尾羅雨館・羅刹決戦

澄岡京樹

尾羅雨館にて

尾羅雨館・羅刹決戦



 ——尾羅雨おらう館。

 昭和初期に建築され、戦後改築されたその洋館に今、五人の羅刹——否、推定羅刹が集っていた。


 羅刹——それは人の肉を食らうとされる存在。そのような存在が2015年の日本に果たして存在し得るのか。それは定かではない、だが事実——


「じゃあ何か? 俺ら五人のうちの誰かが殺ったって言いてえのか?」

「……そう言う他無かろうな」


 尾羅雨館のエントラスにて。無惨にも殴打により殺戮された尾羅雨館当主の姿があった。



 稲光がエントランスの大窓越しに、室内を凶暴に照らし出す。光と轟音はほぼ同刻。……今外に出るのは危険であると、いやでもわからされる。


「オイオイ、オイオイオイ、嫌だぜ? 俺はこんな闇の動物園めいた洋館にこのまま居残るなんてよ!」


 茶髪の若者、探偵の山下玄人やました げんとは怯えを隠しきれずそう言い放つ。


「お前らなんも思わねえのかよ? だってまだ尾羅雨館の中にいるかもしんねえんだぜ……その、」


 山下は「信じられねえ」と何度も言いながらも、当主の残した〈血の文字列-dying message-〉を目に捉えながら、


「その、【殺戮オランウータン】がよ……」


 尾羅雨館殺人事件の犯人の名を口にした。


 ……そう。尾羅雨館当主・尾羅雨譚助おらう たんすけは謎の存在【殺戮オランウータン】に殺害されたようなのだ。なにせダイイングメッセージにそう記されている。『殺戮オランウータン』と記されている。画数が多いがとにかくそう記されているのだ。

 加えて譚助の外傷がその説得力を増している。譚助の死因は殴打と推測されるが、それが人によるものとは到底思えない破壊力なのだ。何をどうやったらこんな全身クレーターまみれみたいな状態になってしまうのか。五人の推定羅刹たちは戦慄していた。


「まあ待ちなせぇ。ここはオイラが人肌脱ぎますぜ」


 からからとした笑いと共に、着流しを着こなす白黒コントラストな髪型の青年が口を開いた。

 ——名を着飾里飾理きかざり かざり。ファッションモデルらしい。

 飾理はそのままエントランス中央にモデル歩きで近づきつつ、着流しに手をかけ——


「ちょっと! こんなところで脱がないでくれる? 嫌よそんなの意味わかんないし!」


 飾理の友人を名乗る女性、洲寧久子すねい ひさこが慌てて制止した。久子はなんというか、周りから見れば友人というより恋人に見えなくもなかった。先刻の夕食会での二人の会話はそういった雰囲気であった。


「お、なんでィ久子。お前さんが脱ぐわけじゃあるめぇし良いじゃねぇかよ」

「良くないわよ! あんた見境ないんだから!」

「そうか? まぁお前さんがこれ以上キレ散らかしてるのを見んのもアレだしやめとくか」

「キレ——……〜〜! ………………ハァ、初めから言うこと聞いてりゃ良いのよ全く」

 何か一瞬ものすごい形相をしたような気もしたが、久子は平静を保った。


「……良いかね? 儂から提案がある」


 壮年の紳士、霧切斬十郎きりぎり ざんじゅうろうが口火を切った。斬十郎は刃めいた鋭い眼光で四人の羅刹を見渡し、


「索敵行動を取ろうと思う。無論強制ではなく、儂が行う際に同行するか否か——そういう問いなのだが」

 どうかな? と、老紳士の眼が光る。


「ハァ? 俺は嫌だね! そんならまだ用意された部屋にこもってる方がマシだぜ! ていうか戻って良いか?!」

 山下は「そんな提案はごめんだ」とばかりに部屋へ向かおうとする。


「ならば索敵コースに君の部屋を加えよう。一人で部屋に向かうのは危険だからな」

「嫌だぜ! こん中のどいつが殺戮オランウータンかわかんねぇのによ——」


 そこまで言いかけて、山下は五人目の羅刹に目がいった。


 五人目の羅刹、その名は五里羅刹丸ごり らせつまる。その圧倒的に恵まれた体躯と隠しきれない殺意が可視化されているような気がしないでもないほどの冷酷な瞳。そして本人のあまりにも寡黙すぎる性格が(この状況では黙秘権行使に見えて)非常に恐ろしき存在感を放っていた。


 誰もが思いつつも、あえて口にしなかったそれ。それ——その事実。

 どう目を背けようとも初めに浮かび上がってくる一つの強固な説。

 この状況下で最も犯人像に近しい人物。


「あ、あのよ……この際だからハッキリさせときたいんだけどよ……」

 震える心を奮い立たせながら、山下玄人はどうにか口にする。羅刹丸に向かってその言葉を口にする。


「お、お前……尾羅雨さんが死んでるのを見た第一発見者だったよな? その……本当に、本当に何も見てないのか? ていうか、その、お前は無関係なんだよな?」


 玄人の問いに、羅刹丸は一呼吸置いてから、厳かに口を開いた。


「——否。関係はある。


 瞬間、尾羅雨館内に走る衝撃たるや。やはり羅刹丸は全てを知っている。この男は事もあろうに関係があると宣った。となればあとは明白。この男こそが犯人である——そう彼らは決めつけるであろう。


「——決めつけるか。それでも良い。だが忘れるな。この惨劇、その発端が何であったのかを」

「ハァ!!?」

「お前たちが——一体やってきたのかを」


 羅刹丸の言葉、その真意。彼らがどのような経緯で尾羅雨館へやってきたのか。


「お前たち……いや私もか。——そもそも食事を横取りされたのは?」


「……羅刹丸。貴様、それはつまり、儂らが釣られたというのは——」


 斬十郎は一つの仮説が脳裏をよぎったので、彼にしては珍しく冷や汗を垂らした。


「……へぇ、てことはアレかィ。ってことかィ」

「ちょ、ちょっと飾理!」

「良いだろ久子。……もうオイラたちの手の内はバレてるようなもんなんだからよ」


 そう言った飾理のかおは、血に飢えた肉食獣を想起させる残忍な笑みを浮かべていた。


「——そもそも。我々が尾羅雨氏を狙う理由など、皆が皆同じであるはずだ。……ヤツが、事もあろうに我々を呼び出すなどと——罠というより、最早挑戦状の類に他ならない」


「……だが、儂らのその予測が間違っていたということか」


「あの正々堂々とした尾羅雨さんがねェ! そこまでしてまで!」


 飾理のその発言がとどめとなった。


 ——そして、惨劇は起こった。


「やっぱそうだったのかよ! だから俺は嫌だったんだよ! こんな館に来るのなんてよォ——!」


 玄人の身体中から黒い/玄い霧が溢れ出し——そこから無数の黒兎が現れ出た。——否、否々。玄人が玄兎と化したのだ。


「羅刹が一、【轢殺の玄兎げんと】。このまま逃げるぜ、脱兎の如くッ!」


 洋館の入り口目掛けて疾走する無数の黒兎。しかしその前に着流しを脱ぎ捨てた飾理が立ち塞がる。


「だから言ったろうが……脱ぎましょう、ってナァ——!」


 瞬間、飾理は己が柔肌を胸筋付近から一気に左右へ向けて切り開く。

 そこから——夥しい数の糸が発射される。その先端には血濡れの鋭き針が備え付けられており、周囲の羅刹たちに向かって貫かんとばかりに切先を尖らせている。


「羅刹が一、【刺殺の飾理】。服にしてやらァ——全員まとめてなァ!」


「ほら見なさい! あんたってばやっぱ脱ぐと見境ないじゃない! このバトルマニア!」


 言いながら、久子は姿を蛇のような形態へ変化させ、通気孔から脱出を図るべく蛇行を始める。


「羅刹が一、【絞殺の洲寧久スネイク】! こんなんやってられっか!!」


 三者三様に行動を開始する羅刹たち。だがしかし、それを上空から何かが


「ガッ!」「オッ!」「ンッ!」


 わけもわからずクレーターだらけになり死亡する三体の羅刹たち。斬十郎は「あっけない、あっけなさすぎる……」と呟きつつも状況を概ね理解していた。


「……羅刹丸。これは——のだな?」


 斬十郎の推測に羅刹丸は首肯を以って返答とした。


「ここはいわば狩場……ということか?」


 斬十郎の推理に、羅刹丸は「ああ」とのみ返した。


 斬十郎は、ここに来た時のことを思い出す。……尾羅雨譚助は凄腕の羅刹ハンターであった。譚助と戦った羅刹は、その尽くが譚助の武勲と化した。譚助はそれほどまでに強かった。

 ゆえに斬十郎は技を極めた。剣技を極めた。一撃による抹殺を極めた。着いた称号は【斬殺のキリギリ】。現代の羅刹たちは、人の世に存在する殺害方法——その内の一つを極め、それにより人の肉を食らっていた。それらの多くは、迷宮入りの殺人事件として処理されていた。


 たしかに殺人事件なのに、と。これは、と。


 そんな絶技を持つ羅刹たちを逆に葬る譚助。その凄まじさは計り知れない。……そんな彼が『引退する。隠居先は実家の尾羅雨館とする』などと宣言したのだ。並の羅刹はそれで安堵したことだろう。残念ながら並の羅刹は譚助によって狩り尽くされていたのだが。

 斬十郎はそれが納得いかなかった。このまま負け越してなるものか、これまで磨きに磨いだ奥義を見せてやる、と。彼は決死の覚悟を伴いながら尾羅雨館へと足を運んだ。


 ——その時点で既に、館は食事場所と化していた。


 先に来ていた四人の羅刹たちが尾羅雨館内の人間を喰らい尽くしていたのだ。……そう、本来このような惨状にはならないはずなのに。譚助が存命ならば、


 斬十郎は、その時点で気づくべきだったのだ。このような準備足らずな状況で、譚助があのようなあからさまな罠めいたメッセージを出すはずがなかったのだと。


「……羅刹丸。そこの譚助は、死後何日経過している?」

 斬十郎の問いに、羅刹丸は、

「不明だ。

 ——やはり何もかも完結していた事実を叩きつけた。


「羅刹丸——」

 斬十郎は羅刹丸に背中を預けようとする。その寸前、

「斬十郎、思うに、

「何?」

 斬十郎は夢見心地と見紛うばかりの虚な表情でぽつぽつと語り始めた。


「我々の殺害行為は、人の世に浸透しすぎた。——殺人事件のようでありながら、事件現場の状況では実行不能な我らの手口。譚助のような影の存在が人知れず討伐するしかない存在でありながら、そのやり口は——人の世にとって身近な殺害方法過ぎたのだ」


 それがどういう意味なのか、斬十郎が問いかけようとした刹那、【ソレ】は現れた。


「斬十郎、アレは我々への恐怖が具現化した存在なのだよ。人の集合無意識が生み出した【我々への恐怖そのもの】。そしてそれは、人の集合無意識が生み出したがゆえに——

 ……つまりは、人の世に仇なす我らとは相容れぬ存在。

 ——我らの敵に他ならない」


 人々が恐れ慄いた【ソレ】とはつまり、解決不可能な殺人事件の【犯人】に他ならず、そして、彼らの中で【犯人】であると信じられた存在とは——


「まさかアレは、アレこそが——」

「そう、【殺戮オランウータン】だ」


 二体の羅刹、その眼前に形成される、不可能犯罪の具現化。その一撃は。黒いモヤのような【ソレ】は、殺戮オランウータンとして殺戮行動に移行する。


「【——怯えるな。一撃で終わる】」


 【ソレ】からの言葉が聞こえ、その時既に斬十郎は事切れていた。編み上げた——体の部位を瞬時に刃物へと変化させるその奥義は、放つことすらなく役目を終えた。斬十郎は既に、クレーターめいた殴打によりひしゃげた果実のようなオブジェへと変貌していた。


 ——悲しみすらなく、慄きすらなく、羅刹丸は己が矛盾を顧みた。


 羅刹丸のそれは、【殺】という言葉が入ってはいるものの、殺害方法ではなかった。だが彼は生まれ出た瞬間、概念の海の中からそれを誤って掴み取ってしまったのだ。ゆえに彼は殺す奥義を持たない。いかに恵まれた肉体を有していようとも、羅刹丸は殺害奥義を使えぬ半端者であった。


 だがそれにも意味があったと、彼はこの局面に至って遂に理解した。我が称号はこの時のために。ならば高らかに掲げよう。羅刹丸は己を鼓舞するように、己が名を宣言した。


「我が名は羅刹丸。羅刹が一、【相殺】の羅刹丸————……!!」


「【——————】」


 殺戮オランウータンの攻撃が羅刹丸の体に触れた瞬間、二体の羅刹は双方共に消滅した。


 尾羅雨館に生存者はなく、ただただ静寂のみが残留する。


 命とは、羅刹とは、人の世とは。その関係性は最早わからない。

 一つわかることがあるとすれば、


 【自殺】の羅刹が、ことの発端だったということだけである。



尾羅雨館・羅刹決戦、了。

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尾羅雨館・羅刹決戦 澄岡京樹 @TapiokanotC

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