第8話

 それから暫くの間、普通の日常が私の周りを流れて行った。


 教室で授業を受け、放課後の部活で気持ちのいい汗を流す。琴音や香菜と笑い合って、休日には、二人とお出かけもした。


 夢を見なくなった。そのおかげで、夜ぐっすりと眠る事が出来るようになった。朝、いつもの時間より早く起きる事が、よくあった。


 そういう時は、決まって二度寝をした。


「あそこ行こうよ。あの、海沿いに新しく出来たところ!」

「良いね~、賛成! 千鶴は?」

「うん、行こう」


 土曜日の午前練習が終わり、校門をくぐりながら、琴音と香菜が明日のお出かけの予定を立てている。


「あ、そういやさ、千鶴」


 琴音がいたずらっぽく言う。


「あの、夢の人、どうなったの?」


 私の心臓がドクンと跳ねた。


「あ! 聞きたい、聞きたい!」


 香菜も琴音に続く。私は笑った顔を作りながら、言った。


「分かんない。最近、夢見ないんだ~私」


 えー、という二人の落胆の声が重なる。


「夢の中の彼氏に逃げられちゃったの~?」


 琴音がさっきの調子で言う。


「そういうのじゃないって」


 私は笑いながら言う。


 そう、そういうのじゃない。


「まぁ、人生において、失恋の一つや二つもあるでしょう!」


 琴音が元気よく言い、香菜が続く。


「千鶴、明日、髪切りに行こっか?」

「要らないって~」


 三人で笑う。その後、香菜が言った。


「でも、何処行っちゃったんだろうね、その人」




「ホント、何処行っちゃったんだろ」


 私は病室にいて、彼のベットを見下ろしながら、そう呟いた。


 彼のベットに、シーツは掛かっていない。音を立てていた心拍を計る機械も、もうそこにはない。


 彼の隣のベットには、知らないおじいちゃんが居て、その人は今、見舞いに来てくれたお孫さんと遊んでいる。


「何で、何も言わず居なくなっちゃうかな……」


 私は、色々なものを零さないよう、ベットから視線を上げ、少し上を向いた。病室の窓から見える空は、少しだけ雲が多かった。


「あの……?」


 後ろから声がした。私はこっそりと目元を拭い、振り返る。


 看護婦さんがいた。


「貴方は……?」

「良いんです。ごめんなさい、迷惑でしたよね」


 私は制服のポケットに両手を突っ込んで、看護婦さんの横を通り過ぎた。


「貴方、もしかして夢子さん?」


 すれ違いざま、看護婦さんが言った。


「え?」



 

 私は階段を二段飛ばしで駆け下りて、病院のエントランスを抜ける。入口のドアを開 き、右へ曲がって裏庭を目指した。


「さっき、男の人に言われたんですよ。もし、この部屋に女の子が居たら、この病院の中庭まで来るように言ってくれないかって。きっと寂しい思いを差せただろうから、ごめんね、とも言ってましたね」


 看護婦さんは、さっきそう言った。そしてこう続けた。


「その子の名前は、夢子さん、だと」


 土の上をザクザクと音を立てて、私は走る。空はいつの間にか晴れ渡っている。


 足が痛い。土が柔らかすぎて走りにくい。


 でも、足を止めたくなかった。


 少し前に、見覚えのある姿が見えた。


 松葉杖をついていた。


 彼は私の足音を聞き、二本の杖を使って、器用に私の方へ振り返る。


「やぁ」


 太陽の光に照らされ、いつもの調子で言った彼の目は、開いていた。


 だから、私も返す。


「おはよう」と。

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