第七話 最後のプログラム

「……本当に、勝手なお姫様だよ」


 舞い踊る花びらの中に居る主は、この世に存在するどんな芸術品よりも美しかった。

 幻想的でありながら、退廃的。今にも消えてしまいそうな儚さと同時に、永遠に記憶へ刻み込まれる毒々しさ。

 ああ、そうですか。

 あなたは、もう決めてしまわれたのですね。


「うん。外にはSVEFが居るだろう? 残りの力を振り絞れば逃げられるだろうけど、逃げた先で運良く獲物にありつけるとは思えないし。それに、どうやらボクも手遅れのようだ」


 ワタクシが座席に降りれば、主が力なく笑う。しがないコウモリの身では、彼の決意を変えることなど出来やしないだろう。

 前々からわかっていたとも。きっと、主と別れることになるだろうと。


 ……それがまさか今夜であったとは、思わなかったけれど。


「憎んでもらえなかった、いや、憎まれることに躊躇してしまった時点で、ボクの負けだ。コンサートを台無しにして、彼女の歌を貶めるタイミングはいくらでもあったのに、それが出来なかった。完敗だよ。でもね……彼女が居なくなったあとで、彼女のコンサートを台無しにするほど、ボクは落ちぶれてはいないさ」


 そういうことならば、見届けましょう。お二人の、最後のコンサートを。

 観客がワタクシしか居ないと言うのは、とても寂しいものがありますが。


「ふふん、何を言っているんだい? 客はこの会場内に居ないだけで、外にはいくらでも居るじゃないか」


 一体何を、と聞くだけ野暮だ。主が立ち上がるなり、まるで誰かが隣りに居るかのように、花びらが舞い上がった。


「稀代の歌姫とピアニストが贈る、最後のプログラムを始めよう。人間なんかには勿体ない一曲になることを、約束するよ」


 ワタクシしか居ない客席に一礼してから、主がピアノの前に腰を下ろす。そして指を鍵盤に置いた瞬間、目の前には夢のような世界が広がった。

 花嫁のようなドレスを着て、生き生きとした笑顔で、透き通るような歌声を披露する歌姫。歌声を飾り、何倍にも引き立てるピアノの音色。今までのコンサートの中でも、圧倒的だった。

 当たり前だ。これは、主が見せている幻覚なのだから。逃げ道に背を向け、彼の全てを注ぎ込んだ最高の演奏。

 きっと、外に居る人間たちにも見えているだろう。いや、間違いなく見えている。

 この国で生きる全ての者たちに贈る、最後の一曲。


「あーあ。まさかこのボクが、こんな惨めな最後を遂げることになるとはね」


 いいえ、ワタクシは惨めだなんて思いません。

 あなたは……あなたたちは、誰よりも美しく、尊く気高い方たちでした。


「そう……ま、いいや。それじゃあ、バイバイ」


 最後の演目が終わってしばらく、人間たちは拍手を止められなかった。ある者は喝采し、ある者はその場に崩れ落ち涙を流した。

 この場を作ってくれたスタッフ、銃を携えたSVEFの隊員、ステージの上を志す若者。誰もが一様に感動し、魅了され、二人の名前を深く記憶に刻んだ。

 中には、震える足を叱咤し会場に駆け込んできた人間たちも居た。しかし、そこにはすでに誰も居ない。

 あるのは、マイクとピアノ。そして、ステージ上に散らばる紅い花びらだけ。この夜のことは、人間たちにとってどういうものになったのか。ワタクシにはわからないし、興味もなかった。

 ワタクシは、主の忠実な下僕。花びらを二枚くわえ、窓から外に出る。

 ランドマークタワーのてっぺんまで飛び、空へと花びらを放つ。タイミングを計ったかのように風が力強く吹き、二枚の花びらを乗せて行く。


 遠く遠く、ワタクシでは届かない場所まで行ってらっしゃいませ!


 銀色の満月に照らされる花びらが見えなくなるまで、ワタクシはそこで見送り続けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

悪食の吸血鬼 風嵐むげん @m_kazarashi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ