玉川上水緑道を歩く

くろねこ教授

前編

 俺は歩く。

 昔から歩くのが好きなのだ。たまにリュックしょって登山に行く。標高二千メートルなんて本気の山じゃない。早朝出発し、夕方までに都会へ帰って来る。ハイキングと呼ぶのに丁度良いレベル。


 従業員100人弱の中小企業に就職した俺は何故か事務職になっていた。就職の時には営業と言われたし、営業の研修を受けてる途中だったのに。何故か現在、総務の机に座っている俺、その過程は思い出してもいまだに良く分からない。

 

 事務の中年女性がエクセルの扱いに苦難していたのだ。

 「いつものファイルがどうしても開かないのよ」

 「ちょっと見せて貰っていいですか?」

 ブツブツ言う女性にどいて貰って、俺はちゃっちゃとPCをいじる。裏でアップデート作業をしてるな。タスクマネージャーを見るとメモリがほとんど使われてる。俺は如何にも使わなそうなソフトを勝手に外す。アップデートが一区切りしたところで再起動。動き出したPCでエクセルは何の問題もなく起動した。

 「これでどうですか?」

 俺は得意満面なんて顔にならない様に気を付けて、殊勝な表情で中年女性に問いかけた。

 「あらまあ」

 そう言って瞼を開いた女性の顔は俺を満足させた。ついでに中年女性は俺を見て笑って見せた。

 「新人の・・・・君だったわよね。パソコン得意なの?」

 「ええ、まあ」

 勘の良いヤツならその中年女性の笑顔に悪寒を覚えたかもしれない。だが、俺はその時有頂天になってる若造に過ぎなかった。

 次の日出社すると、俺は営業部の部長に言われたのだ。

 「・・・・君、部署移動だ。良かったな。明日から定時で帰れるぞ」

 は? 何のこっちゃ? 訳が分からないまま、俺は総務課預かりとなった。部長も含めて全部で四人しかいない総務課。この会社には人事部も経理部も無い。全部総務部でやってるのだ。部長に課長と定年再雇用の七十代男性、中年女性。そこに俺が加わったのだ。


 玉川上水緑道。三鷹駅から少し歩くと見えてくる川沿いの遊歩道を俺は歩いていく。あの有名になってしまったジブリの森美術館が有る方向じゃない。人の少ない方向へと歩いていく。

 中学生の時まで俺はここいらで過ごしたのだ。現在の俺はもう少し新宿寄りの駅でアパート暮らし。既に10年以上経っているが、街の光景は大して変わってない。水は大きくも無いし、キレイでもない。秋の枯葉が浮いてる流れはむしろ汚い。


 少し歩くと見覚えの有る場所に出る。川沿いは土で出来た道になる。遊歩道というか、田舎道みたいだ。人が踏み固めた後は有るが、舗装もされてない。

 俺は昔、この辺で遊んでたんだ。そんなに小さな頃じゃない。小学校上級から中学生まで、親の都合でこの辺の借家に一家揃って住んでいたのだ。


 この川の脇道は俺の遊び場だった。

 右へ分かれる道を眺める。その昔、ここには鶏がいたのだ。東京だってのに。養鶏場と呼ぶようなサイズじゃない。林の中に隠れた小屋に数羽の鶏が居る程度。

 小学生だった俺。家に帰る道の途中で鶏に出くわした衝撃が分かるだろうか。俺はしばらく動けなくなって目の前の生物を眺めた。ニワトリ。もちろんニワトリは知っていたのだが、生で動いているのを見るのは初めて。

 オッオッオォー!

 そんな喉の奥で鳴らすような音を出している生物。これは正しい鶏の鳴き方、行動なのか。

 鳥の目ってのは良く見ると怖い。顔の両側についていて、その目線は両側を向いている。何処を見てるか、何を考えてるか分からない。小学生の俺は勿論、回れ右して逃げ出した。

 あの鶏小屋ももう無い。あそこは一体何羽くらいの鶏を飼っていたのかな。5、6羽位だろうか。それ以上多かったら、近所迷惑過ぎるだろう。


 そんな事を思い出してニヤニヤしながら歩く。同じ道を歩く人はほとんどいない。

 たまに散歩してるご老人に出くわして道を譲る。

 固められてない土の道。一人通るのがやっと。周りは草木に覆われてる。左下を眺めるとそこに水が流れる。右側はすぐ自動車道。

 五日市街道。バスも走るし、トラックも通る。川沿いの土埃舞う道、そのすぐ横に通行量の多い車道。少しばかり不思議な光景だ。


 そうこうしてるうちにバカでっかい公園が見えてくる。車道を越えた先は小金井公園。

 小金井公園をうろつくのも良いかもな。そんな事を俺は考え出す。売店でコーヒーでも飲んで、江戸東京建物園を覗いて帰る。それも良い休日の過ごし方だろう。いかん、いかん。初志貫徹。


 俺は週末、懐かしの緑道を玉川上水駅まで歩こうかなと思った。思ってしまったのだ。だって山歩きに行くというと白い目で見られる。

 こないだまで、週末ハイキングに行くと言えばみんな言ってたのだ。

「あら健康じゃない」

「良いですね、私もマネしたいですよ」

それが今じゃこうだ。

「緊急事態宣言ですよ、分かってるんですか」

「高尾山、とんでもなく密らしいじゃない。若いからって調子に乗っちゃダメ」

定年過ぎた嘱託の老人と中年女性から口々に言われる。

 緑道を歩いてみるか等と思ったのはこんな訳だ。なんせ他の人が歩いてない。緑道のすぐ脇はバス道。疲れちまったらバスで帰ればいーや。そんな計画。

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