくれよ」
「何だよ。これ位そっちで直してくれよ」
今回は先輩相手じゃない。いつも低姿勢に出てた俺は軽く言ってしまった。同期の奴は切れ気味。口論になっちまったのだ。
「こっちは汗水垂らして営業先走り回ってんのに、いつ見ても座ってお仕事かよ」
俺だって好きで事務やってんじゃない。
休憩を終えて、俺はまた歩き出す。周りの景色もあまり気にしないで歩く。見覚えの無い場所になって良かったのかも知れない。さっきまで、こんなところに店有ったっけとか色々考えてた。そんな思いが消えていく。
右足と左足を順番に前に出す。勝手に両手も動く。横にはトラックが轟音で走り去ったりもするのだが、それも気にならない。
同じリズムで体を動かし続ける快感。ただ足を動かし続ける。適度な運動を求めてと言うよりは、瞑想とか座禅に近いのかもしれない。
気が付くと川が大きくなっている。横を走ってた車の姿が無い。車道と離れたのか。
俺、今どこに居るんだ。学生らしい若者が横を通り過ぎていく。俺は昨夜眺めたマップを思い出す。美術大学かな。ならもう小平だ。
なんだか驚きだ。緑道は先刻までの一人歩くのがやっとの道じゃない。人間が三人は通れる幅。樹が立ち並び、深い緑に溢れる。
もう玉川上水駅も近い筈。俺はスマホをポケットから取り出す。極力見ない様にしてたのだ。禁止と決めたりはしてないが、スマホで色々調べちゃうと興が削がれる。
もう終着点だ。いいだろう。
しばらく見てなかったスマホ。LINEのメッセやら、メールをチェック。
久しぶりに呑みにいかないか。
同期の男からのそんなメッセ。あのな、何処もアルコールは提供してないぜ。俺はメッセを返す。
俺ん家でどうだ。
つまみ用意しとくから、ビール買って来いよ。
玉川上水駅。あの小さな水の流れが立派な川だ。川沿いの道は広く見渡せる。気持ち良く空間が広がる。車道の脇に有る小さな流れと同じ場所とは思えない。
玉川上水駅から多摩モノレール。立川からJRで俺のアパートが有る駅へ。
月曜からまた仕事。話の合わない同僚に囲まれてPCのディスプレイに向かう。営業の人間からは敵扱い。何にも解決してないが、定時には帰れる。体力を残して、週末は散歩すればいいのだ。
俺は歩くのが好きなのだから。
玉川上水緑道を歩く くろねこ教授 @watari9999
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