第24話 お泰の出自

 嘉平は、老武士深沢の話が今迷っている内訳話と重なっていることに気付いている。

 伊豆の伸びやかな自然の中で、若き主従の穏やか日々を飾った女子がいる。

 庄屋の娘で、お泰の母親だ。お泰の泰は、泰時の泰だ。

 お泰のために、いってしまおうか。いやいや、お泰のために黙っておこう。今を時めく執権どのの娘と名乗り出ても、幸せになれるとは限らない。

 丸太屋に到着したお泰に、問うてみた。いずれは、執権どのにお目通りを願いますかと。

 お泰はゆるゆると首を振り、このままで良いのです。鎌倉に来たのは、里の家には居づらいだろうと思ったから、丸太屋さまが招いて下さると聞いたから、と口元寂しく語った。

 丸太屋の使用人として生きて行くのが、幸せか。

 嘉平も確たる信念はないが、共に幸ある日々を探してやれば良いかと思った。

 今は愛娘の教育係が是非とも欲しい。友にもなる年頃の女子を傍に置いたが、二人を指導する大人の女子も必要だ。母親の代わりとも思ったが、いやいや、お師匠さんだ、先生と呼ぶ人の方が、万事上手く運ぶだろう。

 俺がお泰先生の生まれを知っているのだから、それでいいだろう。焦らずに、みんなが成長するのを待てば良い。

 お泰さえその気なら、後妻に迎えても良いと思う様になったのは、何時頃からか、出会って直ぐだったようにも、随分経ってからのようにも思える。


「そりゃあ、鎌倉からも富士山は見えます。それがしが生まれたのは梶原かじわらの山ん中で、倒れるように背中を反らし、裏山を見上げて大きくなりました。幼い身には、えらく高い山だと思ったものです。それでも己の足で、見上げていた山に登れるようになるとちょいとした岡だと気づきました。頂上まで登らぬうちに木々の隙間から富士のお山を見ることができましてなぁ。雪帽子を被った山は、ああ、ほんに美しいなぁと子供心に感激したものです。

 もちろん、北条の郷から見上げる富士のお山は、更に更に大きくて大きくて美しくて、ぼーっと見上げておりました」

 富士のお山が大好きな老武士の言葉は続く。とつとつと何の憂いもない。

 権力の座に居続ける男の傍に仕え続け、もう向こう岸が見える老いの入り口に座っている。


 嘉平は、かんばせ全体で微か笑み、物思いに沈んでいる。初老の武家の声は、寝入り端の子守歌のように耳に留まらない。

「狩野川の河原を富士山に向かって、何度も歩きました‥‥‥‥‥‥」


 ふと見れば、老侍がじっと嘉平の顔を見つめている。

「あっ、失礼を致しました」

 慌ただしく、膝前に両手を揃えた。


 嘉平は、老武士を今小路の端まで見送った。

 人柱の話など忘れたように富士山の話に終始した侍は、何の土産もないままに暮れてゆく八幡宮の杜を目指してゆるゆると歩み去る。

 トンビが二羽、羽を広げたまま西に東に大回りを繰り返し、好々爺の後を追っていく。

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