悪食の吸血鬼

風嵐むげん

第一話 憎しみこそが美味

 某国首都。夜でも眠らぬ街には、今日も星の数ほどの人間が行き交っている。

 劇場では大勢の観客たちが歌姫の美しい歌声に聞き惚れる一方、公園ではガラの悪い連中が騒いでいる。メインストリートでは酔っぱらいと警察の乱闘騒ぎが起こり、高級ホテルのラウンジでは若い男女が夜景を眺めている。

 そんな混沌とした街の一角。きらびやかな光が多ければ多いほど、影は深く濃くなっていくもの。

 ここは俗に言う闇カジノ。欲と金が積み重なり、ぐるぐる回るアンダーグラウンド。いつもであれば、オーナーの女が埋もれるほどのコインを前に高笑いしている筈なのだが。

 今夜は違う。オーナーは屈辱に顔面を歪め、悲鳴じみた声で一人のディーラーを糾弾していた。


「あ、あなたねぇ! これは一体どういうことなの!?」


 いつもならば山積みになっている筈のコインは、彼女の周りから綺麗さっぱり片付けられ。代わりに客たちの前で、均等になるよう見事に並べられていた。

 ……これはこれで難しいと思うのですが、相変わらず器用でいらっしゃる。


「どう、とは? ボクはこのカジノの雇われディーラーとして、普通に働いているだけですが」


 手元のカードを切りながら、ディーラーは不思議そうに首を傾げた。さらりと揺れる艷やかな黒髪に、女性客の多くがほうっと溜め息を吐く。

 なんならオーナーさえも、ディーラーの美貌に赤面しているくらいなのだが。そこは流石に歯を食いしばり、怒りの感情をたぎらせている。


「しらばっくれるんじゃないわよ! どうして言われたとおりにしないの!? おかげでこっちは大損じゃない!!」

「はて、言われたとおり……ああ、オーナーの利になるようイカサマをしろと言っていた、あれですか」

「なっ!?」


 ディーラーの暴露に、その場の空気が大きく変わった。客たちも疑っていたのだろう。幾多の冷たい視線が、オーナーに突き刺さる。

 赤から青に変わる顔面。彼女に出資していた者たちは早々に見切りをつけたらしく、そそくさと店から出て行った。


「こ、この……行き倒れの可愛い子犬かと思えば、意地汚いドブネズミだったなんて! 殺してやるわ!!」


 怒りのあまりに、我を無くしたオーナーが拳銃を引き抜けば、客たちが悲鳴を上げながら我先にとカジノから逃げ出した。

 逃げなかったのは一匹の迷いコウモリこと、天井にぶら下がり様子をうかがっていたワタクシ。

 そしてディーラーこと、ワタクシの主だけ。


「アッハハハ! それだけ恨んで頂けて嬉しいです、オーナー。見目のいい子犬を飼いならせて、ご満足いただけました?」

「うるさい、死ね!!」


 躊躇なく絞られる引き金。二人の距離は三歩分も離れていない。普通ならこのまま、心臓を弾丸で貫かれて死ぬだろう。

 でも、残念ながら我が主は普通ではない。弾丸は確かに命中したものの、彼は倒れるどころか、一滴の血を流すことすらなかった。

 口角をつり上げ、ピジョンブラッドの瞳が歓喜にギラつく。


「次は銀の弾丸を装填しておくことをおススメしますよ、オーナー」

「……え」


 そこからは一瞬だった。オーナーの腕を掴み、自分の方に引き寄せ抱き込む主。

 それだけならばドラマのようなワンシーンだが、あんな砂糖のような甘ったるさはない。


「では、味が落ちない内に、いただきます」


 薄い唇から鋭い犬歯が覗き、オーナーの肩に突き立てられる。ほんの数秒の出来事であった。

 床に落ちる拳銃。大量の血を吸われ、顔面だけではなく全身を真っ白になったオーナー。気を失ってぴくぴくと痙攣しているが、生きてはいるらしい。


「ごちそうさま。ありがとう、ボクを恨んでくれて」


 ぽい、と床に放って。主が汚れた唇を舐める。


「おっと、警察が来たね。逃げたお客さんの誰かが通報したのかな」


 逃げましょう。ワタクシが促せば、主が頷き共にその場を後にする。彼の言うとおり、けたたましいサイレント共に警察がやって来るが、カジノに残るのは干からびかけたオーナーだけ。

 人間を惑わし、生き血を啜る美しき夜の怪物。この街に吸血鬼の存在が知れ渡ることになる、きっかけの出来事であった。



 ……と、ここまではとてもスマートでいらっしゃいましたが。


「あー……なんか、凄く胃もたれ。久しぶりだからって、血を飲みすぎたかなぁ」


 カジノから離れたところで、主が困り果てた顔でお腹を擦る。ワタクシは乗せて頂いた肩から見上げ、主の顔色をうかがう。

 個人差はあるとはいえ、主は男性。細身では脆弱性なく、背も高い。先ほどの吸血量は、体格と比較すればむしろ少ないくらいなのですが。

 ……老いのせいで、食が細くなったのでしょうか。


「あ、キミ。今、ジジイになったせいだって思っただろ? 失礼な、ボクはまだ一五〇歳だぞ!」


 ああ、余計なことを考えたせいで拗ねられてしまった。頬を膨らませて不貞腐れる様子は確かに、ワタクシがお仕えし始めた頃となんら変わらない幼さなのですが。

 だとしても、もう無視できる問題ではない。吸血鬼は人間よりも遥かに長命ではあるが、決して老いないわけではない。

 そして、人間や他の動物とは老い方が異なる。吸血鬼の老化は味覚から始まる。本来であれば、穢れを知らない若い人間の血が一番栄養価が高い。しかし老化が進めば進むほど、これを受け付けなくなる。

 吸血鬼特有の、『悪食』と呼ばれる老化現象である。そして主も、すでに悪食が始まっている。

 しかも、主の場合は『自分を恨む』人間の血でなければ受けつけないという、かなり厄介な症状なのだ。


「うえ、でも本当に気持ち悪い……人間だったら、夜中にカップ麺とケーキとフライドチキンを爆食いした感覚に近いかも……水でも買おう」


 主は人気ひとけのない路地裏でしゃがみ込み、カジノから持ち出したアタッシュケースを開ける。

 中には隙間なく敷き詰められた札束。そこから一枚だけを取ってコートの内ポケットに入れ、近くのコンビニで飲料水を買って、歩きながらごくごくと飲んだ。


「ぷは、水美味しい! 生き返ったー!」


 ……吸血鬼としてどうなのか。具合がよくなったのならいいけれど。

 それにしても、その大金は必要なのでしょうか。


「それもそうだねぇ。なんとなく持って来ちゃったけど、豪遊するとしても、こんなにはいらないな」


 納得したのか、主は再びアタッシュケースを開けると札束を二つ取り出して、ポケットにしまう。

 それからケースを持ち上げ、通りに出てからきょろきょろと周りを見回すと、「丁度いい人間発見!」と言って駆け出してしまった。

 落ちないよう、ワタクシは慌ててしがみつきます。


「募金をお願いしまーす! 難病の妻のために、お金が必要なんです!」

「やあ、こんばんは。こんな夜中でも元気だね」


 主が向かったのは、よれよれのスーツ姿で募金箱を待った若い男の元だった。

 麗しい見目の主に、しかも突然声をかけられたからか、男は飛び上がるほどに驚いた。


「うわ⁉ こ、こんばんは」

「募金活動大変だろう? これ、あげるよ。ケースごとどうぞ」

「え、ありがとうございます……そうだ、こちらをお礼に」

「これは……薔薇の花じゃないか」


 手渡された赤い薔薇に、主が首を傾げる。男が困ったように笑う。


「ええ、妻と一緒に近くで花屋をやっているんです。でも、妻が病気になってしまい、今は休業状態なので」

「つまり、残り物ってこと?」

「そ、そう言われると言い返せない……でも! 綺麗に咲いてくれたお花なので、ぜひ貰ってください。あなたはモデルさんですか? お似合いですよ、薔薇の花」


 ……この男、吸血鬼にとって薔薇の花がどれだけ不吉かを知らないのか。


「ふうん……まあ、くれるなら貰っておこうか。じゃあね、奥さん元気になるといいね」

「は、はい。ありがとうございます!」


 大金の代わりに貰った一輪の薔薇を手に、主は立ち去る。男がアタッシュケースの中身に腰を抜かす頃には、主は夜の街に消えていた……。



 と、言うわけではなく。さっさと手近なビジネスホテルで部屋を借りるなり、


「吸血鬼が夜に出歩かず、ぐうたら惰眠を貪ること! これ以上の豪遊はないよね!」


 ベッドに飛び込み、薔薇の花を放り投げ。そのまま、すやすやと穏やかな寝息を立て始めていたのであった。

 



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