いつも私だけ「可愛い」って言われない。
「——君、この後用事あるの?良かったらさ、少し話したりしない?」
駅の改札を抜けた時、後ろから不意に話しかけられた。
くるりと振り返ると、目の前には少しだけ顔立ちのいい男が立っていてにこりと微笑んでいる。
「え、私ですかー?」
「そうそう、君!可愛すぎて話しかけちゃった!どう?時間無いなら、SNSとか教えてよ!」
男が微笑みかける先にいるのは、いつだって私では無くて。
「すみません、私SNS系やってないんですよ……。本当にすみません!」
「うわっ、珍しいね!ってかそんなに謝らない出よー!美人さんに謝られるとか俺得だけど!」
私の隣には美少女が居た。ラテ系の柔らかな服装にゆるふわな茶髪。まつ毛も長くて、涙袋もちゃんとあって。
声をかけられても、嫌な顔一つせずに笑顔でナンパを断って。
何一つとっても私に勝ち目なんて無い。
「はぁ……びっくりしたー!後ろから声掛けられると心臓に悪いよー!」
隣を歩く彼女は、ほっと肩を撫で下ろしていた。
「でも理紗はそういうの慣れてるんじゃないの?」
「慣れないよ〜!いつも声裏返っちゃいそうだし……それに、麻里奈の方が断然可愛いじゃん!さっきの人も麻里奈の事見てたし!」
——嘘だ。
そう心の中で呟いてしまう私は、きっと彼女よりも性格が悪い。
理紗は私が幼い頃から一緒に居る、いわば幼なじみ。
人付き合いが苦手な私にとって、理紗は天使のような存在だった。
可愛いし、優しいし、顔が整っているのにそれを自慢したりしない。
それに比べて私と言ったら。一重で天パで服のセンスも無くて。顔はニキビだらけの豚鼻だし、目は小さいし、性格は悪いし。
——ほんと、なんで理紗は私と一緒にいてくれるんだろう。
大学生になってもメイクの一つも覚えていない私。
今日だって、毛玉のついたトレーナーに黒のズボンでめちゃめちゃ地味だ。
「麻里奈はそのままでもめちゃめちゃ可愛いけど……タレ目のアイラインにピンクメイクとか似合いそう!ツヤ肌にしたらもっと可愛いと思うし……ねえ、麻里奈!一回でいいからメイクさせてよ〜!」
歩きながら、理紗は私に頼み込んでくる。
こういう風に何度も「メイクをさせて欲しい」と言われた事はあった。
けれど、その度に私は断っている。
——どうせ、元が悪いんだからメイクしたって変わらない。
私はこの先もずっと、「可愛い」って言われないんだ。
でも仕方ないよ、だって私生まれた時からブサイクなんだもん。
——だから、しょうがない。
「ねえ、そこの君!」
そんな次の日。二時限から始まる授業の為に大学へと向かっていた私に、後ろから声が聞こえた。
最初はそれが私に向かってだって思ってなかったから、無視して歩いていたけれど、その声はどんどん大きくなって、遂にはぽんと肩を叩かられた。
「君ってば!」
「うわあ!」
あまりにも唐突だったから、自分でも驚くくらいに大きな声が漏れた。
「うお、そんな驚かれるとは思ってなかった。びっくりさせたね、ごめん。」
それは、茶髪の髪をくるくるに巻いた男。
耳にはシルバーのピアスが輝いていて、鼻を抜けるのは香水の香り。
多分、イケメンと言うものに分類される人種だ。
「実は俺美容師なんだけど今、カットモデルを探ししててさ。どうかな、カットモデル。」
「髪を切るって事ですか……?」
「うーん、君の場合は縮毛矯正とかかな。カットモデルって言っても全員が全員髪を切るわけじゃないんだ。」
縮毛矯正って、髪の毛を真っ直ぐにするやつ?
確かに私の髪はくせっ毛だからいつもうねってて、アイロンとかも買ったことないから前髪も曲がってるけど……。
でも、一つだけ気にかかった事がある。
「——それって、私がブサイクだからイメチェンさせたいって事ですか?」
少し冷めた口調で、男を睨みつける。
彼が私に声をかけてくれたのは、哀れみとか同情とかそんな感情からだったに違いない。
でも、私はそんなものいらない。
自分が可愛くないのは、自分が一番良く理解している。
他人に、それもこんな形で言われるなんて屈辱にも程がある!
そう思っていると、男はきょとんとした顔で、さも当たり前だと言うかのようにそれを口にした。
「え?いや、逆だよ。——だって君、可愛いじゃん。」
その言葉が、胸の中にすとんと落ちてくる。
そして、水の波紋が広がっていくみたいに私の心を震わせた。
「かっ、……わ、いい?」
何だそれ、何だそれ、何だそれ!!!
私には似合わない言葉だ。今まで理沙に言われたって、何とも思わなかったのに。
どうせお世辞で、思ってもない言葉のはずなのに。
——どうしてこんなにも、顔が熱いんだろう?
「あれ、聞こえなかった?俺は君の事可愛いって思うよ。」
「やっ、辞めてくださいそんな……お世辞はいらないです!」
「いや、違うってば。うーん、なんて言うのかな……あ、そう!君は宝石の原石なんだよ!」
その表現に、私は思わず顔を上げた。
「原石ってさ、見つかった時は全然輝いてないけど、そこから磨いたり、削ったり叩いたりして光を放つ。君はまさに、磨かれる前の原石!俺は原石のままでも綺麗だなって思うし。」
この人の言葉には、嘘も偽りも裏もなくて、ただ純粋に思った事を口にしているんだ。
それだけなのに、どうしてこんなにもこの人は輝いて見えるんだろう。
今までで一番心に染みる「可愛い」が、凄く嬉しくて……。
「あの、私……もっと可愛くなれます、か?」
「もちろん!俺が魔法かけてあげるよ。」
魔法。そう、彼の言葉はまるで魔法だった。
それから大学終わりに教えて貰った彼の店に足を運んだ。
「……これが、私……?」
髪の毛を真っ直ぐに矯正しただけなのに、鏡に映る自分が自分では無いみたいだった。
「ほら、やっぱり可愛い。」
ストレートになるだけで、髪の毛が輝いて見える。前髪も、いつもよりサラサラだ。
可愛い。可愛い。この人が何回も言ってくれる言葉。
それだけで凄く嬉しい。笑顔がほころぶ。
後で聞いた、彼の名前は心さん。心さんは、凄く優しくて、話も上手で、私の悩みを真剣に聞いてくれた。
「——なるほどねぇ、麻里奈ちゃんの友達が……。」
「は、はい……。やっぱり私なんてあの子の隣には不釣り合いなんじゃないかなって。」
私が相談したのは、理沙の事だった。私よりも優しくて綺麗で、何でもできる理沙。
そんな隣にいるのは、駄目駄目な私。
「このままじゃ、自分が惨めな思いをするだけじゃないのかなって思うんです。」
初めてあったばかりの人なのに、心さんにはすんなりと心を開ける。
これも魔法なのかな、なんて心の中で思ったりして。
「ならさ。麻里奈ちゃんも思いっきり可愛くなっちゃえば?」
えっ、と顔を上げる。そこには柔らかに笑う心さんがいた。
「俺で良ければ、手伝いさせてよ。麻里奈ちゃんが誰よりも可愛くなれるように。」
ああ、胸が高鳴る。この人の言った言葉は、本当に魔性の言葉だ。
だって、こんなにも私の弱い心を変えてくれる。
この人みたいにキラキラ輝いてみたいって、思わせてくれるんだ。
「——私、可愛くなりたいです……!」
こうして、私は変わった。魔法にかかったみたいに。
髪はブリーチしてからミルクベージュに。前髪は今どきのシースルー。前髪無しにも出来るようにツーウェイタイプ。
私はブルベだったから、メイクはピンク系の韓国メイク。カラコンはふちの無い、ちゃるんとしたもの。
洋服は、心さんにインスタで教えて貰ったブランド。
黒のセットアップに、ロングブーツで脚長効果。
「本当に、信じられない……。」
目の前に映る、この美女が私なんて。
平行二重も、艶のある肌も、全部全部私のもの。
「麻里奈ちゃん凄いよ!こんな短期間でこんなに変わるなんて!」
心さんは、お店でもDMでも優しく接してくれた。
私がこんなに変われたのは心さんのお陰だ。
「——ありがとうございます、心さん!」
そうお礼をすると、心さんは私の頭をぽんと叩いてくれた。
「いいんだよ。それに言ったでしょ?麻里奈ちゃんは宝石の原石だって。今は本物の宝石になったんだよ!」
たまに恥ずかしい事を口にする心さんに、私の方が恥ずかしくなる。
でも、そこもまた彼の魅力だ。
私は心さんに出会ってから変われた。
その全てをくれたのは心さん。
私の……私の初めて好きになった人。
初めて会った時はこれがなんて感情なのか分からなかった。
でも、心さんと一緒にいるようになって、これが恋心なんだと気付いた。
私は心さんに初めて会った時からずっと……。
だから、私がもっと沢山可愛くなったら、心さんに伝えようと思っていた。
「心さん、あの……!」
その時だった。
店のベルがカランコロンと鳴る。
「——心?待ち合わせの時間過ぎてるよ?」
聞き覚えのある声。可愛らしい女の子の声。何より私が、憧れて、妬んだ人の声。
くるりと振り返ると、そこに立っていたのは私のよく知る人物だった。
「……り、理沙……?」
そこには、私の親友で完璧美少女の理沙が立っていた。
私の顔を見た理沙は、一瞬驚いた後、すぐに華やかな笑顔を見せる。
「あれ、麻里奈!?一瞬誰だか分からなったよー!」
「り、さ……久しぶり……。」
実は、私は心さんと出会ってからあまり理沙と顔を合わせていなかった。
変わっていく自分を、理沙が受け入れてくれるのか分からなかったから。
でもそんな心配を一瞬で晴らしてくれた。——いや、正確に言うのならそれよりももっと、気にかける事があっただけ。
さっき、理沙は心さんの事を呼び捨てで呼んでいた。
ああ、嫌な予感がする。
そんなの最悪すぎる。だって、こんな事ってある?
私はただ、ただ彼に可愛いって言われたくてここまで努力したのに……なのに……。
恐る恐る、私は理沙に尋ねた。声が震えて上手く喋れない。
「理沙、心さんと知り合い、なの……?」
その問いに、理沙は少し恥ずかしそうに顔を赤らめてから答えた。
「うん、っていうか私達……付き合ってるの。」
頭がぐるぐるする。目眩で視界がぼやける。
何で、何で、何で……?
「理沙と麻里奈ちゃんって知り合いだったんだ!なんか凄い偶然だね!」
「私の方こそ驚いたよ!最近良く、メイクの相談とかしてたけど……まさか麻里奈の為だったんだね!」
二人の声が良く聞こえない。
何で、何で、何で……。
「理沙がメイクとか物知りでほんと助かったよ!」
「それはいいけど……毎日電話してくるのはやめてよ?私だって忙しいんですから!」
「だって俺は、理沙と少しでも長く一緒に居たいから……駄目?」
「もう……仕方ないなあ、心は。」
二人の笑い会う声がどんどん遠のいていく。
何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で。
「……何で?」
そのか細い声に、理沙と心さんは私の方を向く。
駄目だ、だって私……。
「何で理沙なの……?どうして理沙なの?いつも、いつも、いつも!!私はいつだって引き立て役で!どうして私の欲しい物全部理沙が持ってくの!?何で!何でよ!」
「ま、麻里奈……?」
「ずるい、ずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるい!私だって心さんの事こんなに好きなのに!!!!どうして理沙なの!!何で私には何もくれないの!?」
怒りが止まらない。今まで沢山心の中に貯めていたものが、噴火したマグマみたいに流れてくる。身体中の血液が沸騰する。
「私だって、こんなに可愛くなったよ?私、可愛いよね?ね、心さん??私の事、可愛いっていっぱい言ってくれたよね!?」
感情が高鳴って、涙が自然と溢れてくる。泣いたらせっかくのメイクが崩れてしまうのに。
今はそんな事すらどうでもいい。
私の縋るような声に、心さんはゆっくりと息を吐く。
そして、あまりにも残酷すぎる言葉で私の心臓を貫いた。
「……君への可愛いと、理沙への可愛いは別物だよ。理沙は俺にとって特別な存在だから。何より、俺の理沙にそんな事を言う子は好きじゃないよ。」
私の足から力が抜けていく。
崩れ落ちるように地面にお尻を付いた私に、気力は残っていなかった。
「麻里奈ちゃん、友達の事をそんな風に言うんだね。なんか思ってた麻里奈ちゃんと違うや。」
向けられるのは、心さんからの醜いものを見るような目と、理沙の哀れみの瞳。
「……な、んで……。」
こんなに可愛くなったのに。貴方からその言葉が聞きたくて、振り向いて欲しくて、ただそれだけで。
それなのに……。
「ごめん、麻里奈ちゃん。今日はもう帰ってくれるかな?」
この人は、どこまでも冷たく私を突き放す。
まるで、貴方の人差し指に押されただけで地獄に落ちていくみたいに。
私は落ちていく。ひとりぼっちのまま、結局何も掴めずに、落ちていく。
「……わ、たしは……。ただ……。」
ただ、可愛いって言って欲しかった。その一言が私を幸せにしてくれたのに。
なのに、私が欲張ったから。
貴方の隣に居たいと願ったから。
だから……。
ふらりと、私は店の玄関に向かう。ゆらゆら揺らめく私の後ろ姿を見て、理沙は手を伸ばした。
「——麻里奈!」
ああ、憎い。この女が憎い。可愛くて、優しくて、何もかも手に入れたのに、それだけじゃ飽き足らず私の欲しいものも奪ったこの女が憎い。
……何より。
「……もう、近寄らないで」
私は理沙の手を跳ね除けた。
これ以上無いくらいの憎しみを込めた瞳で理沙を睨みつける。
そうだ。何より。
——私の事を大切にしてくれた親友を憎む自分が憎くて仕方ない。
私は店を後にした。
もうこの先、あの店に足を向けることは無いだろう。
そして、もう二度と理沙と笑い合うことも無い。
私は全部を失った。
残ったのは、ただの抜け殻になった自分だけ。
駅で心さんに声をかけられてから全部が変わった。世界がパッと華やいで、輝いて見えた。
でも今は、その全部が眩しすぎて目が眩む。
一人改札を通ろうとする私の後ろから声が聞こえてくる。
「——ねえ君、かわいいね!これから少しお茶とかどう?」
振り返ると、そこには私に笑いかける知らない男。
そう、これは私が望んだ事。
可愛くなって、可愛いって言われたくて。
だから、もういいんだ。何もかも。私は全部無くしたから、だからこれからは……。
「——本当?私、可愛い?」
その一言に溺れて生きていく。
好きになったら全部関係ないじゃん。(短編集) 桜部遥 @ksnami
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