第3話 揃いの法被で「くらやみ祭り」の氏子衆
国立府中インターを降りると、もうそこは甲州街道で、途中の三差路から右へ入ると間もなく、3月からスミレが借りている2階建ての黄色いアパートが見えて来る。
若い女子の独居の第一条件はセキュリティにあると主張して譲らないかあさんは、京王線沿線をエリアとする不動産会社が推薦する府中駅前のワンルームマンションを「だれと乗り合わせるか知れないエレベーターこそ危険の極致ですよ!」として断乎(笑)却下し、大家さんの屋敷つづきにあるオートロック付きのアパートを選んだ。
いざ住んでみると、都会の大家さんは店子の暮らしにはまったく興味も関心もないようで、往時の武蔵野の名残を感じさせる丈高い防風林に囲まれた広い百姓家は、目の和みにはなるものの、母が期待する役目は、まったく果たさなかったのだが……。
*
平安の昔、現世の宿縁を断って髪をおろすとき、幼い東宮を想って惑乱した藤壺、引き離される愛息を守ろうと平民の係官に取りすがったマリー・アントワネット……文学や歴史に名を残す東西の母親たちの「子ゆえの闇」に見るように、親を思う子の心の何倍、何十倍も深いのが、一途に子どもの幸せを願う母の心なのかもしれない。
付け加えれば、「パンがなければお菓子を食べればいいじゃないの」という王妃の有名な台詞は、事あれかしを喜ぶ民衆に迎合して偽りの記事をでっち上げた
夫のあとを継いで事業を営んで来たスミレの母も、同業者の謀略によって某紙に「盛った」記事を書かれ、世間から大バッシングを受けて心を病んだ時期があった。
騙し討ち同然のやり口が無力な一般市民に対し如何にモラルハザードであったか、のちに、担当記者からとつぜん送られて来た分厚い詫び状が如実に物語っているし、本来は陽気な母が湿っぽい性格になったのも、その一件の後遺症かもしれなかった。
こうした前提のうえで昨今の新聞やテレビ報道を眺め渡しても、洋の東西、時代の新旧を問わず、マスコミの迎合体質はまったく変わっていないように見受けられる。その残念な事実こそ、文系のスミレに将来の志望圏外と決意させている由縁だった。
*
窓外の歩道を、揃いの法被を着た男たちが、三三五五、談笑しながら歩いている。
――そう言えば、今日は5月5日だったよね。
連休に安曇野に帰省した娘を武蔵野まで送って来た母が、思い出したように呟く。
かつては夜中に行われたという大國魂神社名物「くらやみ祭り」の最終日に当たるらしいが、メインの神輿渡御も済んだのか、さほど混雑していないのがありがたい。
困ったときだけ神さまに縋りついている(笑)母親には申し訳ないが、片側4車線の国道を隔てた大國魂神社にわざわざ出向くのはなんとも億劫で、まだ一度もお詣りしていないし、畏れ多いことに今後もその機会は訪れないだろうとも思っている。💦
*
われながら変わり身が速いというか順応性があるというか(笑)、窓から夕方の街を眺めながら、スミレは早くも安曇野より武蔵野に親しみを感じている自分を知った。
母親もうすうす承知しているようだが、大学を卒業しても故郷にもどる気はない。
幼な心に忍従の思い出しかない安曇野は、自分の身を置く地では断じてなかった。
――でも……かあさんを置き去りにすることになるんだよね。(ノД`)・゜・。
夜は通行量が激減する真っ暗な山中の高速道路をノンストップで運転して、だれもいない家にひとりで帰って行く母親を思うと、やはり鼻腔がむっと熱を持って来る。
――元祖神さまでいらっしゃる
どうか、かあさんをお守りくださいませ。
運転席の母親に悟られないよう、宵闇が迫る大國魂神社の方角に濡れた目を向けたスミレは、あの地で生涯を全うすることになる人にせめて穏やかな歳月をと祈った。
【完】
安曇野から武蔵野へ 🚙 上月くるを @kurutan
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