単位『ゴリラ』

山﨑 孝明

単位『ゴリラ』

 それは帝紀二〇一八年八月のことであった。


 大地球帝国 帝都


「余、大地球帝国皇帝フリードリッヒ・フォン・カイザーリングはここに宣言する。我が帝国の全ての単位は『ゴリラ』に改める!」


 この皇帝、相当なアホである。単位がゴリラなら皇帝はチンパンジーであった。しかし、皇帝が言ったからには無視するわけにはいかない。

 一方その頃、帝都はうんざりした顔の役人達が続出していた。

 マルクス・ウリヤノヴィチ・モロトフ。帝国科学技術教育省のテクノクラートもその一人である。


「……今の意味が分かったか? 俺は帝国公用語以外はさっぱりだ」


 ひどい言いようであるが、事実なので仕方が無いのである。


「いや、どう聞いても帝国公用語以外の何物でも無いぞ」


 イーゴリ・ラーザレヴィチ・クリストフはマルクス・ウリヤノヴィチの長年の友人である。彼は友人の暴言を見て見ぬふりをした。


「全ての単位をゴリラにするとか聞こえたが。これは俺もヤキが回ったかな」


 実際にゴリラと言っていたのである。


「お前わざと聞こえないふりしてないか?」

「我が国の各種単位を、全部ゴリラにすると言ったのか。畏れ多くもちっとも賢くない皇帝様は」


 言い得て妙である。彼はまさに事実を述べたまでのことなのだ。しかし、ここが宮殿前広場なら眉間に風穴が空いていたのは言うまでも無い。


「そのかしこいじゃないよ、そこ」

「……ゴリラって何だよ!」


 モロトフが吠えても、御聖断は変わらないのである。


「霊長目ヒト科ゴリラ属に属する動物で、有名なのはニシローランドゴリラ。学名はゴリラ・ゴリラ・ゴリラ。現在の棲息範囲は帝国本国アフリカ管区」

「そーいうことを言っているんじゃない! ゴリラだぞ! 我々人類が五〇〇〇年以上の時間費やし、あまたの科学者達の努力と叡智を以て制定された単位が! ゴリラ! ゴリラ、ゴリラ、ゴリラ!」


 賢明な読者諸氏はお気づきのことだと思うが、この先ずっとこうなのだ。


「……そう言われると、なんかこう、がっくりくるがな」

「ゴリラ、ゴリラだ……そして、その先鋒を担ぐのは我々帝国科学技術省! これが人類智の敗北と言わずして何だ!」


 人類科学史における最大の敗北だと、後年の科学史専門家も述べているのであった。彼は未来はよく見えていたが、その未来が明るくないこともまた、見通してしまったのである。


「陛下はなんて?」

「ゴリラ以外は認めぬ! 余はゴリラが好きじゃ!」


 モロトフには声帯模写の趣味があり、酔っ払うたびにバカでアホな皇帝をけちょんけちょんに貶し続けていた。


「おー、似てるな」


 友人の評価もまずまずであったが、論点はそこではない。


「いいか、よく考えてみろ! 俺達は今どれだけの単位に囲まれてる?! バイト、ビット、グラム、メートル、ヘクタール、リットル、オクターブ、ダース! 尺、石、升! インチ、ヤード、ポンド、バーレル、ガロン! カロリー、アンペア、ボルト、オーム、ワット、クーロン、ファラデー、パスカル、バール、シーベルトにベクレルにニュートンにテスラ!!」

「あのさ、マルクス。俺たちは大事な事を忘れている」


 根本的にゴリラが単位として不適当だと言うことも忘れているのである。


「一ゴリラとはなんだ、既存の基準数値をゴリラ基準に変換しないといけないんじゃないか……?」

「あ」


 あ、じゃないのである。


「じゃあまず、一ゴリラは一メートル、一キロ一ゴリラ――とする。これで良いだろう、シンプルだ」


 シンプルというか暴挙である。


「いや、まて。一メートルは現状、現在は一秒の二九九七九二四五八分の一の時間に光が真空中を伝わる距離とされている。一ゴリラを一メートルとそのまま置き換えるのは乱暴では?」


 真剣に考えるまでもなく乱暴である。


「単位を全部ゴリラとするのに比べたら何だってフェザータッチだろうが!」


 それもそうだ。


「仕方が無いだろう。どのみち科学協会のお偉方がそんな安直な定義で認めると思うか?」


 そんなことを認める訳がないのであった。


「あんな連中は、研究室にこもってこの世の終わりまで論文とにらめっこでもしていればいいんだ!!」


 考えてみればひどい言いようである。


「大体なんだ、ゴリラの定義ってなんだ」


 こっちが聞きたいのである。


「……ゴリラ、見に行くか? 帝都動植物園にいるだろう?」


 帝都動植物園のアイドル、メスゴリラのミカエルは今年で二三歳。妙齢のゴリラであり、既に三児の母である、飼育員のゲオルグ・オットー・モルゲンステルン氏によれば、好きな果物はバナナ、皮ごと食べるのを好む。運動場のボールでモルゲンステルン氏と遊ぶなど、中々人懐っこいことで知られている。

 本題からそれているのである。とにかく、どのゴリラを基準とするかは、単位ゴリラ制定委員会の急務となった。


「いや、ゴリラの定義もそうだが、この全地球上にいるどのゴリラを基準にする?」

「イーゴリ……お前、パンドラの箱を開けたな?」


 出てくるのはどのみちゴリラである。


「と、言うわけで、皆様にお集まり頂きましたのは、この全地球上にいるゴリラから、どの個体を以て帝国標準ゴリラとするか決定して頂きたい。これは陛下の玉命により定められた、帝国の法であります。畏れ多くも皇帝陛下のお達しでありますので、その点ご留意されますようお願い申し上げます」


 もっともらしいことを言っているが、こんなに馬鹿げた話はないのである。雁首並べたホモ・サピエンス達はとにもかくにも、議論を開始した。


「どのゴリラと言われても、それは帝都動植物園のゴリラで」

「待て、あのゴリラはもう老齢だったはず。より若いゴリラを選ぶべきでは無いか」

「いや、若いゴリラでは成長による誤差が無視できない。ここは壮年期のゴリラで行くべきだ」


 ゴリラの壮年期とは。


「待て、そもそも雌雄どちらを?」

「雌雄による体格差は否定できぬ。ここはどうだろう、去勢したゴリラを用いては」

「そもそもゴリラにも生息域によって個体群がわけられる。ニシゴリラとヒガシゴリラのどちらを使うべきか」

「いやいや、そもそも季節によりゴリラは体重が変化するのでは?」

「まず早朝、排便した後のゴリラを用いるべきか」

「待て待て待て! 人工飼育環境のゴリラで本当に良いのか?」

「自然環境下でのゴリラをして定義とするのか」

「いっそ人工授精により、単位ゴリラの元となるゴリラを生み出すのはどうか。遺伝子操作を行い、ゴリラの中のゴリラ、ゴリラの基準となるゴリラを作り出すのだ」


 学者というのは真面目である。いかに馬鹿げていようとどうだろうと、まずは議論をするのである。会議は堂々巡りのまま、一二時間が経過。議をつくし論を説いても、常に結論は同じなのだ。


 なぜ、ゴリラなのか。


「あああああああああああ!! じゃかあしいゴリラがなんぼのもんじゃ!! 一メートル一ゴリラ!! これでいいの!! 決定なの!!!」


 モロトフが壊れた瞬間である。


「いや待て」

「はい終わり――! 会議しゅーりょー! 俺が決めたからこれが法律ですー!」


 何かがおかしくなってきた、と思われている方に言いたい。最初から何もかもおかしいのである。


「やっぱり乱暴だって。そこの駐車場の車だと、二五〇〇〇〇ゴリラだぞ。そのうち桁が溢れる」

「いい考えが浮かんだ! ゼロが増えるたびゴリラを増やせば良い!」


 良い考えかどうかはかなり怪しいのである。


「なるほど、じゃあ俺の体重は七三ゴリラゴリラか」

「……いや、ダメだ、ダメだダメだダメだダメだ! このハードディスクの容量見てみろ! 1ゴリラゴリラゴリラゴリラなんて言ってられるか! 殺すぞ!」

「俺に言うなよ」


 まったくその通りなのである。


「そもそもこれじゃ何を指してるか分からねえよ! 重さも長さも電圧も温度も気圧から何から何までゴリラじゃねえか!」


 それは最初から分かっていたことなのでは。


「あとほら、ミリとかセンチの部分どうするのさ。一メートルを一ゴリラにしたら、一〇センチは〇・一ゴリラになる。換算が面倒だ」

「SI接頭辞は特に言及されていないんだから黙っとこうぜ」

「気づかれたらどうすんの」

「黙ってりゃわかんねえよ。あの皇帝アホだから」

「まあそうなんだが」


 認めてしまうのであった。


「これですっきりだ。フルマラソンの距離は四二・一九五キロゴリラ」

「最後混ざってんじゃん」

「このメモリーチップの容量が六四ギガゴリラ」

「強そうだな。あと暦はどうするんだ」

「もう良いじゃん、年がゴリラ、月がゴリラゴリラ、日がゴリラゴリラゴリラで」


 いよいよ投げやりである。


「二〇一八ゴリラ一二ゴリラゴリラ八ゴリラゴリラゴリラ?」

「そうそう、だからお前が産まれたのは一九七五ゴリラ五ゴリラゴリラ五ゴリラゴリラゴリラ」

「ゴリラの子供みてぇだな。次、時間は?」

「時をゴリラ、分をゴリラゴリラ、秒をゴリラゴリラゴリラに」

「俺たちの定時は?」

「一七ゴリラ〇〇ゴリラゴリラ〇〇ゴリラゴリラゴリラ……」

「飛んでも八ゴリラ、歩いて一〇ゴリラ……ゴロが悪いな」

「ゴリラばっかじゃねえか! カップラーメン待つのに三ゴリラゴリラとか、駅まで一〇ゴリラゴリラゴリラとか言ってられるかぁ!」


 さっきからそれは分かっているのである。


「長さはどうするよ」

「メートルが基準なんだから、これもSI接頭辞とゴリラの数で対応だ」

「つまり……帝都の建国記念塔は三三三ゴリラ」

「俺の身長は一九〇センチゴリラ」

「地球と月の距離は約三八万キロゴリラ」

「……あれ、これはゴリラ省略すれば変わらないんじゃねえの?」

「んまあ、そうかもしれんが。とにかくこれでいいだろう」


 わざわざプリントアウトされた単位一覧と用例はすさまじい分厚さであり、新単位ゴリラ換算で二〇センチゴリラである。。

 しかし、これも全て単位を『ゴリラ』にするため。ただそれだけなのである。

 これらの馬鹿馬鹿しい仕事を終えたマルクス・ウリヤノヴィチ・モロトフは皇帝への目通りが叶った。


「マルクスよ。よくやった。褒めてつかわす」

「畏れ多いお言葉です」


 心にも無いことが顔に出ているモロトフであった。猿芝居にもほどがあった。

 もちろんモロトフの仕事はこれだけでは無いのだが、唐突にこんなものが振ってくる民衆は迷惑千万である。

 なんやかんやあって、全ての準備を整える頃には、日付は翌年四月一日になっていた。


『臣民の皆さん、おはようございます。本日七時五九分をもって、これまでの単位は人類史における長い役目を終えます』


 ジェームズ・クラーク・マクスウェルが聞いたら卒倒しそうなことを言っているニュースキャスターであった。

『そして、これからは畏れ多くも畏くも、皇帝陛下の定められたゴリラが、我ら臣民の統一単位となります』


 本当にいいのか皇帝陛下。本当にそれでいいのか大地球帝国。


『ポッ・ポッ・ポッ・ポーン♪』


 いよいよ単位ゴリラが全帝国で運用が始まったのである。

 四月一日〇八時〇〇分〇〇秒――いや、四ゴリラゴリラ一ゴリラゴリラゴリラ〇八ゴリラ〇〇ゴリラゴリラ〇〇ゴリラゴリラゴリラのことであった。



 帝都 第一初等学校


「それじゃあ算数のお勉強に入りましょう。まずは時計の読み方ですね。今、長い針が一〇を指しています。短い針が一二を指しています。さあ、今は何時でしょう」

「はい! 一二ゴリラゴリラ五〇ゴリラゴリラゴリラです!」

 算数の授業は既にゴリラに制圧されたのである。

「ウラジミール君はお友達のヨシフ君のお家に時速三キロゴリラで歩いて行きました。ウラジミール君が家を出たのは一〇ゴリラ、ヨシフ君のお家についたのが一五ゴリラです。さて、ウラジミール君のお家からヨシフ君のお家の距離は、何ゴリラあるでしょうか?」

 ウラジミール君の家からヨシフ君の家が遠すぎるのではないか。



 帝都 とあるスーパーマーケット


『いらっしゃいませ、いらっしゃいませ。本日は月曜特別セールのお時間。牛肉ブロック特別価格、一〇〇ゴリラ一三二帝国ゴリラ、一三二帝国ゴリラでお値打ちとなっております』


 牛肉なのかゴリラなのかさっぱりである。ゴリラの肉は美味いのだろうか。



 帝国中央放送


『本日の帝都は晴れ、風速四・二ゴリラ、湿度六四ゴリラ、気温は一二ゴリラの時点で二三ゴリラと快適に過ごせますが、夜になると急激に冷え込みますので、上着を一枚、羽織って行かれると良いですね』


 この変わりようである。どこが快適なのかさっぱりである。

 しかし、単位変更の裏では、様々な事件、トラブルが発生していた。




『ケース1・ミツボシ自動車 ゴリラ二重管理事件』


「ゴリラ? 技術部門としては反対である」

「いやだって、法律で」

「反対である」


 そうはいっても単位ゴリラから逃れられる法は無いのである。


「帳簿を二つ作っておけばいいんですよ。こっちはゴリラで管理、暫定的にG資料とします。こっちは従来の単位で管理」


 当然、そんなことはバレバレなので、すぐに監査が入るのである。


「うん、分かった。すぐに準備する……工業省の監査だ!」

「ヤバいヤバい! 隠せ隠せ!」

「紙はシュレッダーに! ファイルはロッカールームへ!」


 歴史は繰り返す。そして大抵、良くない事が繰り返す。彼らは長い人類史に学ぶべきだった。


「直ちに換算表のデータベースにロックを掛けろ! G資料は直ちに隔離しろ!」

「ダメです! 既にメインデータバンクの防壁を破られました!」

「全員動くな! 工業省監査局の者だ! 今より一切動かず、こちらの指示に従いなさい! ロッカールームを調べろ!」


 やっぱりバレているのであった。



『ケース2・北米管区ヤード・ポンドの乱』


「ゴリラ? はっ! そんな馬鹿げた単位なんて使ってられるか!」

「俺たちはヤード・ポンドで生まれヤード・ポンドで死す! ゴリラなんぞ知ったことか!」


 北米管区の多くの事業所では、ヤード・ポンドが使われていたが、これも無論、ゴリラに置き換えられた。

 当然である。ヤード・ポンドは滅ぼされなければならない。


「ヤード・ポンド万歳!」


 ヤード・ポンドに洗脳された狂信者達は、単位ゴリラ布告と同時に町中で暴れ回った。まあ、実際理由としてはしょうもないのである。ヤード・ポンドだからしょうがない。


「毎日食ってるこの1ポンドステーキが1ゴリラステーキだと?! ふざけるな!」


 ふざけているのは、毎日そんなものを食ってるお前だ。ともあれヤード・ポンド死すべし。


「ヤード・ポンドに栄光あれ!」


 哀れ。ヤード・ポンド法の殉教者達は次々に捕らえられ、刑務所に送られる。彼らはヤード・ポンド法で表記された看板などを張り替える作業を命じられ、多くは舌をかみ切る、もしくは発狂するなどして多くの死亡者を出した。愚か者のたどる末路である。ヤード・ポンド滅ぶべし。



『ケース3・帝国乳業集団食中毒事件』


 このケースは、典型的な単位ゴリラ変換のミスによる機器の停止に端を発したのだが、その後の帝国乳業の問題解決能力不足が浮き彫りとなった事件である。

 事故経過は、まず二〇一九ゴリラ四ゴリラゴリラ三ゴリラゴリラゴリラ一二ゴリラ二九ゴリラゴリラ、帝国乳業グロースバウム工場にて停電が発生。これは電源系統の制御システムのプログラムを組み替えた際に発生した単位ゴリラ変換ミスが原因であった。その間に殺菌後の脱脂乳四キロゴリラが二〇ゴリラの温度に達したまま貯蔵。その間に黄色ブドウ球菌の繁殖により生成される毒素(エンテロトキシンA)が生成されていた。これを工場では殺菌過程で死滅させれば良いと判断し、温度一三〇ゴリラ、殺菌時間二ゴリラゴリラゴリラのプレート熱交換器にて殺菌し、これを脱脂粉乳の原料乳として利用。結果として残留していた毒素により、集団食中毒が発生した。

 当初、これを輸送経路上における汚染が原因と発表していたが、帝国厚生省の立ち入り検査の後、上記の事象が発覚。経営陣による謝罪会見が行われる運びとなった。


「えー、被害に遭われた方の……」


 しどろもどろの帝国乳業社長の傍らにいた専務――社長の母親である――は即座に社長へ耳打ちした。


「一刻も早い回復」

「一刻も早い回復をお祈りすると共に」

「事故の再発防止」

「えー、再発防止に努めて……」

「ちゃんと目を見て、大きい声で」

「再発防止に努め、皆様に安全で安心な牛乳をお届けするため」


 全てマイクに入っていたがため、謝罪会見の場は一気に糾弾の場となった。


「事故はどの段階で分かってたんですか! 食品業者にあるまじき杜撰さをなんとも思わなかったんですか!」

「再発防止に努めるっていいなさい」

「えー。このようなことになり、社長として深く反省すると共に、再発防止に」

「最初は輸送ルートにおける劣化だと仰っていたじゃ無いですか! 何故今になってお認めになるんです!」

「頭が真っ白になったって、初めてのことで」

「えー……事故当時はですね、私もですね、頭が真っ白になって、初めてのことだったもので、あと、寝てなかったもので」

「こっちだって寝てないんだよ! 被害者の方だって今も苦しんでるんだ!」

「第一そこの専務に聞いてるんじゃない!」

「うるさいわね! 私だって寝てないのよ!」

「んだとクソばばあ!」


 単位ゴリラへの急速な切り替えに端を発したとはいえ、これは経営陣の初期対応の悪さが目立つ事件であった。

 単位ゴリラ施行後半年の間に、一〇〇を超える企業で単位の不正使用、もしくは事故が発覚し、責任者が処罰・投獄されたのである。

 帝国臣民の間には猜疑心が蔓延し、何が何でもゴリラにしようとする忖度心が根付くのに大した時間はかからなかった。政府発行の単位ゴリラ用例書を遙かに超えるゴリラが使われるようになり、日常生活のありとあらゆる数字に、ゴリラがついて回ることになった。ゴリラと付ければとりあえず大丈夫。ゴリラに忖度しておけばとりあえず無事。

 羊が一ゴリラ、羊が二ゴリラ、羊が三ゴリラ。ゴリラなのか羊なのか。

 一石二鳥は一ゴリラ二ゴリラ。二人三脚は二ゴリラ三ゴリラ。四面楚歌は四ゴリラ楚歌。五臓六腑は五ゴリラ六ゴリラ。

 六つ子の魂一〇〇までは、六つゴリラの魂一〇〇まで。

 一〇万石まんじゅうは一〇万ゴリラまんじゅう。

 魚も鳥も人間も、猫も杓子もゴリラゴリラゴリラ。全ての単位をゴリラにすれば、誰からも文句を言われる筋合いは無い。ゴリラにあらずんばゴリラにあらず。いやそれは当然である。

 だってゴリラは単位だから。ゴリラはこの世の基準だから。

 しかし、その流れの中で哀れな生贄も生まれていた。単位ゴリラ制定委員会委員長、マルクス・ウリヤノヴィチ・モロトフも官憲に捕らえられてしまったのである。



『ケース4・帝国科学教育省技官収監事件』


「なぜだ! なぜ私が収監されなければならない!」


 それは二〇一九ゴリラ八ゴリラゴリラ二ゴリラゴリラゴリラ。昼飯を同僚のイーゴリ・ラーザレヴィチとともに科学技術教育省の食堂で取っていたマルクス・ウリヤノヴィチ・モロトフが突如帝国内務省公安部に拘束された。


「国家機構に重大なダメージを与えた原因は貴様にある。内乱罪で死刑だ!」


 横暴である。


「何だと?! 文句があるならあのチンパンジー皇帝に言え! ゴリラくらいの脳みそしか無いあの皇帝に!」


 チンパンジーとゴリラに失礼である。そもそもゴリラは単位をゴリラにしようなんて言わない。ゴリラのほうがよほど世のため人のためになっている。

 なお、チンパンジーの脳容積は約四〇〇cc、ゴリラは約五〇〇cc、ヒトが現代人同じ脳容量一四〇〇ccに達したのは六〇万年から四〇万年前に棲息していたホモ・ハイデルベルゲンシスまで待たねばならない。

 とはいえ、脳容量が大きかろうが、その者の知性とは無関係である。


「貴様! 不敬罪も追加だ! その減らず口を二度と開けないようにしてやる! 連れて行け!」

「何がゴリラだ! 馬鹿にしてんのか君達は! 貴様らの良心が一ミリゴリラでも残っているのなら、今すぐこんな馬鹿げた真似を――」


 ゴリラのような憲兵に拘束されたモロトフ。なんだかんだ言いつつゴリラは使うのであった。



 刑務所


「おい、新入り共。お前らは何して刑務所に入れられたんだ。俺は単位ゴリラを使わなかったから放り込まれた」


 囚人の見本のような男である。先輩風を吹かせているが、何の役に立つのやら。


「私は単位ゴリラを使わなかったヤツを警察に突き出したら捕まった」


 チクリ魔である。どうせ暇人か、でなければコンプレックスの塊である。親の顔が見てみたい。


「俺は単位ゴリラを使わなかったヤツを警察に突き出したヤツを警察に突き出したら捕まった」


 同上。というか警察はもっと取り調べをキチンとしろ。


「で、あんたは」

「単位ゴリラを作ったら捕まった」


 考えてみれば中々凄い容疑である。


「「「「テメェのせいか!」」」」


 そこまで言うのは気が引けるが、半分くらいはコイツのせいでなのである。


「俺のせいだ! 俺がゴリラなんて単位を、あのガキの言われるがまま作ったばっかりに!」

『囚人ゴリラ25049291、うるさいぞ!』


 番号くらい番号と言えばいいのに、ゴリラ事大主義である。


「くそ……俺はこんな事のために科学技術教育省のテクノクラートを目指したんじゃ無い……俺は……」


 彼をはじめとして、単位ゴリラを批判した者、運用をしなかった者、運用をしていたのに何故か投獄された者、見た目がゴリラっぽく無いなど、多数の人間が政治犯、もしくは思想犯として刑務所に送られた。


『一メートルは一ゴリラです』

『一キログラムは一ゴリラです』

『一時間は一ゴリラゴリラ、一分は一ゴリラゴリラゴリラ、一秒は一ゴリラゴリラゴリラです』


 囚人達は、このようなことを大音量で聞かされながら、有るときは自分の口で発しながら刑務に服さなければならない。ある者は道路標識の、ある者は重量計の、ある者は定規の単位をゴリラに書き換える作業。

 ゴリラは基本、ゴリラは単位、ゴリラはゴリラはゴリラはゴリラゴリラゴリラ……。


「うおおお! うほっうほっうほっ!」


 人間、それほど強く出来ていない。この刑期の間に幾人もの受刑者が精神を発狂して、ドラミングしながら人の形を捨てていったのでうほうほ。余談だが、単位ゴリラをマルクス・ウリヤノヴィチ・モロトフと共に整理してきた盟友、イーゴリ・ラーザレヴィチ・クリストフは過酷な労働刑により発狂。最期の言葉は「ジャングル単位必要ナイ、ジャングル帰ル」だってという。


「単位ゴリラなんて阿呆な事を抜かす皇帝は、市民の手によって引きずり下ろされなければならない!」


 不平不満をため込んだ人類社会において、それらを解消する手段とはなんだろう? そこで取るべき手段はなんだろう? そう、革命である。この革命の炎は、やがて帝国全土へと波及した。だってゴリラが単位はやっぱりイヤだから。


「我々は立ち上がる! ゴリラ以下の脳みそしか無い皇帝を廃絶して、我々は民衆による自治を回復するのだ!」

「単位ゴリラ死すべし!」

「ヤード・ポンド復活!ヤード・ポンド復活!」

「まずはこのヤード・ポンド信者を生贄に捧げろ! ゴリラもヤード・ポンドも等しく滅ぶべし!」


 とにもかくにも、ヤード・ポンドは滅ぶべきである。刑務所においての小規模な騒乱は、市街地に拡大していった。ゴリラ革命のはじまりである。いやゴリラが革命をおこした訳ではないのだが。



 帝都警備隊司令部


 帝都近郊の刑務所を発した暴徒は、単位ゴリラ滅ぶべしを合い言葉に進軍。道中に合流した人間を加えて一〇万ゴリラ、いや一〇万人を超えていた。


「暴徒の数は既に一〇万ゴリラを超えます!」


 律儀にゴリラと使う軍人というのも、中々見ている分には面白い。


「首都防衛の第二ゴリラを投入して抑えきれんのか?!」

「第二ゴリラってなんだよ?!」


 師団である。


「歩兵第三ゴリラゴリラゴリラ、交信途絶!」

「それは師団なのか大隊なのか中隊なのか!」


 中隊である。ちなみに師団はゴリラ、連隊はゴリラゴリラ、大隊はゴリラゴリラゴリラ、中隊はゴリラゴリラゴリラゴリラ、小隊はゴリラゴリラゴリラゴリラゴリラ。これで明日からみんなも軍事通だ。


「ゴリラゴリラゴリラって何のことだ! これではまともな統制が取れない!」


 単位ゴリラ、その弊害の最たるところは、そのゴリラが重量を指しているのか、距離を指しているのか、それとも何かのグルーピングのための単位なのか全く判別がつかないのである。というか適用範囲を広げすぎである。チンパンジーだってもっと仲間内のコミュニケーションはスムーズである。


「あー、これか、第三大隊は持ち場を放棄して暴徒に合流!」

「国道一ゴリラも封鎖だ! ダメ? そっかー、だめかー」


 そんなわけで、単位ゴリラを打倒すべく立ち上がった民衆は、そのままの勢いで皇宮に殴り込みを掛け、その場で皇帝フリードリッヒ・フォン・カイザーリングを単位ゴリラ制定の罪で投獄、のちに処刑。同時に大地球帝国は地球連邦へと改組され、単位ゴリラは廃止された。

 後にゴリラ革命という不名誉な名前が付くこの革命には、実はある後日談が付け加わる。


「フリードリッヒが人類の歴史にキズを付けた。それは紛れもない事実。わたくしはこの悪しき弊風を取り払うべく、邁進する所存です」


 地球連邦初代大統領には、フリードリッヒの姉にして単位ゴリラに反対し、アフリカに流刑されていたアレクサンドラ・カイザーリングが就任。彼女は単位ゴリラを廃止しただけで、教科書に載るだけの価値がある。


「同志マルクス・ウリヤノヴィチ、あなたには、先に改悪された単位系の変更をお願いしたいのです」

「もちろんですとも」


 モロトフはついに、帝国科学技術教育省のトップとなった。彼の元で、旧帝国の悪弊を吹き払い、人類科学の叡智、単位を取り戻す戦いがたった今、始まろうとしていたかに見えた。


「と、いうわけで、次はもっと平和的なイメージの単位にしたい」


 大丈夫かこの展開。


「そうですね、平和的なイメージの――えっ?」

「ハトが良いのでは?」

「いや、イヌだ」

「平和と言えばやはり全人類のゆりかごたるおっぱいだ」

「バカもん、由緒正しき尺貫法だ」

「いやいや、やはりヤード・ポンド法だ」

「ここにヤード・ポンド法信者がいるぞ! つまみ出せ!」


 議論すること半日。


「――――なんやかんやあったけど、やはりネコにしましょう。カワイイし」

「これを単位ニャーンとする。同志マルクス・ウリヤノヴィチ頼んだよ」


「にゃーん!」


 ネコを崇めよ。

 この年は二度目の革命と共に、地球連邦は短命な歴史を閉じることになるのであった。


 おわり


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