夜のサメは荒波にくじけない



 オタク君はもう覚えていないだろうか?

 私達が初めて出会ったあの日のことを。


 悲しいことに我が家はとっても貧乏で、ひと月に一度親子で映画を観に行くことだけが何よりの楽しみなのです。ゆかりちゃんはその日がとっても楽しみで、服を新調して、お化粧の勉強をして、精いっぱいオメカシをするのです。


 たとえ見てくれるのがパパだけだとしても。

 それだけが楽しみで苦痛の多い毎日を耐え抜いてきた。

 くだらない理由で私をさげすみ、からかってくる馬鹿どもの中で日々をうつむきながら生きてきた。


 ところが、あの日のパパときたら。



「すまん、明日の映画は行けそうもないんだ」

「いま職場で欠員が出て大変なんだよ、わかってくれよ」

「それに今月は出費が多くて余裕もないし」

「なんだその顔は……俺が悪いってのか?」

「それになんだ、その服は? お父さんはそんな服を買ってやった記憶なんてないぞ。お前まさかまた渡した食費をちょろまかしたのか!?」



 ええ、悪いわよ。

 娘に服も買ってやれない甲斐性かいしょうなし!


 思ってもそんな言葉は口に出来ない。

 言えばパパはきっと死にたくなってしまうだろうから。

 右頬を叩かれても、私は泣きもせず、叫びもしない。


 それに拳でなくビンタだった。

 パパが最後の一線を越えずに踏みとどまっているのは感じていたので。


 私はただ一人、家を飛び出した。


 行く当てなんかない。

 頼れる人なんて居ない。

 居場所なんてどこにもない。


 まだ子どもなのに、どうして!?

 どうして私だけがこんな目に?


 親ガチャ? そんなことって……。


 泣きながら辿り着いたのは道路の下を潜るように掘られたトンネル。

 正式名所はアンダーパス。


 そこで妙な奴と出会った。

 こんな夜中にトンネルの中に座り込んでゲームしているオタク君。


 そんな所でゲームに没頭しようとしているのは、もしかすると現実が目を背けたくなるほど辛いから? ねえねえ、オタク君、どんなにゲームで経験値を稼いでも現実の君は何も変わらないんだよ?


 何だか彼を見ていたら涙がストンと引っ込んでしまった。

 こんなにも孤独でお先真っ暗なのは、この世に私一人じゃなかった。


 ジッと見ていたら、やがて私に気付いて彼はゲーム機から顔を上げた。

 トンネルの入り口に立つ私をマジマジと見つめ返し、彼は悪戯を見つけられた子どもみたいに気まずそうな声でこう言った。



「何だよ、君。ゲームに興味あんの? そんな所でコソコソされると気が散るからさ。見るならコッチに来て堂々と見てくれ」



 ゲームなんかに興味はなかった。

 ただ、偶然出会った仲間に興味津々だった。


 私は彼の隣に座って存分に観察させてもらった。

 訊いてもいないのに、やっているゲームを熱く語る彼がなんだか面白くて私は思わず微笑んでしまった。



「おっ、笑ったね。良かった、どうやら幽霊じゃないわけだ」

「え?」

「いやさ、まさかサメのパーカーを着ている幽霊なんて居るわけがないと思ったんだけど。夜中のトンネルだから、やっぱり女性がいきなり現れたら怖いじゃん」

「ふふ、よく言う。こんな所で遊んでいる君だって相当だよ、オタク君」



 それはパパに喜んで欲しくて買ったサメのパーカー。

 でもこの服のおかげで、彼をおびえさせずに済んだみたい。

 なら、買った甲斐はあったのかもしれない。



「でも、なんだってこんな遅くに女の子が一人でフラフラしているんだ?」

「パパと喧嘩しちゃって……謝らなくちゃとは思っているんだけど」

「まぁ、そういうのってよくあるよな。しなきゃいけないと判っているんなら、そうするしかないんじゃないの、知らんけど」



 あの何気ないやりとりにどれだけ救われたことか。

 オタク君は覚えてないかもしれない。

 単に早く私を追い払ってゲームに集中したかったのかもしれない。

 でもね、私は絶対に忘れないから。


 クローバーの炊き込みご飯を君に教えたのも、あの借りを返したかったからだよ?


 オタク君のお母さんに喜んでもらえたのは本当によかった。


 でも、その帰り道。

 私はどうして一人泣いているのだろう?

 ガードレールに体重をかけ、涙を拭いもせずに泣き続けた。


 それはきっとオタク君の家がお金持ちだったから。

 仲間だと思っていた相手も、結局は別世界の住人だった。


 やっぱり違う。

 私が余計なことしなくても、あの人たちはきっと幸せになるのだろう。


 ほんの一瞬、私の心にドス黒いものが芽生える。

 嫉妬しっとなんて生易しいものではない。自分でも吐き気をもよおすような考えが。


 お金持ちの少年が私になついているのなら、それを利用すればいい。

 パパ活で見知らぬオジサンにみつがせるよりもずっと確実で簡単だ。

 そう、お礼が欲しければ恩を売ってやればいいのだ。


 ゆかりちゃんはサメ。捕食者の頭をかぶっている。

 でも何のサメなんだろう?

 獲物を虎視眈々こしたんたんと狙うホオジロザメか。

 おこぼれを欲するだけのみじめなコバンザメか。


 どこかで聞いたことがある。

 四つ葉のクローバーは黒魔術の小道具で、それを誰かに渡すことは「貴方を不幸にしてそのぶん私が幸せになります」という「呪い」を暗に示しているのだとか。


 私がしたことは実際それなのか。

 裕福な家族にとりいって、甘い汁をすすろうというのか。


 ゆかりちゃんは才女なので ――あの家から財産をちょろまかすことぐらい簡単なのですけれど。あのお母さんを泣かせるなんて!


 夜道の帰路。私はひとり泣き続ける。

 もっと強くなりたい。


 社会がどんなに私の存在を拒絶したとしても。

 私達を取り巻く状況が悪化し、生きづらい世の中になったとしても。


 コバンザメになんかなるものか。


 せめて対等な仲間として。

 私は不幸を嚙み砕く強靭きょうじんなサメになる。


 月光に輝く頬のたますらも糧として。


 強く生きてやる。

 もっともっと!


 夜の街を行く、小さなサメの子ども。

 それを優しく見守るのは雲のかかった満月だけだった。

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のけ者ゲーマーとサメパーカーゆかりちゃん 一矢射的 @taitan2345

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