第26話 怨念の決着

 六浦路の工事で張り切り過ぎたためか、六月下旬、泰時は高熱を発し寝込んだ。

 死にゆくおとこと生きようとあがく漢が、せめぎ合い高熱という発露を見出したのか。

 枯れ枝がポキリと折れるように、死にたいと思うものだが、なかなかそうはいかない。

 屋敷に陰陽師が寄り集まって、泰山府君祭たいざんふくんさいを執り行い、病の快癒を祈った。

 翌日には、時氏が残した男子が二人、孫の経時つねとき時頼ときよりが、泰時の病平癒を願って鶴岡八幡宮でお百度ひゃくどを踏んでくれたと聞いた。

 まだ年若い二人がどんな気持ちで百度詣をしたのか、斎戒沐浴して身形を整え鶴岡八幡宮の階段を昇ったのだ。

 二人の後ろ姿を追えば、嫌でも左手の銀杏の木が目に入る。根元には、黒の衣冠束帯姿の遺骸が転がっている。三代将軍源実朝みなもとのさねともだ。兄である二代将軍頼家よりいえの倅である公暁くぎょうに首を持ち去られ、無残な姿だ。あれは何時だったか、承久の乱が始まる前だったと思い出す。

 視線を元に戻せば、はや二人の孫は本殿の奥に姿を消していた。

 嫡男時氏が残した大事な孫だ。

 なかなか優秀だと祖父の目は曇っていないつもりだ。

 後に、泰時の執権職を襲う第四代執権と第五代執権の二人だ。

 腹の底から温かいものが身体中に拡がって、目の奥から外に出ようとする。

 呑気に寝てなどいられない。


 ペタペタと前かがみの小さな音が近づいて来る。

 少し滑ってみたりもする。

「と、とと、おっき」

 やがて、喃語が意味をなしたばかりの音声とともに、上掛けの端を叩く小さな温もりを感じだ。

 ああ、公坊か。

 なんの気なしに、生まれた最後の息子だ。

 まるで孫のような側室が生んだひ孫のような息子公義きみよしだ。

 家族運のない泰時だが、それなりに側室もおり、姫も生まれた。

 柔らかい赤子を抱いた時、男児誕生とは違う無上の喜びを感じた。


 その後、回復した泰時は、揉め事があれば、『御成敗式目』に則り仲裁に力を尽くした。

『御成敗式目』は絶対で、例え、哀れと思える状況があろうとも涙をのんで、成敗に情けはかけなかった。


 月が欠けるのは驚かないが、太陽が欠けると、こやぁ大変だということになる。

 昼日中、日輪が欠け鎌倉中が影の中に沈むと鎌倉湾までざわめく。

 海が赤く染まり、青く光り、魚の死体が打ち寄せられる。

 水平線の彼方に心を飛ばし、海の底を伺った。

 全ての乱れを鎮めるために、僧は誦経し、陰陽師は御幣を振るった。

 泰時は先頭に立って、鎌倉の平安をはかった。


 一年後、仁治三年(一二四二)四月、病にたおれた泰時は、いよいよだなと自覚した。五月には出家し、上聖房観阿じょうしょうぼうかんあと号した。

 それから一月後の六月十五日、息を引き取った。

 治療も祈祷も祈願も朝露と消えた。


 そもそも六月は、泰時にとって特別に縁起の悪い月だ。

 食料不足や疫病などで死亡率の高い月とはいえ、次男時貞を初めに、嫡男時氏は二年後の六月十八日に先立たれている。訳は違うが同じ日に息子を次々に亡くし、如何にも家族運に恵まれていない泰時だ。

 二十一年前の六月十五日は、幕府軍を率いて入京した日でもあった。

 承久の乱は、天皇に弓引いた泰時の悔恨の出来事だった。


 吾妻鏡は、将軍の年代記体裁をとっている。

 治承四年(一一八〇)四月九日、東国の武士に以仁王もちひとおう令旨りょうじが出されたと始まる。平氏を討つため挙兵を促す内容だ。

 そして、文永三年(一二六六)七月二十日、第六代将軍宗尊親王むねたかしんのうが鎌倉を追われ京都に戻った記述で終わる。

 果たして、各年代を貫いて記述を司る部門が制定されていたのか。そのような記述には出会っていない。

 思うに、将軍ごとに編纂人が定められていたようだ。

 各将軍の末期の記述が欠けている。

 初めも大事だが、終わりは更に大事と思われるが、如何か。

 ことほどに、吾妻鏡は、抜けが多い。落丁もあるだろうが、もともと書かれていなかった様子もある。

 将軍並びに執権が亡くなると、それまでの体制は停止し、新たに動き出すのに時が必要だったのだろう。

 だからか、わざとか、その当たりの記事がない。

 泰時は六十歳で没するが、その年仁治三年(一二四二)の吾妻鏡は、すっぽりと抜け落ちている。

 さしたる問題があったとう側聞はないのに、泰時の死の前後が吾妻鏡にないのは納得がいかないのだが、それは誰かの思惑ではなく、やはり組織の乱れによるものか。

 死を覚悟した泰時は、五月に出家、因縁の六月十五日歿した。


 当然のように承久の乱で、配流した後鳥羽院の怨霊云々と取り沙汰された。


 この年正月、数々の競争相手を振り切り後嵯峨天皇が即位した。

 この推戴は、泰時の生涯で唯一ともいえるごり押しであった。

 なぜか、敵対する天皇候補が、後鳥羽院の血流だったからだ。

 死しても後鳥羽院の恨みが消えぬように、勝者である泰時の後鳥羽院嫌いも消えなかった。




 疲れ果てた泰時に、流行り病に名をかりた後鳥羽院の怨霊が頑張った。


 紅蓮の炎を背負った怨霊が、彼岸へ逃れようとする泰時を執拗に苛んだ。




 完

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吾妻鏡欄外 それからの鎌倉 千聚 @1000hakurin

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