第二話 忌々しい薔薇の花
数日後。あれからほとんど部屋から出ずに、ゴロゴロと過ごす主。
これが主なりの豪遊なのかと放っておいたものの、事態はそう暢気なものではなかった。
「うー……なんか身体がだるいなぁ」
やはり、オーナーの血では大して回復しなかったらしい。傍から見ても、栄養価がある血ではなさそうだった。束の間の飢えは癒せても、身体は更なる血を求めるのだ。
これは一度、栄養価の高い血を飲むしかないでしょう。
「ええー? 今更穢れを知らない人間の血なんか、青臭くて飲めたもんじゃないよ」
しかし、そうしなければどんどん衰えてしまいますよ! ワタクシの小言は聞き流され、主は寝転んだままリモコンを操作してテレビを見始めてしまいました。
むう、一度ちゃんとお説教した方がよさそうですね。ワタクシはテレビの主電源を消してやろうかと思いましたが、不意に流れたニュースに目が留まった。
『先日、違法カジノ店のオーナーが極度の失血状態により救急搬送されました。首筋の咬創から、犯人は吸血鬼と断定。すでに我々、『SVEF』が陸海空の交通網に厳しい検問を敷いており、吸血鬼を包囲しております。必ずや聖なる銀の弾丸が、かの怪物を裁いてみせましょう』
防護服を着こんだ女が、激しいフラッシュを浴びながら堂々と宣言していた。SVEF、正式名称を特別吸血鬼殲滅部隊と言って、警察の中でも吸血鬼を専門に扱う組織である。
これが中々に厄介で、吸血鬼を葬るために手段は問わず、高価な銀の弾丸さえも豊富に取り揃えている。
オーナーを生かしたまま置いてきたことが最大の痛手だった。トドメを刺し、骸を燃やし証拠を隠滅すべきだった。
それくらいの時間はあったし、吸血鬼ならばそうする筈だったのに。
「ボクは無意味な殺生を行わない主義なのさ」
これである。主は吸血鬼でありながらも、根が善人なのだ。
カジノで客が均等に儲けられるよう采配したのも、大金を捨てずに募金したのも、そういった善性からの行動である。
この性格が愛らしくもあるのだが、いつか自分の首を絞めるのではないかとワタクシは気が気でなりません。
「あれ、この人どこかで見たような」
ワタクシの心配をよそに、テレビのチャンネルをポチポチと回していた主の手が、別のニュース番組で主の手が止まった。
『先日高額の募金をくださった男性に、心からお礼が言いたいです。あなたのおかげで愛する妻に手術を受けさせることが出来ました。本当にありがとうございます!』
「あ、あの花屋さんだ。奥さん助かったんだって、よかったねぇ」
確かに、テレビ画面の中で記者のインタビューを受けているのは、あの花屋だった。
人命のために大金を与えてくれた美しい男性が居たと、これはこれで話題になっているらしい。
……こんなに悪目立ちして、大丈夫だろうか。
「愛する妻、ねえ……人間って、不思議だね。愛だのなんだの言って、他人に対してあんなにも献身的になれるんだもの。自分を削ってまで他人に尽くすなんて、ボクには理解出来ないなぁ」
チャンネルを放り投げ、代わりに手に取ったのは、あの時にもらった薔薇の花だ。
花瓶にさすことすらせず、ずっとそのまま放置していたものだから、持ち上げただけで花びらがひらひらと落ちてしまった。
「愛も、この薔薇も、吸血鬼にとっては不要なものだ。どうしてか知っているかい?」
主がワタクシを見る。もちろん、存じておりますとも。
吸血鬼は死亡しても、亡骸を残すことはない。魂ごと灰となって崩れ落ち、風にさらわれ消え失せるのみ。
しかし、例外がある。それは、『愛』だ。
愛を知った吸血鬼は灰ではなく、薔薇となる。そして魂は神が回収し、人間と同じ輪廻に加えられるのだそう。
神という存在は、吸血鬼にとって忌むべきもの。よって、主のように愛を嫌悪する吸血鬼は多いし、薔薇は不吉なものとされている。
「お見事、正解だよ。さて、と。薔薇は言うまでもなく、灰になるのも嫌だからね。キミの言うとおり、栄養のある血でも頂きに行こうっかなー」
薔薇の花を置いて、主がベッドから飛び降り立ち上がる。
やる気を出してくれたのはいいが、次の獲物の目星はついているのでしょうか。まさか、闇雲に探すつもりなのでしょうか?
「大丈夫、次の獲物はもう決めたから。ほら、この子だよ」
一体いつの間に決めたのか。主が指をさした先には、テレビ画面。ニュース番組はとっくに終わり、コンサートのコマーシャルが流れていた。
ほんの十数秒の間に流れる、透き通るような歌声。栄養のある血とは言ったが、かと言ってこれは……と、渋る暇もなく。
身支度を整えて、さっさと部屋を出て行く主を、ワタクシは慌てて追いかけるしかなかった。
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