最終話
私達は結局舞台の前で写真を撮ることは出来なかった。人混みをかき分けて無理やりとることは出来たと思うけれど、私達は舞台のダイジェスト映像を楽しんでいる人たちの邪魔は出来なかった。写真を撮るだけだったら舞台が終わった後に着替えて撮ればいいだけだし、急ぐ必要もないと思うのだ。
二日目の午後の公演時間が刻一刻と近付いてきているのだけれど、不思議と今までのような緊張もなく、いたって冷静な状態の私がいた。私と信寛君がいつもの立ち位置に着くと朋花ちゃんのナレーションが始まる。幕が上がると同時に今までと何一つ変わらない光景が私の目の前に広がっていく。そう思ってはいたのだけれど、今日はやたらと観客席がキラキラと輝いて見えた。今までは観客席を見る余裕なんて無かったのだけれど、こうしてみるとみんなの顔がはっきりと見えるのだ。ほとんど知らない人ではあったけれど、中には何人か知っている顔もチラホラ見えていた。私は手を振る余裕はあったのだけれど、今はそんな事をせずに信寛君の演技に注目しよう。
信寛君が舞台中央に立って自分の紹介と私の紹介をしてくれるのだが、私は自分のキャラクターがどんな人なのか全然掴んでいないのだ。信寛君の説明を聞いて初めて知るようなこともあったし、私はこの役の全然乗り気ではなかったという事を改めて思い出させられた。
途中で何度か朋花ちゃんのナレーションが入って、そのナレーションを合図に私達の後ろを色々な人達が歩いているのだけれど、さっきまでとは違って信寛君がそれを面白おかしくいじっている。こうしてみると、真剣な顔で愛を伝えてくれる信寛君も好きだけど、こうして楽しそうにみんなをいじっている信寛君の事も好きだ。
今回は私と信寛君が卒業前最後の公演という事もあって、他の芝居で登場したキャラクター達が何人もナレーションによって呼び出されていた。残念なことにというか当然ではあるのだが、私が良く演じていた通行人の影の役は呼ばれることは無かった。私がやっていた役だし、他の人がやるようなものでもなかったのだけれど、なぜか通行人の影もナレーションによって呼び出されて私の後ろにぺったりと張り付いてきた。
「さっきまでの泉と何か違うように見えるけど、何かいいことあったのかな?」
「あれ、愛莉ちゃんも舞台に立ってくれたんだ」
「そうだよ。この役だったら泉にも出来てるんだし、私なら余裕だろうって思ってたんだけどね、影の役なのに結構緊張するもんだね。でもさ、舞台から見える観客席ってのも、意外と悪くないもんだね」
「そうなんだよ。それと、いいことがあったかは帰ってから教えるね」
その後も次々と登場するこの舞台には相応しくないキャラクター達ではあったが、その一人一人に対しても信寛君は感謝の言葉を述べていた。
私は忘れてしまっているようなキャラクターでさえも信寛君はちゃんと覚えていたようで、その一人一人と固い握手をしたところで前半は終わった。
残る後半は信寛君が私に向かっていかに愛しているのかという事を伝えるシーンである。コミカルな感じは一切なく、これから約十分近く私は信寛君の愛の告白を受け続けるのだ。とてもではないが、今の状態では私は自分の感情を抑えることなんて出来ないだろう。気持ちでは抑えることが出来たとしても、絶対に表情に出てしまうはずだ。
それはそれでいいのかもしれないけれど、私の役柄的にはそんな表情は相応しくないはずなのだ。これからの十分間は私の中でニヤニヤしてはいけない時間が始まってしまう。きっと耐えることは出来ないと思ってはいたけれど、絶対に信寛君の最高の芝居の邪魔はしてはいけないと気を引き締めるのだ。
信寛君の立ち位置が変わり、いよいよこの舞台のクライマックスである王子による王女のための愛の告白が始まるのだ。
「姫、私はあなたの事が大好きなのです」
信寛君のセリフを聞いた私はニヤニヤすることもなく、信寛君の両手をしっかりと握っていた。そして、私は今にも顔が付きそうな位置で真っすぐに信寛君の顔を見つめていた。
信寛君はいつもの私のように顔を真っ赤にして困っているようだが、私は自分の感情を抑えることが出来なかった。
「私も、あなたの事が大好きです」
自分でもびっくりするような声が出たのだけれど、信寛君が驚いているのは声の大きさだけではなく、私がみんなの見ている前で信寛君の手を握って真っすぐに顔を見つめて愛の告白をしたことも原因だろう。と言うか、そっちの方が信寛君に与えた驚きは大きいはずだ。
信寛君の手は私の冷たい手とは対照的に温かく、少しだけ筋肉質で男の子の手だった。男の子の手を触ったことは無いのだけれど、きっとこんな感じだろうと想像するような男の子の手である。
それに、いつもは優しく私を見守ってくれている目ではあるが、明らかに狼狽えていて、普段見ることが出来ない表情がとても可愛らしく、愛おしかった。
私は完全にこの芝居を壊してしまったと気付いた時にはもう取り返しがつかないと思ってしまって、もう一度信寛君に向かて
「大好きだ」
と叫んでしまった。
今まで何年もかけて練ってきたであろう信寛君の見せ場をたった一言で壊してしまったのは申し訳ないと思うし、見にきてる人達にも悪いという気持ちはあるのだけれど、今の私は自分の気持ちを抑えることなんて出来なかった。
私は急に怖くなって皆の顔が見れなくなってしまっていたのだけれど、そんな事は関係なく信寛君の顔をじっと見つめていたのだ。
「俺も好きだよ」
今までと違ってたった一言ではあったけれど、今までのどの言葉よりも嬉しかった。
そして、信寛君の言葉を皮切りに観客席から今まで聞いたことのないような歓声と拍手が私達に向けられていた。
信寛君の長い告白を聞きたかったと思う人がたくさんいるはずなのに、観客席を見るとみんな嬉しそうな楽しそうな幸せそうな顔をしているのが見えた。
舞台袖で見ていたみんなも嬉しそうにしていたし、若井先生も嬉しそうに何度もうなずいてくれていた。
何よりも、私は愛莉ちゃんが泣いて喜んでくれているのが嬉しかった。
私達の最後の舞台はめちゃくちゃな形で終わってしまったけれど、最後にはみんな舞台に上がって私達を祝福してくれていた。
観客席にいるみんなもいつまでも立ち上がって拍手をしてくれていた。
私はいつまでも信寛君の手を離すことは出来なかったけれど、それは信寛君も同じ気持ちだったようで、他の人達には聞こえないような小さな声で、大好きだよという気持ちをお互いに伝えていた。
最後の舞台で信寛君に自分の気持ちを伝えることも出来たし、ずっと繋ぎたかった手を繋ぐことも出来たし、色々準備をしてくれていたみんなには悪いけれど、私は最後の最後にいい思い出を作ること出来てとても嬉しかった。
片思い同士の初恋 釧路太郎 @Kushirotaro
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます