殺し屋は真夜中においで遊ばす

浅瀬

一、



 枕元にパンプスが落ちてきて、驚いた僕が跳ね起きると、ベッドに面した窓から忍び込もうとしていた人影が、ちちち、と指を振った。


「……驚かないで坊や、驚かせるのはこれからなんだから」


 女の声だ。母とは違ってふわふわ軽い、浮世離れしたような声音。


「泥棒ですかっ?」


 うわずった声で聞くと、女は首を振りながら窓を乗り越えてきた。ベッドに上半身を起こしていた僕に覆い被さってきそうになり、あわてて横に避けると女は膝をベッドの角にぶつけた。


「痛いっ。どうして避けるの、坊や」

「危ないから……」

「危なくない、待って、聞いてちょうだい。危なくなるのはこれからなのよ。……聞きなさい」

「聞いてますよ」

「私は実はとある筋から頼まれて、坊やを殺しに来たの。この仕事はボランティアで時々引き受けるだけなのだけれどね。だって私は普段はお淑やかに過ごしてますもの」


 ぺらぺら話しながら女は、腰のベルトをしゅるりとほどいて両手に握り、構えた。


「……さて。嫌でしょうけど仕事だから。殺させてもらってもいいかしら?」


「いいわけないでしょうっ」


 ベッドから床に転げ落ちた僕は、そのままドアに走ろうとして、背中をベルトで打たれた。


「いだっ!」


「痛くはないわ。待って、痛くなるのはこれからだもの。落ち着きなさい」


「落ち着けるかっ」


 叫んで、何か女に対抗できるものはないか、暗がりを手探りする。

 床をはいつくばって、本棚に手がぶつかり。勉強机をなぎ倒しそうになり、載せたままにしていた教科書やら、飲みかけのペットボトルが落ちてくる。


「あ」


 もう何でもいい。

 僕はペットボトルの蓋を開けて、中の液体を女にぶちまけた。


「きゃっ、やだ、くさいっ、何なの?」


 女が混乱してベッドの上で立ち上がったので、そこを見逃さず、窓に向かって僕は女を突き飛ばした。


「きゃ」


 思いのほか可愛い声をあげて、あっけなく女は窓から落ちていった。


 墜落する音がするかと僕は固唾を飲んで目をつむったが、外はしいんとしている。


 見下ろすと、女は影も形もなかった。


 ただ、警察に僕が通報したことによって女は翌日逮捕された。

 逮捕の決め手は、(におい)だ。


 実は女のつけていた香水は高価なブランドで、珍しいものだった。どうして僕がその匂いを知っていたかといえば、うちの母親が香水収集が好きで、ただ高すぎて集められなかった唯一の香水だったから。


 そして、女が捕まったとき、女はその高貴な香りではなく、酸っぱいにおいをさせていたそうだ。


 何を隠そう僕が投げつけたあの液体は、お酢である。

 お酢を飲んでいたわけじゃない。どうやら学校で、飲みかけのペットボトルとお酢を仕込んだペットボトルをいたずらで入れ替えられていたみたいだ。

 後になって、僕はこの下らないいたずらをした山下に死ぬほど感謝した。



 そして今夜。


 安心して眠りについていた僕は、窓ガラスの開かれる音と、ふわっと香った高貴なにおいに、目を覚ました。



        おわり

 


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殺し屋は真夜中においで遊ばす 浅瀬 @umiwominiiku

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