第六話 銀の弾丸
雲が少なく、穏やかな風が吹く夜。休止前最後のコンサートもついに本番を迎えた。これまでの中で一番大きな会場だが、チケットは完売しているとのこと。
今はリハーサルの最中である。これが終わり次第すぐに開場となるので、主たちはもちろん、裏方の人間たちも真剣に進めていた。
ワタクシはいつもどおり、特等席である天井にぶら下がり見守っております。
「いよいよですね、吸血鬼さん! 調子はどうですか?」
落ち着いた頃合いを見計らい、ピアノの前に座る主の元へ歌姫が駆け寄ってきた。今日のドレスは白が貴重で、フリルやレースといった飾りも多いデザインだ。
「んー、それなりって感じかな。ていうか、今日のドレス……なんか、花嫁衣装みたいだね」
「えへへ、似合ってます?」
くるりとその場でターンをする歌姫。皮肉のつもりで言ったのだろうが、やはり彼女には通じなかった。
これみよがしに、主がため息を吐く。
「はあ……悪くはないんじゃない? ボクの趣味じゃないけど」
「ほほう。じゃあ、吸血鬼さんの趣味ってどういう感じですか? 色は何色がお好きですか? 露出は多い方がいいですか? 今後の参考にぜひぜひ教えてください」
目をキラキラと輝かせながら、歌姫が主を質問攻めにしている。一体何の参考にする気なのか。
うんざりしている主を気遣ったのか、スタッフの一人が化粧を直すために、歌姫へ控室に戻るよう促した。
「では吸血鬼さん、今日のコンサートも頑張りましょうね」
はにかむように笑って、彼女は踵を返して舞台袖に向かって歩き出した。主はすぐにはピアノの前から動かず、細かいところを確認するように鍵盤を何度も叩いている。
ああは言ったものの。主にはもう、彼女の歌を邪魔するつもりはなかった。どうやれば、彼女の歌を引き立てられるか、頭の中にあるのはそれだけなのだ。
それが、どういう意味か。ワタクシは考えなかった。考えたくなかった。
歌姫の隣に居ることを選ぶなら、このコンサートが終わり次第、出来るだけ早く血を口にしなければならない。それほどまでに、主の命は危機に瀕している。
主も自覚しているはずだ。大丈夫。危機的状況ではあるが、多少の猶予は残されている。
しかし、時に人間は吸血鬼よりも非情である。
「SVEFだ! 悪しき吸血鬼よ、裁きの弾丸を受けよ!」
突如、開け放たれた出入り口から侵入してきた武装隊員たち。先頭で銃を構えるのは、以前テレビでインタビューに答えていた隊長の女だった。
鋭い眼光には、僅かな躊躇すら存在しない。銃口はすでに獲物を捉えており、隊長の指が引き金を絞った。
完全に後手に回ってしまった。放たれた銀の弾丸は宙を切り裂き、獲物を貫く。ワタクシがあっ、と思った時には、とっくに夥しい量の真紅が散っていた。
本当に、鮮やかな真紅だ。しかし、それは血ではない。
紅い、何よりも紅い、薔薇の花びらだった。
「皆様、驚かせて申し訳ない。だが見てのとおり、それは人間などではない。幻を操り、人間を惑わし生き血を啜る吸血鬼だ」
人が撃たれたというのに、悲鳴すら上がらなかった。無理もない。腹部を撃たれた人物の傷口から溢れるのは血ではなく、花びらなのだから。
それはあまりにも幻想的で、芸術的で。一種の演出なのではないかと、ワタクシでさえ疑ってしまったくらいだ。
隊長の声だけが、場違いなくらいに凛と響く。
「SVEFの権限により、コンサートは中止にさせてもらう。ここに居る全員は精神汚染検査を受けてもらうために病院へ――おいきみ、何をしている!?」
誰もが唖然とする中、一人だけ、真っ先に吸血鬼の元へ駆け寄る者が居た。
「どうして……何、で」
隊長の静止も聞かず、衣装が汚れるのも構わずに。膝をついて、吸血鬼の身体を抱き起こす。
「そ、それに触るな! くそ、やはり汚染者が居たか。お前たち、急いでコンサートの関係者を保護せよ。あのピアニストは私が保護を――」
「……れ」
「なんだと?」
「黙れと言っているのが聞こえないのか!!」
激昂と共に空中で渦を巻き、刃と化した主の魔力が吹雪のようにSVEF隊員たちを襲う。無尽蔵に降り注ぐ刃は隊員たちの装備を切り刻み、隊員たち自身にも傷を与えた。
元来、主はこのような攻撃的な魔術は得意ではない。それでも、かなりの痛手を受けたSVEF隊員たちは一様に恐怖していた。
「なっ、もう一体居ただと!?」
「撤退だ! 武器を破壊された、撤退せよ!!」
「きゃあああ!!」
何人もの悲鳴が重なる。コンサートの関係者どころか、SVEF隊員たちでさえ、我先にと逃げ出した。
あとに残ったのは、二体の吸血鬼だけ。主の腕の中で浅い呼吸を繰り返していた歌姫が、コフッと小さく咳き込んでから自虐的に笑う。
「えへ、えへへ……油断、しちゃった。ううん、違うね。SVEFなんかに遅れをとるくらい、私も弱ってたんだ」
「ああ……そうだね。気を抜き過ぎていたんだよ、キミは」
「ねえ、いつから私も吸血鬼だと気づいていたの?」
声を震わせながら、歌姫が問う。主は口角を上げたが、そこにいつもの余裕はなく、とてもぎこちない。
「そんなの、最初にキミをテレビで見た時から気がついていたよ。キミの歌声には魔力が編み込まれていたからね」
「そっか、悔しいなぁ。人間のフリをして、あなたが私の歌の虜になってくれたら、美味しく頂こうと思ってたのに」
アクアマリンの瞳が深い紅に染まり、笑う口元には鋭い犬歯が覗く。
最初からわかっていたのだ。主は自分の飢えを満たすために、人間ではなく、同じ吸血鬼である彼女を狙った。
彼女は歌声を操り、一度に大勢の人間を魅了することが出来る、かなり能力が高い吸血鬼である。人間よりも栄養価が高いその血を口に出来れば、悪食が多少なりとも回復するのではと、主は考えたのだ。
それは、歌姫も同じだった。
彼女もまた、主の血を求めていた。彼女の悪食は、『自身の歌の虜になった者』の血でないと受け付けないというものだった。
きらびやかなコンサートで人間たちを魅了しながら、水面下では相手を自分好みの獲物にするための攻防。
しかし、二人の間にあったのは争いだけではない。
「ふふ、あははは。私の、負けですね。どうぞ、あなたの飢え満たされるまで、好きなだけ血をあげましょう」
「いらないよ。キミの血なんて、薔薇臭くて飲めたものじゃない」
「ひどいなぁ……そうなったのは、あなたのせいなのに」
歌姫が手を伸ばし、主の頬に振れる。細い指先は甘く、それでいて愛くしむように撫でた。
「あなたと出会った、あの日。なんとなく、こうなることがわかってしまったの。あなたに、恋をしてしまうことを。運命、ですかね?」
「さあね」
「あーあ……もっと、あなたと一緒に居たかったなぁ。この半年間、本当に楽しかった。薔薇になってしまうだなんて屈辱すら、塗り潰されてしまうくらいに」
頬を撫でていた手が、もう片方の手と共に主の胸元に縋り付き、二人は唇を重ねた。
甘い薔薇の香りが、花びらと共に舞い上がる。
「さようなら。私に恋をさせた、ひどいあなた。またいつか、遠い遠い街で会いましょう」
満開の笑顔を添えて、別れを告げる歌姫。次の瞬間、ふわりと巻き起こった風にかき消されるように、彼女は跡形もなく姿を消した。
残されたのは、大量の花びらだけ。
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