夜明けと白銀の踊り子

「いやはや、一晩の宿を提供してくれただけでなく、こんな豪華なご馳走まで用意してくださるとは、アリババ殿は心が広い御方だ」


「何の! お客をもてなすのは当たり前ですよ、 アッハッハ!」


 テーブルに乗せられた様々な種類の料理を豪快に食べながらアリババは笑っていた。

 油商人も手と口を休めることなく料理を頬張り、事あるごとにアリババを褒め称えていた。

 レティリエは、大口を開けて食べる男二人とは別にひっそりと小口で細々と食べながらたまに二人の会話に相槌を打ったり、酒を注いだりして晩餐に参加していた。

 油商人を厨舎に近付けないために。


「しかし、二十頭の駱駝を一人で連れて砂漠を超えるとは何とも勇ましいですな」


 頬と鼻頭をほんのり赤くしたアリババが質問した。

 すると、せっせと口に料理を運んでいた油商人は一瞬固まるも、すぐに愛想の良い顔を整える。


「砂漠の旅は慣れていますから、それに、連れてる駱駝達も体力はありますし賢いので、一人で砂漠を渡るのは難しくは無いですよ」


「そうか、しかし砂漠の夜は冷える。駱駝達も油容器を背負いながらの旅だ。もし宿を見つけられなかった場合どうしたんだ? 駱駝は暑さには強いが、寒さには弱い」


「……もちろん、一晩の宿なら決めてましたよ」


 金色の瞳を細め、商人の顔を見る。

 人の良い顔に、厨舎で見た黒い感情の片鱗が浮き沈みを繰り返している。

 早く何とかしなければアリババ様が殺されてしまう。

 レティリエは内心で焦りながらも「さすが商人様、旅の計画に隙がないですわ」と機嫌を取る。


「そういえば、先程からモルジアナを見かけないな」


「モルジアナ様は今、客間の準備をしています」


 それはそれはと商人は満足げに笑う。それに対してアリババはふむ、と顎髭を人差し指の腹で撫で回して怪訝な顔を浮かべた。


「モルジアナはいつも完璧な仕事をする。来客の予定が無くても綺麗にしているはずだが……」


 疑問の声にレティリエは背筋を震わせた。

 不味い、ここで勘付かれてはいけない。

 レティリエは、モルジアナが今何をしているのか知っている。


 二人で見つけた容器にはたんまりと入った油があった。油商人であることを証明するため用意したであろう油を、逆に利用しようとモルジアナが提案した。おそらく今、熱々に熱された油を抱えてモルジアナは一つまた一つと盗賊が入った容器に油を注いでいる頃だろう。

 

 レティリエは、盗賊の仲間である商人を近付けないために食卓を共にし食事をしつつ商人を見張っていた。

 けれど、ここでアリババが勘付いてしまうと計画が全て台無しになってしまう。

 アリババに話すのもあったかもしれない、けれど、レティリエにはどうしてもそれが出来なかった。

 マダムの屋敷での生活が、アリババという人物をどうしても歪ませる。話す機会こそあったが、この話しをした時信じてくれるかも分からない。


 レティリエは小さく喉を鳴らした。


「ん? どうしたんだいレティリエさん」


「い、いえ、別に……」


 顔に出たのか、頭を覆う布を引っ張って隠した。


 そんなレティリエの態度を見て、どういう訳かアリババは席から立ち上がった。


「レティリエさん、そういえば頼みたい事があるんだ、ちょっと付いてきてくれないか」


「! ……はい」


 すぐ戻ってくる、と言ってアリババが席から離れ、レティリエも低くお辞儀をしながらアリババの背を追った。


「あの、アリババ様、ご用事とは」


 高級そうな絨毯から滑らかな石の床へと足を移し尋ねる。

 廊下を渡り階段を上り二階に付いた頃、黙っていたアリババは、はあっと息を吐いて振り返った。


「レティリエさん、踊ってくれないかい」


「……はい?」


 素っ頓狂な声が上ずる。


「踊りだよ踊り! 今日は満月が綺麗だろう、そこにレティリエさんみたいな美人が踊ってくれたらあの商人もすげー満足すると思うんだ。本当はモルに頼みたいが今忙しいみたいだしな。それで、頼めるかい」


 「えっと……」


 踊ったことはある。村でお祭りがあった時。けれどそれは小さい頃で子供が大人を見て真似るごっこ遊びのようなもの、とても踊りとは言えない。

 しかし、これは絶好のチャンスでもある。このまま踊って商人の気を引けばモルジアナの手助けになる。


 けど、


「その、自信がありません」


 二人の晩酌に付き添うことの方が遥かに上手くいく、パーティーで会得した接待の技術の方が自信があるし、確実だ。

 わざわざ踊る必要なんてない。

 首をふるふると振って静かに断る。


「そうか……」


 話しは終わった、急いで戻り酒を注がなければ。


「レティリエさん!」


「きゃっ……」


 振り返ろうとした刹那、アリババの手が両肩にずしりとのしかかった。

 同時に、視界に一筋の光が通って視線の先に黒い執事が現れる。

 刺すような冷気と嫌に鼻につく香水の香り、後ろに見える扉の中で、男の舐めるような視線と美術品でも眺めるような女の恍惚とした表情が垣間見える。


『せいぜいその身を使って男を悦ばせるんだな』


 嫌だ、


 助けて、グレイル。


「あんたなら踊れる 俺は信じる!」


 存在を掠め取られ嘲笑する渦に呑み込まれそうになった時、どこからか眩しい太陽が照りつけ黒い渦を焼き尽くした。

 太陽の元には、光を運んだ化身が人の形になり手を伸ばす。

 暖かく、優しい光。


「グレイル……」


「レティリエさん、大丈夫か?」


「……ええっ」


 化身はアリババの後ろ、砂漠を走り去っていった。知らせるように、見守るように、それは道筋を残して去っていく。


「とにかく、俺はあんたが踊れると信じてる。技術とか経験とかじゃない、熱い情熱を見せてくれるって確信してる、だから踊ってくれ」


「……ふっ、分かりましたわ」


「おおっー! ありがとうレティリエさん、早速音楽隊に準備させるからレティリエさんは衣装に着替えてくれ、あっと、俺が案内しないとな」


 子供のようにはしゃぐアリババは、貴族という人間には見えなかった。



 □■□■□■


「お待たせしました商人殿」


「戻られましたか、おや? あの綺麗なお嬢さんは?」


「少し経てば戻ってきます、さあさあ食べて飲んでくださいな」


「お気持ちは嬉しいのですがそろそろ休もうと思います。これ以上は明日にも障りそうですからな」


「そうですか……おっ、来たみたいだ」


 アリババが視線を向けると商人も釣られるようにしてそちらを向く。

 そこにいたのは、キラキラと輝く布と装飾を纏ったレティリエ。月を思わせる瞳は何となしに恥じらいを覗かせている。着ている服は先程の服が全身の肌を隠すのに対して白い瑞々しい肌を露出させていた。特に露出が激しかったのはお腹と足で、お腹はへそから胸元近くまでの肌が晒されている。

 足は前に大きく踏み出すと太腿近くまで空気に晒され、艷やかで一種の装飾のような端正な美脚が現れる。

 深い青の衣装は彼女の銀髪を覆い、夜の女神が降臨なされたような錯覚を思わせた。


「レティリエさん見違えたよ、とても美しい」


「ありがとうございます、アリババ様」


 商人にも会釈して挨拶するが、レティリエの美貌に目を奪われたのか微動だにしない。


「商人殿! さあ宴会ですぞ! 彼女の踊りを見てくださいな!」


「そ、そうだな、あ、いやそうですな……」


 フカフカの背もたれに深く沈み込む商人。レティリエは成功を祈りつつ指定された舞台に上る。

 左右後ろと見かけない形状の笛や弦楽器を構い出すのを見て、レティリエはそっと両の手を月夜に伸ばす。


 ああ神様、どうかお助けください。


 そっと瞼を下ろし、その時を待った。


 熱砂の風を震わす太鼓の音、つま先で静かに円を描く。

 朝日が昇ったことを喜ぶような笛の音に大地が脈動するような力強い弦の音、太陽を崇める風を意識してステップを踏む。そこに、人々の息遣いを思わせるようなもう一つの笛の音が重なり、導くようにメロディが刻まれる。

 それは、誘うような惑わすような蜃気楼。灼熱の砂漠で色んな音が入り混じり、それがさも一つの生命のように奏でられる。舞、踊り、飛ぶ。全てを表現するようにレティリエは踊る。

 この土地の過酷さと、ここに暮らす人の心を思いながら、大人から子供、全てを見渡すように念じて足を素早く入れ替える。音はより激しくなり、幻想の太陽はより強く輝く、手を上げ願う。砂の海で生きる人々を、慈悲を懇願するように空を拝んでは風となって流れていく、生きる者全てを撫でるように舞う。


 夜が訪れる。去りゆく太陽を見送るようにレティリエはそっと手を伸ばし目を見開いた。


「…………素晴らしい」


 パチパチパチ、それはどこからか、アリババからだ。


「素晴らしい踊りだった! レティリエさん!」


「え、えっとその、ありがとう……ございます」


 上下する胸に伝う汗、一体どんな踊りをしたのだろう、ただ一生懸命踊っていたことだけが記憶として残っていた。

 

「素晴らしい、素晴らしいぞ!」


 レティリエの踊りを見ていた商人がレティリエに迫る。


「最高だった、素晴らしい舞だった。ここまで心惹かれたことはない! この美貌、この踊り、間違いなく金になる!」


「商人様?」


 レティリエは不穏を感じて後退るが、迫った手に手首を掴まれてしまう。


「商人殿乱暴は止めてください」


「誰が商人だって? 俺だよアリババ」


 商人が帽子を掴み捨てると、アリババはその顔を凝視した。


「お前は盗賊の頭!?」


「ヒャハッハッハ! 寝込みを襲撃してやるつもりだったが良いものが手に入った。こいつを使えば取られた財宝なんてあっという間に戻ってくる!」


「や、やめてッ!」


「レティリエさんを離せッ!」


 アリババは腰にあった護身用らしき短剣を盗賊に向ける、しかし、盗賊はそれがどうしたというように余裕な笑みを見せた。


「はん、所詮はただの泥棒、俺と戦って勝てると思ってるのか?」


「……確かに、勝てないな」


 アリババは、途端に構えるのを止め、どうしてかそれを盗賊の足元に投げ捨てた。


「アリババ様ッ!?」


「ヒャハッハッハ! おいお嬢さん、あんた見捨てられたみたいだぜ。おいアリババ、良い心掛けだ、ついでに盗んだ財宝も返してもらうおうか」


「返してやるよ、


「あん?」


「ふんっ!」


「ぐぎゃ!?」


 短剣を拾おうとして床に手を伸ばしていた盗賊が悲鳴と共に倒れ伏せ、その拍子に腕から逃れる。


「レティ、大丈夫だった!?」


「モルッ!!」


 目の前にはモルジアナがいてレティリエは勢い良くモルジアナの胸に飛び込み泣き始めた。


「よしよし、怖かったね、ここまでありがとう」


「うっう……モルが一瞬遅ければ、私」


「大丈夫だったよ、アリババ様が助けてくれたから」


「えっ?」


 濡れた目元を指で拭いながら見ると、アリババは先程投げ捨てた短剣を拾い、得意そうに手の中で回した。


「アッハッハ。モルがタイミング良く戻ってきてくれたから安心して演技に集中出来たよ。何せでっかい壺を持って来るんだ、どう誘導すれば良いか迷ったよ」


 そう言われて盗賊を見ると、辺りには欠片が散乱していた。短剣を投げ捨てたのは屈ませるためだったのだと気付いて、アリババがどれほど必死だったのかが伝わった。

 アリババが豪快に笑い終えると、でもと付け足す。


「一番はレティリエさんのおかげだな」


「気付いてらしたんですか」


「まあな、モルと仲良さそうだったし、そんなモルが帰ってこない事に心配する素振りもないから何かあると思ってな」


 まあ客人を驚かせるサプライズだと思ってたけど、と言って気絶している盗賊を見下ろしていた。


「では、私に踊りを要求したのは?」


「時間稼ぎかな。たらふく食べたら休むと思っていたからな、けど、驚かされたのは俺だった訳だ!」


 素晴らしい踊りだったと言ってまた笑う。本当に貴族らしくない。


「さて、後の事は任せてレティは休んで……」


「レティッ!」


 一陣の黒い風がアリババ達とレティリエの間を通った。風が止むと全身を覆う暖かさと愛しい声が掛けられる。


「レティ、やっと見つけた」


「グレイルッ……」


 愛しい人に抱きしめられ、頭を思わず厚い胸板に押し付ける。優しい心臓の音。



「ヒホホッ! ほらなオレチャンが言ったとおりだったろう」


 空から聞こえる何かに振り向くと、二人の間を覗き込むカボチャの頭が見えた。


「きゃっ!?」


「レティリエ大丈夫だ、こいつが俺をここまで導いてくれたんだ」


「……カボチャなの?」


「何だカボチャが道案内しちゃ駄目かリエチーよ」


 リエチー? それは私のことだろうか。

 小首を傾げているといつの間にやらアリババとモルジアナが近付いていた。


「良かったねレティ、大好きな人に会えて」


「アッハッハ、これは熱砂にも負けない熱さだな!」


 各々が優しくレティリエに声かける。それを見ていたグレイルはレティリエの友人だと知って眼を優しく和らげる。


「二人共、レティリエを守ってくれてありがとう」


 打ち解けた雰囲気が漂う。その中を、おいと生意気な少年のように声を掛ける者がいた。


「そろそろグレグレとリエチーは元の場所に帰ってもらうぜ」


「でも、帰り道が……」


「本のタイトル、覚えてるか? それを言えばおかしいぐらい直ぐに帰れるぜ、ヒホッ!」


 本のタイトル? とお互いに首を傾げると、あっ、と示し合わせたように声を重ねて「あれね」「あれだ」と言う。


「どうやらお別れみたいだな、終始不安にさせちまった悪かったな、今度はぱあっと宴会するからまた来てくれ」


「レティ、短い間だったけど仲良くなれて良かった」



「二人共、ありがとうございます、少しだけ……少しだけ人間が好きになれた。心の底からありがとう」


 熱い拍手と優しいハグを済ませると、二人はそっと呟いた。


「「白銀の狼」」


 どこからか風が舞い込み本のページのようなものを運んで二人を包み始める。不思議と怖くはない。


「……あら、グレイル」


「どうした、レティ?」


「ふふっ、口にお菓子が付いてる」


「えっ」


 とっさに拭おうとするグレイルをレティリエは止め、屈むように言うとグレイルはレティリエと視線が合う位置に合わせた。


「グレイルっ……」


 薄桜色の唇が二度口付けをし、二人のキスが菓子により甘い味と風味が増す。


 三度目の口付けは、パタリと本に仕舞われた。


 

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