後編

 気がつくとおれはひとり、草むらに立っていた。

「いつの間にバスを降りたんだ……それにここは……」

 そこはちょっとした丘になっていて、一面に生えた背の低い草が風にゆれている。なだらかな斜面を下った先に外周を石壁で囲った町が見えた。

 本当にファンタジー世界に来たのだろうか、いまひとつ実感がわかない。バスが谷に落ちたあたりから記憶がはっきりとしない。ここが異世界であるという決定的な証拠がほしいところだ。

 とりあえず町に行ってみようと考えていると、後ろのほうからガサガサと草むらが不自然にゆれる音が聞こえた。ふりかえってみると、音のぬしは青色の丸くてプルプルとしたRPGのお約束だった。

「スライムだ! やったー! おまえに会いたかったんだ!」

 うれしさのあまり、おれはスライムに抱きつこうと飛びかかった。けっこうでかくて抱き心地がよさそうだ、やられ役だし危険はないだろう、持って帰って抱き枕にしよう、などと考えていたが、すぐにそんな幻想はあっさり崩れ去った。もうすこしで抱きつけそうというところで、スライムの拳──のように形が変化したもの──がおれの右頬にクリーンヒットしたのだ。おれは仰向けで草むらに倒れこんだ。

 青空を見上げながら感じるこの痛み……本物だ、夢や幻なんかじゃない。本当に来たんだ、異世界ファンタジーの世界に。喜びが込み上げてきて思わず叫び声をあげた。

「うおおおおおおお!」

 それと同時に怒りも込み上げてきた。雑魚キャラと思っていたスライムに殴り飛ばされるなんて。体を起こしてそばに落ちていた木の棒を拾い、スライムに殴りかかろうと突進した。

「くらえ!」

 振りおろされた木の棒はスライムの体に命中するが、柔らかボディにはまったく効いていないようだった。スライムの拳がおれの左頬に炸裂した。

「なかなかやるな……ならばこれはどうだ? くらえ! ファイアー!」

 おれは指を一杯に広げた右手をスライムにかざし、叫んだ。

「…………」

「…………」

 これといってなにも起こらず、両者のあいだに気まずい沈黙が流れた。

「ま、まあこのくらいにしておいてやるか。今日はいろいろあって疲れてるしな」

 おれは慈悲の心をもってあわれなスライムを見逃してやることにした。おれが町を目指して歩き出しても、スライムはいっこうに追いかけてこない。どうやらこちらからちょっかいをかけなければ無害なようだ。殴られ損ということか。

 丘を下って石壁に囲われた町にたどり着く。入口のところでは検問が行われていたが、あっさりと通ることができた。着の身着のままでやってきたおれは短剣の一本も持っておらず、危険人物ではないと判断されたのだろう。

 大きな門をくぐり抜けると、王道のRPGでよく見る中世ヨーロッパ風の街並みがひろがっていた。道路は石畳になっていてきちんと整備されているし、馬車と歩行者の道が分けられている。清潔感があって治安のよさそうな町で、行き交う人たちはいきいきとしていた。

 おれの第二の人生をはじめるにふさわしい町ではないか。おれは腕を組みながらうなずいた。

 さて、まずは冒険者ギルドを探すことからはじめるか。近くを通りかかった人に道を教えてもらうが、言葉が通じることに疑問を抱いてはいけない。教えてもらった道を進み、ギルドにたどり着いた。扉を開けて中に入る。

 ギルド内はふつうの役所と変わらないつくりをしていた。ほとんど人はいなかったが、どうしたものかと突っ立っていると、こちらへどうぞと窓口のお姉さんが声をかけてきた。かなりの美人だ。幸先のいい出会いに胸がおどった。

「どのようなご用件で?」

「信じてもらえないかもしれないけど、実はおれ、ついさっき異世界からやってきたばかりなんですよ」

 おれはドヤ顔で話しかけた。

「はあ……それで、ご用件は?」

 お姉さんは紙とペンを用意しながら小さなため息を一つついただけで、おれの衝撃的な話にはまるで動じていなかった。きっと驚くだろうと思っていたのに予想外の反応が返ってきた。その冷静な態度に圧倒されて今度はまじめに答えた。

「あの……冒険者になりたくて」

「冒険者志望ですか。武器は扱えますか?」

「今は使えません」

 おれは正直に答えた。

「それでは魔法は?」

「今は使えません」

 お姉さんはペンを走らせながら質問を続ける。

「他になにか特技のようなものはありますか? 戦闘や冒険の役に立つものは」

「ゴミ拾いとかのボランティア活動ですかね。あと募金も得意ですけど」

「はあ……」

 さっきよりも大きなため息をついて言った。

「では難民申請でよろしいですね」

「え? 難民?」

 おれは声を大にして聞き返した。難民だって? わざわざ異世界まで来たってのにどうして難民にならなくちゃいけないんだ。

「あなたを冒険者として認めるわけにはいきません。なんの適性もない者を無駄死にさせたとあってはギルドの責任を問われることになりますので」

「だからって難民というのは……」

「どうせ仕事も住居もないのでしょう? これからどうするつもりですか? あなたの力では町を出れば一晩と待たずに獣のエサですよ」

 正論ではあるが一言多いお姉さんの言葉にさすがにムカッときて、おれはついつい大きな口を叩いてしまう。

「おれだって自分の身くらい自分で守れるさ!」

「武器も魔法も使えないのに?」

「やろうと思えばできるはずだ!」

「………………」

 お姉さんはうつむいて黙り込んだ。すこしは言い過ぎたことを反省したのかと思ったが、大きな間違いだった。

「……ふふ……あはははは!」

 お姉さんは急に笑いだした。黙り込んだのは笑いをこらえていたのか。

「そんなに笑うことはないだろう!」

「だって……ふふふ……」

 お姉さんが頬をちょいちょいと指さしたので自分の頬を触ってみると、指に青いゼリー状のものがついた。スライムに殴られたときに付着していたんだ。おれはあわてて手の甲でぬぐった。

「スライムにひっぱたかれるようでは、なにを言っても説得力がありませんよ。武器でも魔法でも、なにかしらを扱えるようになってから偉そうな口を叩いてくださいね」

 なにも言い返せないおれはくちびるを噛みしめることしかできなかった。

「ご理解いただいたところで、どうされますか? 難民申請をするか、自力で生きていくか」

 金も家も職もない。頼れる家族も友人もいない。俺に残された道は一つしかないというわけか……。

「…………難民申請でお願いします……」

「ではこちらの書類に氏名を記入して拇印を押すだけで完了です」

 こうなることがわかっていてあらかじめ準備しておいたのか。ずいぶんと手際がいいところをみると、おれの他にも同じ境遇の人たちが来たのだろう。

「はい、結構です。しばらくは指定の共同住宅をお使いください。もとはギルド職員寮でしたが、いまは異世界転生難民のために貸し出されています。食事もでますよ。収入ができ次第、家賃、食費、光熱費が徴収されますので、はやくお仕事を見つけてがんばってくださいね」

 にこやかに説明を続けてはいるが、腹の内ではおれをあざ笑っているのだろう。

「あとのことは係員に従ってください。それでは、楽しい異世界生活を」

 笑顔で手を振る女を見ながら、心の底からこの最悪な出会いをうらめしく思った。

 担当の職員に案内されてギルドに隣接する寮についた。まっすぐな通路の両側にドアが規則的に並んでいて大学時代の学生寮を思い出す。指示された部屋のドアを開けてなかに入った。

 部屋に入って正面に窓があり、両側には二段ベッドが一個ずつ置かれている。四人部屋にしてはすこし窮屈そうだ。

 ベッドには寝っ転がっている先客が二人いて、おれに気がついておりてきた。ひとりは明るく人なつっこい感じの男で、もうひとりは気弱でおどおどした男だった。明るそうな男が片手をあげて声をかけてきた。

「やあ、きみも異世界から来たのかい?」

「ああ」

「やっぱりか。それでこわーいお姉さんに言い負かされたんだろう?」

「……まあ、そうだけど」

「おれたちもそうさ。異世界転生難民のよしみだ、仲良くしようや」

 明るい男が手を差し出してきたので、おれもそれにこたえて手を伸ばした。

「よ、よろしくお願いします」

 気弱な男とも握手を交わす。

「おれたちは異世界転生難民って呼ばれてるのか?」

 おれがたずねると明るい男が答えた。

「そうみたいだね。けっこうたくさん来てるらしいよ。この部屋も昨日までは満員だったんだけど、今朝二人出て行った。住み込みの働き先がみつかったって。聞いた話だけど、以前は異世界からやってきた人たちがホームレス化して治安が悪化した。だからこうして難民として受け入れる制度が整ったってわけだ」

「なるほどな」

 スムーズにことが運んだのは、やはりそういうことだったか。

「みんな難民になってるのか? ちょっとくらい成功した人がいてもおかしくはないと思うが」

「いいや、少なくともおれは聞いたことないね。おれたちはこの世界では無力な存在だ。小さいころから剣や魔法の修業をしてきたわけでもないし、貴族の生まれでもない。無駄に歳を食っただけのこども同然さ」

 明るい男はあきらめたように肩をすくめた。

「いや、おれたちには現代科学の知識があるじゃないか!」

 まだ希望を捨てるには早すぎる。おれは反論した。

「それじゃあ、きみは具体的になにをつくることができる?」

「えっと……そういわれると困るな」

「そうだろう? 人類は文明を築いた。おれたちではない、だれか優秀な科学者たちが……」

「それに……」

 いままで黙っていた気弱な男が口を開いた。

「この世界、かなり進んでいますよ。ほら」

 そう言って壁のスイッチのようなものに手を触れると、部屋が明るくなった。

「照明がついた……電気があるのか?」

 おれは驚きを隠せなかった。とても電気が発明されているほどの技術レベルには見えなかったのだが。

「いえ、これは電気ではなくて魔法で動いているようです。魔法の力で電気、ガス、上下水道が一般家庭にまで完備されているみたいですよ」

 手詰まりだった。社会制度もライフラインも整ったこの町で、おれの些末な知識などなんの役に立つ。自分の無力さを痛いほどに感じ、がっくりと肩を落とした。

「そう気を落とすなって。この町はなかなかいいところだぜ」

 明るい男はそう言っておれの肩をポンっとたたいた。



 おれがこの世界にやってきてから三日がたった。おれたち三人は道路工事の現場でつるはしを振っていた。

「なんでこんなことをしてるんだろうな、おれ。古代の奴隷労働者にでもなった気分だよ……」

 独り言をつぶやくと、隣にいた明るい男が声をかけてきた。

「そう言うなって。公共事業だからまっとうな職場だぜ?」

 気弱な男も作業しながら言った。

「そうですよ、ちゃんと休暇もあって給料もわるくないですし」

「たしかにそのとおりなんだが……」

 おれが言いたいのはそういうことじゃないんだ。生前、文字どおり命をかけて善行を積み、輝ける未来を夢見てやってきた。それがどうだ、どうして異世界まで来て肉体労働なんかしなくちゃいけない? 情けは人のためならず、よい行いをすればめぐりめぐって自分にもいいことが起こるんじゃなかったのか? おれの苦労はいったいなんのために、だれのために……。

「こんなことなら……異世界転生なんて……するんじゃなかったあああああ!」

 おれの悲痛な叫びはこの世界に響き渡ることはなく、つるはしの音にむなしくかき消された。

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冒険者志望、特技ボランティア 椎菜田くと @takuto417

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