第25話 因縁の六浦路

 屋敷を出た駒は、もちろん常歩だ。

 馬上の北条泰時の表情も何時もと同じだ。

 工事の進捗状況を検分に、六浦路むつらみちに向かうのだ。

 和歌江島は、無事完成したが、それで増え続ける物資輸送の問題が解決した訳ではない。海が荒れると和歌江島は役立たずになる。係留が困難となった船は、鎌倉湾の沖に停められる。ごった返す鎌倉湾に嵐が吹き荒れれば、立派な貿易船が沈没船と名を変え、由比ヶ浜に吹き寄せられた時は、木っ端と化している。

 鎌倉幕府は、もっと安定した湊が必要だった。少し離れているが、江戸湾に面した六浦湊は、天然の良港だった。陸路にて朝比奈の切通を経て六浦路を通り、鎌倉への物資輸送が行われるようになるのは、当然のことだった。しかし、鐙摺あぶずりの名がある通り、馬のあぶみが擦れてしまうほど路は狭く悪路だった。

 その昔、源頼朝が浮気相手に会うため通った路だが、悪路に嫌気がさし、もっと鎌倉中に近いところに女人を移したことが妻政子に知れ、騒動を起こした因縁の路だ。

 今更ながら、この悪路を流通の捗る道路にと工事遂行が決まった。幕府の会議で正式に決定されたのだ。

 仁治元年(一二四〇)暮れのことだった。

 相変わらず、日取りが悪いの何だのかんだのと騒ぎに騒ぎ、やっと工事着工したのは翌年の春。

 満を持して始まったが、大がかりな土木工事であったので、工事は遅々として進まない。


 常歩で始まった泰時の駒音は、工事の現場に着く頃は、多少の苛立ちを響かせていた。

 道路に蹲るように、仕事をする男たちは、通り過ぎるであろう駒音に顔を上げ、道脇に逃れた。その数はおよそ半数。あとの半数は、すでに道脇に腰を据え休んでいた。さぼっていたともいえる。

 路から顔を覗かせる石榑を掘り出している道路工夫は二種類の者がいた。

 有償の雇われか、近隣の村々から召し出された無償の男たちだ。お前たちも使う道路だと奉仕を強いられていたのだ。

 あまりの難仕事に不満を募らせているのを責めるのは酷というものだ。

 通り過ぎるはずの駒音が止った。

 身形の良い侍が馬から降り立ち、辺りを見回す。

 叱られるのかと首を竦める工夫たちの頭上を過ぎた視線が大きな石榑の上で止まった。

 執権さまだと小声が走る。

 泰時は、自ら馬を操り土石の運搬を始めたのだ。

 工夫たちは、慌てて立ち上がり石榑を掘り出す。


 噂は、易々と六浦路を乗り越え飛び出した。


 こりゃまずい。

 拙者も某も、わしもわれも、おれもおいらも、多くの者が工事現場に駆けつけた。

 難仕事は、捗り、六浦路は体裁が整った。

 六浦湊は異国情緒さながら繁栄した。


 六浦むつらの歴史は、古い。

 昔むかし皇族の門跡寺院領であったようだし、源頼朝の父である源義朝が恩賞として与えたなどという文献もある。

 東の端の小さな島国のそのまた文明の遅れていた東国の半島の付け根の小さな湊だ。

 しかし鎌倉に武家の支配する幕府が開かれると、やがて日宋貿易が盛んになった。大陸は近く、欲しいものは沢山あった。九州を初めとする西国に比べれば、遠く離れた鎌倉ではあるが、海は目の前で、海はひたすら繋がっているのだ。

 六浦の湊では、洟垂れ小僧も海の向こうを知っていた。今さらおこがましいが、物の売り買いは、遠い場所からの物ほど利益があがる。命をかけて危険を冒して荒波を渡るのはなぜか、儲かるからだ。

 このころ日本の通貨は宋銭だった。日本に限らず、アジア全域で中国銭が使われていた。手間暇かけて、貨幣を作るより、簡単に手に入り、皆が使ってくれる宋銭が便利だった。

 日宋貿易の利益の大きさを南宋の役人が書き残している。

 当時、日宋の物価差は十倍もあったとある。物価の差に加えて、度量衡どりょうこうの違いも著しいのだ。同じ合や升という単位を使っていても実質容量が違っていた。

 だから、だから、日本人も宋人も誰もが、何でも、日本へ運んだ。

 東シナ海や玄界灘に面した地域には及ばないものの、小さな山の向こうには鎌倉幕府が控えている。六浦湊が栄えるのは、自然の理だった。

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