旧版

ある夏の夜

 むかし、むかし――― 首都から離れた大地の果てに一人の少女が農場主の子として生きていた。森の中を散歩するのが趣味であり、自然が大好きな彼女はちょっとした変わり者でもあった。


 ある夏季なつの夜。

 緑に覆われた森を訪れる、白色のナイトドレスを着た少女。空を隠す葉っぱが来客を眺め、草の髪が裸足の底を撫でる。自然の心地良さを肌で感じながら、空に向けられる瞳は見た。


 今夜は月の輝きが弱い、少女の穏やかな金髪が灰色に変わるほどに。


 ――― 視線が落ちる。


 森林の奥深くへ身を運ぶと、眼中に色違いの大樹が収まる。それは赤色の葉を纏い、老化の果てにシワのようなくぼみがそこらじゅうに存在する、季節違いの珍しい樹木……ひとりぼっちな木。


 気になった少女は対面する。


「こんばんは!」

「……んぅ?」


 子供の元気な挨拶に、樹木の重い瞼が開かれる。


「ほ~う。これは珍しい」


 人間の顔のように口と目が開いた樹木は、声の主の存在に困惑しながらも優しく相手をする。


「人間よ、儂はただの樹木。この森に住む老いた樹木じゃ。そんな儂に、なぜ挨拶をするのかね?」

「だって人だけが神さまの子じゃないもの。じゅもくさんも、神さまの子でしょう?」

「ほっほっほ、君は小さいが面白い。失礼ながら、お名前を聞いてもよろしいかな?」


 その質問に少女は、片足を曲げて身体を上下に動かしながら答える。


「わたしはシャクリーヌ! よろしくね!」

「シャクリーヌ……良い名だ」


 樹木が月を見上げる。その視線の動きを追うように、金髪の少女シャクリーヌは夜空を見つめる。


「行ってみたいかね?」

「……お月さまへ?」

「そうじゃ」

「わたしが? でもなんで?」

「なに、先程の挨拶のお礼じゃよ」


 樹木が頭を振るかのように全ての枝を左右に振ると、紅の葉がひらひらと舞いながら地面へ落ちていく。シャクリーヌの髪に引っかかった一枚、それ以外は草で眠りにつくが、樹木が「ふーっ」と息を吹くと、葉が風に乗りながら踊りはじめる。


 くちばし。つばさ。あし。


 踊りは形を整えていき、やがて一匹の鳥と化して少女の前に着陸した。


「こやつに乗れば、月までひとっ飛びじゃ」


 神秘に満ちた出来事にシャクリーヌは驚きと喜びが隠せなかった。好奇心を頼りに五感が露わな紅の鳥を触り、生きている事に感動すると同時に思わず感謝を口にする。


「ありがとう! ありがとう、じゅもくさん!」

「しっかりと掴まってるのじゃぞ?」

「はい!」


 頷いた少女は背中に乗った。鳥がくちばしを月に指すと、翼を開いて天へと羽ばたく。


「わーすごい!」


 夜空を泳ぐ華麗な飛行に少女の笑顔は絶えない。風は道を阻むことなく、むしろいざないの風向きが二人の背中を押してくれた。


 下を観ると、コペンハーゲンの都に光が散らばっている。だが月へと近づくほど光が一点に集まり大きな灯火となる。その輝きは、大地の呼吸かのように見えた。


 ねずみ色に染まった曇の世界を抜けた先に――― 月はあった。

 ついに二人は着陸し、月面をその目で確かめる。


「これが、お月さま……」


 白い砂の大地が広がり、漆黒の空に花火が打ちあがるも、そこには何本もの枯れた木が立っている。命の無い、色の無い、温もりの無い月面は美しく、同時に恐ろしい。


 シャクリーヌは降りて、月の砂を裸足で踏む。

 沈みはしない、でも柔らかい。まるで絨毯の上を歩いているかのように。


「人よ、どう思う?」


 どこからともなく、誰かが話しかけてきた。少女は顔を合わせようと周りを見渡し、同じく質問で返答する。


「それはどういうこと?」

「お前の足元にある月の事だ。さあどう思う?」

「……かわいそうだと思う」

「ではどうする、人よ?」


 迷いなく、髪に引っかかった紅の葉っぱを引き抜く。金髪の毛が共に絡まっていたが、少女は気にせずそっと月面に置いた。


「なるほど。それがお前の答えか」


 声が納得すると、葉っぱと髪の毛が風に乗って踊りはじめる。その舞いはやがて白き炎を呼び覚まし、紅と黄金は美しく燃え果てた。


「その答え、私が継ぐ。そして祝福しよう。お前の……行いに」


 枯れた木が、白い炎に包まれる。

 熱は焦げ目を付け、輝きは砂に流れ込む。木の枝から生えたのは、赤い葉っぱ。少女が地上で対面した樹木と同じ色を纏っていた。


「あかい葉っぱ……!」


 月面は変わった。煌びやかな砂の大地は蒼き星を映し、命を与えられた木々は紅だけでなく、シャクリーヌの髪色と同じ――― 黄金こがねに染まった葉も生やしていた。


「私はお前の答えを言葉として語ろう。いずれ人はその言葉を語る、告げる、故に与える。それが繰り返される度に、奇跡を起こしてみせよう。そう……今夜のように」

「あの! あなたはだれなのですか!?」


 闇に問いかけても、声は戻ってこない。諦めたがゆえにシャクリーヌは虚ろな表情をしていたが、鳥が嘴で手を優しく握ると、喜びが全身に流れてくる。やがて彼女は頷き、二人は故郷へと羽ばたいた。


 曇を抜けると――― 緑だけじゃなく、赤と黄に染まった地上が姿を見せる。


 見たこともない色鮮やかな光景を目にした少女は、イトしい微笑みで、輝く月を覗くのだった。

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月の秋 横溝照之 あんどイーニしゅまペ @EnigShuMaPe

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