第7話

 気づけば土砂降りになっていた町の中を、私は歩いて家まで帰った。玄関の扉を引き、私は中に入る。


「……ただいま」


 水を吸って、重くなった靴を脱ぎ捨てながら、私は言った。


「お帰り……ってアンタ、ずぶ濡れじゃない!」


 母が言い、洗面台の方へ駆けて行った。少しして、バスタオルを持って、玄関まで戻って来る。


「も~、学生服までビショビショにして! 傘は? 持っていかなかったの?」

「……忘れた」

「天気予報のお兄さん、降るって言ってたじゃないの! あ、そうだ。学校どうすんの?」

「……行かない。今日休む」

「休むって、もう!」


 母は私の髪を拭き終わると、リビングに向かった。電話機のボタンが押される音が鳴る。どうやら、学校へ連絡を入れてくれるようだ。


 私はリビングを横切って、自分の部屋へ続く階段を上る。


「……はい。すみません急に、ちょっと体調が悪いみたいで……、はい。あ、ちょっと!」


母が電話機の通話口を左手で塞ぎながら、私の背中に叫んだ。


「朝ご飯は!?」


私はついカッとなってしまう。


「いらない!」


 そんな自分が恥ずかしくなって、私は階段を駆け上がった。自分の部屋に入り、一番上の学生服を脱いでベットに倒れ込む。


「……眠らなきゃ」


 そう呟いた私の声は、枕に沈んでいく。


 彼は居ないのに、今眠ったって、彼に会えるわけでも無いのに。


 私はただ、眠ろうとする。


 そんな私をあざ笑うかのように、近くの踏切が鳴った。ゴトゴトと音を立てて走って行く電車の音がうるさい。


 眠らなきゃ。


 土砂降りの雨が、家の壁や屋根を引っ切り無しに叩いている。ガラスに雨粒が当たるポツポツと言う音がうるさい。


 眠らなきゃ


 下の階で、母と健太が話す声がした。今日、健太の小学校は創立記念日だっけ?


 眠らなきゃ


 階段から、ドタドタと音が聞こえる。健太が上がってくる音がうるさい。


 うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。


「……ッ!」


 健太が私の部屋のドアを開け、元気な声で叫んだ。


「ねーちゃーん! どうし――」

「うるッさい!」


 私は枕を掴んで、それを声がした方へ放り投げた。枕は健太の顔に直撃し、一瞬の間があった後、健太は大声で泣き出してしまう。


 鳴き声を聞いた母が飛んで来て、健太を抱きかかえた。健太をあやしながら、母は私に怒鳴る。


「アンタ! 何てことするの!」

「いやっ……ちがっ……」

「学校にも行かないで、何を怒ってるのよ!?」


 打ち明けてしまおうか、と私は思う。


 夢で出会った男の人が死にそうなんだ、と?


「……分かんないよ」


 私は、色々なものを押し殺して言った。


「何?」

「どうせ分ッかんないよ!」


 私は母を押しのけて、階段を下る。母の制止も聞かず、靴下のまま土砂降りの街へ飛び出した。


 すれ違ったスーツ姿のサラリーマンや、幼稚園へ子供を送っていく母親の視線が私に向けられたが、私は気にせず走り続ける。


 そうすれば、何も考えずに済むから。


 そうしないと、耐えられそうに無いから。


 靴下で走っていた私はバランスを崩し、雨で濡れる地面に額を打った。


 手を付いて、身を起こす。


 地面に張った水に、うっすらと雲が映り込んでいた。


 ついに私は耐えられなくなって、土砂降りの中で泣き出してしまう。目が腫れるほど泣き、喉が枯れる程叫んだ。


 やがて、雨雲で暗くなった街に街灯が灯り始める。その明かりが、私の周りを明るく照らした。


 泣き腫らした私は立ち上がって、街灯を見上げる。


「何やってるんだろう、私」

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