冒険者志望、特技ボランティア
椎菜田くと
前編
「よっしゃー! ついに……ついにそろったぞー!」
おれは周囲の人に変な目で見られるのを気にも留めずに、数枚の紙をかかげながら高らかに叫んだ。
長かった……必要書類の申請をしてから早一ヶ月、ようやくすべての書類が揃い、念願が叶うときがきた! 思えばこのひと月のあいだ、池のほとりに座ってそこに浮かぶ蓮の葉を眺めながら、まだかまだかと待ち焦がれる日々が延々と続いていた。しかし、この紙っぺらがそんな怠惰の日々に終止符を打ってくれるのだ!
感傷に浸っている場合ではなかった。おれは涙ぐんだ目を手の甲でこすりながら目的地へ足を進めた。一面に花畑がひろがり、オアシスのような蓮池がひっそりとたたずむ夢のようなこの地に、あきらかに異質な建造物が静寂を破ってそびえたっている。その建物にはこう書かれていた。
──あの世市役所蓮の池支部。
おれはかろやかな足取りで自動ドアをくぐり抜け、大勢の人でごった返す市役所のなかに入った。どっちを向いてもお年寄りばかりで、おれと同年代の若者はずいぶんと少ないようだ。少子高齢化の進んだこの時代、あの世に来るのがお年寄りだらけになるのは当たり前のことか。
ずらーっと一列に並んだ窓口、それに向かい合って置かれた待合席。この世の役所とたいした違いはないようだ。人がみんな死んでいることを除けば、だが。ここにいる人たちはほとんどが天国に行くか、新しい命として現世に生まれかわるかを選ぶことになる。地獄に落ちるような連中はこことは違うところへ連れていかれるから、ここに極悪人はいないらしい。
さて、おれのお目当ての窓口はここにはない。階段をあがって目的の階にたどり着く。混雑していた一階と比べると、このフロアはずいぶん空いている。ここの窓口はちょっと特殊な申請をするところで、だれでもできるというわけではないからだろう。
整理券を受け取ってイスに座る。人が少ないからすぐに呼ばれるだろうが、いままで散々待たされたことを思えば何時間待たされようが苦にはならない。一ヶ月も待たされることになったのはこいつが発行されるのに特に時間がかかったからだ。手に持っていた紙束の一番上に置かれたものを見つめた。生前善行証明書と印字されている。
生前のおれはあるうわさを信じてひたすらボランティア活動に励んでいた。そのうわさとは、生きているあいだに善行を積むと異世界に転生できる、というものだ。情けは人のためならずということだろう。だれが言いはじめたのか、どんな証拠があるのか、なにもかもが怪しいうわさだったが、つまらない人生を送るくらいなら、と思い切って信じることにした。
できることはなんでもやった。ゴミが落ちていれば拾い、迷子のこどもや困っているお年寄りを見つけては手を差し伸べ、災害があれば被災地へ飛んでいき、募金箱があればお金を入れる──しかも一円玉や十円玉ではない、百円玉をだ! そして寝る間も惜しんでバイトとボランティア活動を続けたすえに、働きすぎで過労死したのだ。
しかし、一切の後悔はないぞ! おそらくおれの死に顔は、それはそれは晴れやかなものだったに違いない。なぜならいま、こうして異世界転生を目前にしているからだ。あとは申請書や証明書を提出するだけで、夢にまで見た異世界での輝けるセカンドライフがやってくるのだ!
いったいどんな人生が待っているのだろうか。まずは冒険者になることからはじまり、美少女との出会い、旅の仲間たち、手に汗にぎる大冒険。ときにはモンスターと死闘を繰り広げ、ときには恋物語にうつつを抜かし、そしてしあわせな家庭を築きあげる。なんてすばらしい一生なんだ。
妄想に没頭していたところにアナウンスが入ったため、おれの意識は現実に引き戻された。手に握りしめていた整理券を確認する。おれの番がきた。ついつい早足になって呼ばれた窓口に向かった。
「異世界への転生をご希望ですね。必要書類を提出してください」
窓口の職員に言われたとおりに持っていた書類の束を渡した。書類の内容を確認しはじめた職員は疲れた顔をした中年の男だった。きっと、毎日まいにちこの場所で同じような仕事をこなし、定時になったら帰るという日々を繰り返しているのだろう。劇的な出来事など起こらずに退屈な人生を送って生涯を終える……そんなのおれには耐えられない。などと失礼なことを考えていると、黙々と作業していた職員の男が顔をあげて口を開いた。
「転生の際に記憶を引き継ぐか、まっさらな状態で生まれるかを選べますが……」
「もちろん今の記憶を持ったままで!」
職員が言い終えるまえに食い気味に答えた。
「そうなりますと、亡くなる直前の年齢や身体能力のままになりますがよろしいですか?」
年齢は問題ないだろう、まだ二十代だし。しかし亡くなる直前というと……まさか過労死しかけてるんじゃないだろうな。
「それって過労死寸前ってことでは?」
「いえ、身体はベストな健康状態になります」
「じゃあそれで」
職員は返事をしてパソコンに入力していく。
「では、転生先はどのような世界になさいますか?」
「もちろん剣と魔法の王道ファンタジー世界で!」
おれは即答した。
「王道ファンタジー……っと。書類に不備はありませんでしたので、これで申請は完了です。許可証の発行まで少々お待ちください」
さっきまで座っていた席にもどってから数分で呼ばれ、また窓口に行って許可証を受け取った。
「そちらの許可証は専用の送迎バスの乗車チケットにもなっています。バスは市役所前の駐車場に停まっていますので、そちらにお乗りください。許可証の再発行はできませんので、なくさないようにご注意ください」
職員の男は説明を終えて、それではお気をつけてと言った。
受け取ったものをポケットにしまいながら窓口をあとにする。ここに来た時と同じ道をもどって外に出た。
駐車場には数台のバスが停まっている。きっと大型のバスだろうと行き先を確認するがどれも違う。路線バスもチェックするが見つからない。窓口のおっさんの勘違いだろうかと考えていると、駐車場の隅にある異質な物体が目にはいったので、念のため確認してみることにした。
正面から近づいてみると、それはイヌのようなデザインのバスだった。フロントガラスの上には耳がついていて、下には鼻や口が描かれている。まさかな……コレなわけがないよな……と恐るおそるバスの行き先を見ると、ファンタジー世界行きと書かれてあった。……まあ、バスの見た目でおれの第二の人生が変わるわけでもあるまいし、気にしないことにしよう。
運転席のそばの開いたままの乗車口から乗り込み、運転手にチケットを渡した。
「このチケットのバスはこれであってます?」
「ええ、そうですよ」
運転手はチケットを受け取って笑顔で答え、早口で話しはじめた。
「いやー、やっぱり驚きますよね、これ。みなさん半信半疑で乗ってこられるんですよ。なにせこの見た目ですからねえ。よく同じような質問をされるんです。よくといってもそんなに頻繁にあるわけじゃないんですけどね。異世界転生される方はそもそも多くないですから」
「そ、そうですか……」
運転手はさらにまくし立ててくる。
「でもわたしは気に入ってるんですよ。なんだかファンタジーっぽくないですか? 見た目でわかりやすいようにしたんじゃないかなーなんて思ったりもしますけどね、本当はこのバス、使われなくなった幼稚園バスを安く買い取ったものなんですよ。もともとは車体に蓮の池幼稚園なんて書かれてあったんですけどね、さすがにそれは消されましたね。でも顔と尻尾は残っててなかなかかわいらしいでしょう?」
「はあ……あの……」
マシンガントークは終わらない。
「心配はいりませんよ。もとは幼稚園バスですけどね、ちゃんと改修されてますから。座席は大人が座れるようになってますし、もう何度も無事にお客さんを運んでます。大型の高速バスにでも乗った気持ちで安心してくださいよ。さあ、そんなところに突っ立ってないで、どうぞお好きな席に座ってください」
「…………はい」
もう怒る気力もなく、余計なことを言ってまたしゃべりだしたら面倒なので、さっさと席に着くことにする。こども二人分を無理につなげて一つにした座席は、あいだがへこんでいて座り心地が悪かった。
「それでは発車いたしますので、シートベルトをご着用ください」
扉が閉まり、バスが動きはじめた。
シートベルトをしようとするが、こども用につくられているのか位置が低くて長さも足りなかった。まあいい、事故なんか起こらないだろうし、どうせ死んでるんだから問題ない。きっと今までの利用者も運転手の無駄話がいやで指摘しなかったのだろうな。
バスは花畑の中の舗装された道を進んでいく。窓から外を眺めると一面に花々が咲きほこっていて、心をいやされるようだ。このまま穏やかな旅路が続くのだろうなと思っていると、バスは横道にそれて森のほうへ突き進んでいく。
「ここから少々揺れますので、ご注意ください」
運転手のアナウンスが入ったとたんにバスは激しく揺れはじめた。森の中の舗装されていない悪路に突入したようだ。車体が上下に激しくバウンドし、バラバラに分解してしまうのではと思うほどだ。シートベルトをしていないおれの体もいっしょに飛び跳ね、頭を天井にぶつけたり腰をうったりと悲惨なことになっていた。
「こんなひどい道を通らないとだめなんですか? もっとましな道は?」
車内はひどく騒々しくなっていたため、騒音にかき消されないように大声で運転手に問いかけた。
「ありますけど」
「は?」
「ふつうの道もありますけど」
おれは自分の耳を疑った。それならなんでこんな悪路をわざわざ通らなくちゃならないんだ。まともな道が通行止めとか、こっちが近道だとかそんなところだろうか。
「だってこのほうがアトラクションみたいで楽しいでしょう」
「は?」
楽しいだって? やはりおれの耳がおかしくなってしまったようだ。
「今日はお客さんの人生の門出なわけでしょう? それをのんびりとしたドライブで済ませてしまうなんてもったいないですよ。人生山あり谷あり、ちょっと刺激が強いくらいでちょうどいいと思いませんか? しかも剣と魔法の世界に行こうとしてるんだから、劇的に送り出してあげないといけないはずです。お客さんがこの先どんな大冒険をされるのかわかりませんけどね、なにごともはじまりが肝心っていうでしょ? 最高のスタートダッシュを決めていきましょうよ!」
揺れに耐えるのが精一杯で早口の無駄話なんか聞いていられない。たぶんちゃんと聞いても理解できるものでもないだろう。そして運転手を止めたくても止められない。いま口を開くと大変なことになってしまいそうだ。こうなったら到着するまでこらえるしかない。おれは座席にしがみつきながらエチケット袋をさがした。
「さあさあ、一番の山場が来ますよ! 準備はいいですね?」
まだこれ以上のものがあるというのか。やっとの思いで前方を見てみると先がひらけていた。いや、というより道がなかった。バスは橋のかかっていない谷に向かって一直線に進んでいる。
山じゃなくて谷じゃないか、という心の中のツッコミは運転手に届くはずもない。もうダメだ、おれの第二の人生は始まる前に終わりを告げようとしている……。
「飛びますよー!」
運転手が叫ぶと、バスは谷底へまっすぐに落ちていった。
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