第23話 丸太屋の秘庭

 丸太屋嘉平は、鎌倉幕府を向こうに回し、財を成した豪儀の者だ。

 今更、怖いものなどない。銭金に変えられない娘を生き延びさせるためなら、己の命とて惜しくないと気負うっていた。

 大きな自信を隠し小さな笑顔を俯けた嘉平は、武家を店奥に誘った。

 上半身をいささか前に押し出した男は、中庭に顔を向け「ほぉ」と小さく声をもらした。

 野趣に富んだ顔で贅沢を隠した中庭は、目の利く者には見せたくないが、此度は仕方ない。

 庭の植栽の向こうの座敷から、女子が二人現れた。

 緑の隙間から、娘の着物の優しい色味がちらちらする。

「さあ、お嬢さま。荷造りの検めを致しましょう」

「それは、おやすに任せるわ。海岸の方にも行ってみたい」

「とんでもございません。知り人に見咎められれば何と致します」

「大丈夫よ。みな、みおは死んだと思っているわ」

「なりませぬ、かじが死ぬ思いで、置石の石蔵さん目がけて海に潜ったのですよ」

「分かっているわ、舵には感謝している。でも、ここを離れれば、当分戻って来られないのですもの。海くらい見たって‥‥‥」

「いえ、いえ、いけません。ささ、明日の朝早く旅立つのですよ。我儘はなりませぬ」


 嘉平は部屋の中に客の武家を招き、上座に誘うと下座に着き両手を付いた。

「二人は、伊豆は北条の郷へ逃れまする。どうぞお見逃しを」

 二人の後ろ姿をじっと見送っていた武家は、やがて嘉平に問う。

「あの者らは、何か罪を犯したのか」

「いえ、いいえ、罪など少しもございません」

「うん、ならば自由ぞ」

「ありがたき幸せ。この丸太屋嘉平、今後も北条執権さまのため、骨身を惜しまず働かせていただきます」

「うむ、その心意気見事。きっと主に伝えよう。ところで、北条の郷に存じ寄りがいるのか」

「はい、娘とおりました女人は、北条の郷の生まれにて、心配はございません」

「そうか、それは安心じゃ。わしも、その昔‥‥‥、若かりし頃、北条の郷に長く滞在したことがあった。富士のお山を見上げ、狩野川に遊んだ。若さまとご一緒で‥‥‥ うん楽しかった」

 武家の話を聞き流しながら、嘉平は、お泰の出自を語ってしまおうかと迷っている。

 お泰は、瑞々しい嫁ぎ時に一度嫁ぎ、間もなく死に別れた。実家に戻らず、嫁ぎ先の家から直接この鎌倉にやって来た。幸か不幸か子は無かった。

 丸太屋に勤める女衆おなごしだが、嘉平の宝、澪の教育係でもある。北条の郷の庄屋の生まれだから、和歌もたしなむし、礼法も心得ている。仮名文字も美しく、真名も読める。

「殿さまが、二代将軍さまに諫言なさってな。そう、頼家さまが政務を顧みず、側近と共に蹴鞠に淫していました。黙っていられなくなった殿が、お諫めしたのだ。当然、将軍さまは面白くない。剣呑な空気に周りの者が、事が大きくなるのを危惧し、泰時さまにしばしの伊豆行きを進言した。逃げるようで面白くなかったが、今思い出せば穏やかな良き日々であった‥‥‥」

 昔話に老武士深沢は楽しそうだ。話が尽きない。


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