第24羽 誰がために

――それは、鳥というには大きすぎた。


 大きく、重く、そして力強く羽ばたく鳥――いや、トリ娘は、徐々に高度を落としながらも琵琶湖の上を前に進んでいた。その体躯は他のトリ娘より明らかに大きく、体重も(本来は乙女の秘密ではあるが)平均の倍近くある。


「バートライア!」


 併走するボートから加賀谷トレーナーの声がかかったが、バートライアの降下は止まらない。声も出ないほど必死の形相で羽ばたいているのは見て取れるのだが、どうにも立て直せないのだ。


「ああああァァァァァっ!」

 バッシャーン!


 バートライアの体が絶叫とともに湖面に突っ込んで、一際大きな水飛沫が上がる。その飛沫が全て水面に落ちる頃には、つい先程まで歓声に満ちていた会場はしーんと静まり返っていた。固唾を呑んで彼女の無事と記録の発表を待つ。


 やがて、ダイバーに支えられてバートライアがボートの上に現れると、安堵のため息と共にパラパラと拍手の音が聞こえた。


『只今の、富士川トリ娘スカイスポーツ学園、バートライアさんの記録は――』


 一呼吸おいて、会場のモニターに数字が表示される。


『846メートル74でした』

『バートライア選手!見事なフライトでした!現在1位です!』


「やったー!」

 バートライアが傍らの加賀谷トレーナーと抱き合い、会場が大きな拍手に包まれた。当面の目標としていた500メートルを超え、まだ大会序盤とはいえ暫定首位というオマケまでついて、大きな彼女の顔が大きく綻ぶ。


「遂にやったね、バートライア」

「そうね」

 湖岸の待機列に並んでいたウイングノーツとマエストロは、スピーカー越しにバートライアの記録を聞いた。


 いよいよ始まったトリ娘コンテスト。3人目のバートライアが好記録を出したことで会場も盛り上がってきている。


「さて。アタシ達も負けてられないね!」

 腕をストレッチさせながらウイングノーツが意気込んだ。

「当然!でも勝負の相手はバートライアではないわ。あくまでも琵琶湖と、前回の自分よ」

「うん、それはそうだね」


 頷いて、ウイングノーツは傍らのクラスメイトに顔を向けた。マエストロは前回大会の優勝者だから最終フライトとなる。だからまだ慌てているわけはないのだが、それでも心なしか前よりもどっしり構えているように見えた。


「何よ」

 じっと見るウイングノーツの視線に気づいたマエストロが眉を潜めた。


「いや、なんかマエストロ貫禄ついたなって」

「太ったってこと!?」

「いやそうじゃなくて……なんて言えばいいんだろ。フーシェさんとかナスカさんもそうだけど、一度優勝を経験するとやっぱり世界が変わるのかなって。自信がついてるというか」

「自信なんて言う程には無いわよ。強いて言えば、しっかりと準備しておけばあとは成るように成るということが分かったってことかもね。風とか天候で大分左右される競技だし」


「なるほどね」

 ウイングノーツは頷いてからプラットフォームを見上げた。大きな大会旗が横にはためいているのが見える。風が強めに吹いている証拠だ。


「それを言ったら」

 マエストロがウイングノーツの顔を見て続けた。

「アンタだって前回で『千の翼サウザンドウイングス』の仲間入りしたでしょうが。前回よりも落ち着いてるんじゃないの」


「そ、そうかな?」

 と返しながらも、そうかもしれない、とウイングノーツは自分の翼を見て思った。


千の翼サウザンドウイングス』とは、トリ娘コンテストで1キロ、すなわち1000メートル以上飛んだトリ娘たちを讃えるためにいつからか呼ばれるようになった称号である。逆にそこまで到達することのできるトリ娘がそれほど多くないことも示している。現在は引退した人も含めて10人いて、前回大会でその10人目となったのがウイングノーツだ。


『現在プラットフォーム上は、富士川トリ娘スカイスポーツ学園、ナスカさんです』

 

 そして、その映えある一人目が、今プラットフォーム上でフライトを待っているナスカなのだ。

 ウイングノーツがマエストロから湖に視線を移すと、少しだけ彼女が広げた翼の端がプラットフォームの床越しに見えた。この風の中、『女王クイーン』ナスカはどう飛ぶのか。

 そのときウイングノーツの頭によぎったのは、昨日の下見のときに垣間見た思い詰めたような彼女の顔だった。



 ◆



『現在プラットフォーム上は、富士川トリ娘スカイスポーツ学園、ナスカさんです』


 自分の名前が場内アナウンスでコールされる。


 ……ついに来てしまいましたわ。


 家専属のサポートスタッフが翼のコンディションを最終チェックしているのを横目で見ながら、ナスカは少しため息をついた。これを聞くのは果たして何回目だっただろうか。


 大会初の1キロ超え。


 大会初のディスタンス部門連覇。


 史上最多5回のディスタンス部門優勝。


 同時に自分が成してきたことが頭に思い浮かんできて、ナスカは大きく頭を振った。


 ――過去はどうでもいいですわ。


 今、この瞬間、わたくしは飛ばなければならない。名門としての我が家と、日本でのトリ娘の地位を確立した母と、生まれてからずっと支えてきてくれた執事トレーナーの名にかけて。


『ゲート、オープン!』


 スタッフがナスカから離れると、目の前に立った審判員がバッと白旗を上げた。青白く透き通った翼を少し振って、息を吐く。


「行きますわ!3、2、1……ゴー!」


 カウントダウンして駆ける。視界の下に見えるプラットフォームの床が見えなくなった瞬間に足を蹴り出した。


 ぐっと胸にあたる空気の圧。横風も感じたので少し羽ばたきのペースを上げて浮力を上げる。


 いつもと同じ飛び出し。いつもと同じ湖の景色。でも、その色をあまり感じなくなったのはいつからだろうか。


 はっ、はっ、はっ、はっ


 5回目の優勝と2度目の連覇を達成した後、誰からともなくナスカのことを『女王クイーン』と呼ぶようになった。

――正直、それはそれで悪い気はしなかった。伝統あるトリ娘の名家として、その称号はナスカにとって呼ばれて然るべきものだったからだ。


 はっ!はっ!はっ!はっ!


 やがて会場や番組のアナウンスもその称号を呼ぶようになった頃。先輩であるソラノセプシーと同級生のフーシェの台頭によって、ナスカは優勝から遠ざかるようになってしまった。


 はぁ!はぁ!はぁ!はあっ!


 自己記録は更新している。それでも追いつけない。ナスカが5キロ前後から伸び悩んでいるうちに、ソラノセプシー先輩はその上を遥かに飛び越えて対岸まで行ってしまった。


 はぁ、はぁ、はぁ、はぁ


『誰よりも先に、琵琶湖横断フライトを見せてくれることを期待してるよ、ナスカ』

『当然ですわ』


 当然、自分がやらなければならないと思っていた。そのためにいろいろなことを試した。それでも。何をしても。


「お嬢様っ!」


 インカムからの日比の声が、目前に迫る湖面をナスカに認識させた。横風に煽られて体も傾いている。

「くっ!」

 羽ばたきのピッチを上げて立て直しを図るが、思うような力が出ない。もう息が上がってしまっていることに気づく。まだそんなに飛んでいないはずなのに。


「どうしてですのーーっ」

 そんな無念の叫び声すら声にならないまま、視界が水で覆い尽くされた。


 ゴボボボボ……


 一面の水の中、頭の右後方から光が指していることを見てとってナスカは体をひねった。どこかに行ってしまいそうな気持ちを振り立たせて水を蹴る。これまで何度となく入ってきた琵琶湖の水。こんなところまで醜態を曝すわけにはいかないのだ。


『只今の、富士川トリ娘スカイスポーツ学園、ナスカさんの記録は――692メートル51でした』


 ボートに乗ったところで記録を告げるウグイス嬢の声がスピーカー越しに聞こえてきた。その後ろから、驚きとも落胆とも取れるような観客席の声も聞こえてくる。


 何かを言おうとした日比を遮って、ナスカはぼうっと空を眺めた。自分には、何が足りなかったのか。


 ボートはナスカの気持ちとは関係なく、風を切って応援席正面の船着き場に向かっていく。

 その間も、競技は淡々と進んでいった。アナウンスを聞いている限りでは何人か飛んでいるがナスカの飛距離すら超えることはできてないようだ。


『――現在プラットフォーム上は、富士川トリ娘スカイスポーツ学園、ウイングノーツさんです』


 その名前を聞いて、ナスカは体を起こしてボートの甲板においてある小型中継モニターに目をやった。


 ウイングノーツ。


 トーワの引退宣言のときにあの場にいた新入生が彼女であったことを、ナスカは今更ながらに思い出した。出場回数こそ少ないものの、同期のマエストロやフォルテックに追い付けとばかりに飛距離を急激に伸ばしてきている印象がある。ディスタンス部門挑戦2回目で1キロを飛んだのは自分の記憶ではこれまで誰もいなかったはずだ。


『さあ、前回いきなりブレイクしたトリ娘の登場です。ウイングノーツ!』

『これまでは結果が出せずにいましたが、前回大会で1700メートルを超える記録を出してますね』

『果たして自身の記録を塗り替えることができるか!注目しましょう!』


 アナウンサーと解説のやりとりの後に、すぐに白旗が上がりゲートが開けられた。


『行きます!3!2!1!ゴー!』

 

 ウイングノーツが飛び立つのをモニターで観てから顔を上げると、湖上からでもプラットフォームから彼女が飛び立つのが目視で確認できた。こちらから見るとまっすぐ右向きに飛んでいる。


「――彼女、南を目指しているのね」

「お嬢様をはじめ、先に飛んだトリ娘がみな風のせいで距離が出ていないのでルートを変えたのでしょう。まだ誰も1キロを超えて飛んでいませんからな」

 飛び終えてから一言も発していなかったナスカが口を開いたのをみて、日比もホッとしたような顔で話しかけた。


『かなりの安定感!間もなく1キロです!まだ伸びるまだ伸びる!』

 実況が熱を帯びてきている。ウイングノーツは少し揺れながらもまっすぐ南を目指していた。


 だが、ナスカの目には実際にはかなり厳しい状況であろうことがモニター越しに読み取れた。揺れているように見えるのは横風と闘っている証拠だ。そうとう苦しい戦いを強いられているのだろうと、想像したナスカの目に、彼女にとっては信じがたい映像が入ってきた。


「――笑っている」


 並走しているボートのカメラが望遠で捉えた、彼女の一瞬の表情。ニコニコ笑顔というわけでは決してない。でもウイングノーツは、苦しそうな表情の中でも時折ニヤっとするような笑みを浮かべていた。

 そう、まるで――

「この苦境を楽しんでるような……」

「――そうしたことも込みで、飛んでいることそのものが楽しいように見受けられますな」


「飛んでいることが、楽しい」


 ナスカは自分の口から漏れた言葉にハッとした。テストフライトで新しいことを試しているときに楽しいと感じることはたまにある。――でも、トリコン本番で最後に楽しいと感じたのはいつだっただろうか。


『まだああぁぁぁぁぁっっ!!』

 モニターには、右からの突風に煽られて大きく傾くウイングノーツが映し出されていた。叫びながら少しでも立て直そうともがいている。

 今まさに着水してしまいそうなその姿を、ナスカは呆然と見ることしかできなかった。

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トリ娘プリティコンテスト ゲイルライダー 采目慶 @sainomekei

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